波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2012-01-19 09:58:00 | Weblog
人間の生き方は様々である。しかし人間のあり方はどんな境遇の人でも大切なことは皆同じだとは言えないだろうか。私は最近
ある研修会に参加してある先生から次のようなお話を聞くことが出来た。
「富士登山をしていた人たちが下山途中、落石事故にあう羽目になった。そして仲間の一人が亡くなり多くの人が怪我を受けることになった。その中で自分は幸い無事だった。後日、その事を聞かれて次のように答えたという。それは突然の落石に会い多くの人はパニックになり、我先にと後ろ向きに走り出した。しかし落石の速さは人間の走る速さより早く怪我をする結果となった。
自分はとっさに子供のことが頭に浮かび子供を庇う形で落石に立ち向かう姿勢をとりながら逃げた。そしてその事は石をよけながら下山する結果になり、大きな怪我をまぬかれた」実話であり、その話を聞いて以来先生はこの話を忘れたことはないとおっしゃった。
そして先生は「私は人生においても逃げてはいけない。まっすぐに立ち向かう姿勢を教えられた」と付け加えておられた。
確かに人間は長い人生において無意識に危険を避け、不幸を嘆き逃げ惑うことが多い。しかし、その姿勢が結果的には自分自身を追い詰め不幸へと向かわせていることに気づかないことが多い。また現在は良くても何時、どんな形で不幸(落石)があるかも
分からないのである。その時に自分がどんな姿勢で、その局面に立てるか。それが肝心である。
つまりどんな場面におかれても「逃げない」姿勢をきちんと取れるように身に着けることだと思う。
また人間は生きている限り、「死」という悲しみからも逃れることは出来ない。だから日頃から悲しみを恐れることなく、真正面から向かい合い、深い慎みを持って謙虚に話が出来るようにしておきたい。そうすればどんな人にも慰めを与え、また受けることも出来るだろう。また、人は元気で運気が盛大なときは誰も近づく必要はないかもしれない。しかし病気になったり、運気が傾いたり、不幸になったときや独りぼっちになったときには、そっとその人の傍に立つことが出来ることが望ましいと思う。
それは決して「介入」という事だけにはならない。そしてその時間と勇気がその人を癒していく力となると信じている。
寒さが続いているが、日記を見ると例年と変わらないのでそんなものかとほっとする。彼岸までにはまだ当分かかるので、その間は健康に特に注意しなければと思うこの頃である。