波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに

2012-01-05 09:25:29 | Weblog
今年は「喜寿」の歳として迎えることになった2012年である。とはいえ、何も変わることは何もないのだが、何か自分の中に
節目としなければの気分がある。それはこれまでの人生を振り返り、数々の思い出と交わりの中に感謝の思いを強く感じたことである。
幼児のときに二度の生命の危機があり、母から「あなたは神によって救われた」と言われたことは今も忘れられない。
青年時代は厳しい家庭環境の中で(軍隊生活同様)育ち、成人へと進んだ。結婚もその延長の中で行われ、私自身の意思は反映せず、父母の言いなりのまま家庭を持ったのだが、一度は半年もしないうちに離婚と言う結果に終わり、再婚の妻とは20年ほどの間に二児を設けもうけ幸せな家庭を築けると思っていたら妻は不治の病にかかり、帰らぬ人となった。
男手一人で子どもを見ることは難しかったが、思いがけず一人の姉妹(ナイチンゲール的存在の人)が妻の病気のときから献身的に支えてくれて、助けられ二人とも立派に成長して家庭を持つことが出来た。
しかし自分自身の内面的道程は紆余曲折しながら迷走を続けていた。何処へ向かって、何処は行こうとしているのか、その目的も一人の人間としての存在感、確立は何もなかった。
サラリーマンを定年で終わり、自分を支えていたものを失ったとき初めて自分の無力を知るところとなった。それから本当の意味の「自分探し」「生かされているものの意味」を考え始めたと言っていい。
しかしその事を意識し始めるまでには時間が必要であった。自分自身の環境もすっかり変わった。ある意味自分を取り巻く状況が無くなってしまったと言うことだ。
そして荒野の只中にたった一人で立たされたかのような環境の中で啓示を与えられたのかもしれない。
私はそのとき初めて人間として生かされてきて「生きる」と言うことがどんなに大切なものであり、どう生きるかを考えることを知らされたのである。
昨年は「めまい」などの体調不良などを経験し、健康管理をもう一度見直す機会を与えられた。これからの時間は今まで以上に
大切な時間になる。無駄に時間を過ごすことは出来ない。終わることのない人間追究の旅へ出掛けることになる。そして
窮める事の出来ない「人間のあり方」を考え続けていこうと思っている。
晴天の日差しを浴びながら、今日も課せられた予定を楽しんでいる。