波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに

2012-09-18 09:47:52 | Weblog
先日何気なくTVを見ていたら、世界のあちこちに存在する「不思議なこと」について紹介する番組があった。中でも水晶玉を使って
人が紙に書いた内容(文字、形)を見ないで見事に言い当てたり、手を使わないで人形に手をかざすだけで動かして見せるものであった。併しこれらには全て仕掛けがあり不思議でも何でもないマジックの一種であり、人が考え出した知恵であり、人の目を眩まして錯覚を起こさせているのだと説明があった。
毎日の生活において私たちが何気なく使っている「言葉」も考えようによっては大きな力を持っていると思っていると考える。それは楽器において各々が音を立てるだけではなく、その音に変化をつけることでその音が何を弾いているのか、何を吹いているのかが分かるのであって、ただ音だけでは何も分からないのと同じで、言葉もはっきり意味が分かる言葉を口にするのでなければ本当のことは伝わらないのだろうと思うのです。
言葉は各々が思っていること、考えていること心を伝える道具ともいえるが場面場面での使い方は考えるほどに難しいもので、
例えば子供だと自分本位で他人のことはあまり考えることが出来ないから自分の思ったことをストレートに言えば、それで済んでしまう。しかし大人は自分と異なった立場を理解しながら、自分とどちらも生かすようなことを考えながら話さなければならないから、中々簡単ではないのだ。時には苦しみ、時にはずるく、時にはいい加減になることや単に妥協で済ませて行動することも起こりうるのである。
と言ってひたすら「誠実に」と心がけて相手に自分の発言がどういう感じを与えるかを考えて計算してみても返ってそれがピンとはずれになることもあるから余計考えてしまうことにも成る。
「不思議な言葉」それは誰もが知らないことであったり、予言になるような事であるかもしれないが、それよりも大事なことは
「物を判断することにおいては、一人前のものになりなさい」と言う言葉がある。
それは例えば子供らしい若々しさをも持ち素直さ、ひねくれることのない言葉を持って、人に心を伝えることであろうか。
事実、この世のことは全てに正しいことが通るとは限らない。まして私たちの行為や言葉の意図が悪くないからと言って
人もそれを認めるべきであるとするのも甘えすぎなのかも知れない。
謙虚にある意味では「不純な人ね」と言われるようなことがあっても、仕方がないのかもしれないと自分自身を見つめている
のである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿