波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

          白百合を愛した男   第15回   

2010-08-09 09:57:28 | Weblog
美継の見た工場は想像以上であった。人家を避けて谷間に作られた工場の煙突からはもくもくと煙が立ち昇り、工場からの排水は真っ赤である。煙は刺激臭が強く、思わずむせるほどであった。今更ながら工場の特異性を知らされながら、山内氏と相対した。
話は現実的であり、厳しいものであった。東京の店を任せるとは言うものの、その内容は可なり厳しいものであり、甘いものではなかった。小さい時から我慢することを教えられ、貧しさの中で育ったこともあり、美継にはそれらは何の苦痛も感じることはなかった。牧師から教えられた神の存在も大きな力で影響を受けていた。
「分りました。出来るだけ期待に沿うように頑張ります。支度もあり、整理することもありますので、少し時間を頂きますが、東京へ出る時期が決まりましたら、改めてお知らせします。」敦賀へ帰ると、みどり屋パンの整理に取り掛かった。職人は他の店に紹介して、仕事につけ、仕入れの材料の始末をして、閉店の挨拶のチラシを出す。
あれこれしているうちに、その年も半ばを迎える頃、最初の子供に恵まれた。男の子である。美継は大喜びであった。これからの新しい出発にふさわしい神からの大きな贈り物であった。そして家族が落ち着いて整理がおわり、東京へ出る準備が整った。
既に手配してあった店は東京の下町、隅田川の傍の浜町である。その頃東京は関東大震災(大正12年9月)の傷もいえ、復興の兆しが見え、新しい建物があちこちに建ち始め活気が戻りつつあった。そして時代は大正から昭和に変わり、更に新しい時代に入っていたのである。
事務所と倉庫がつながっていて、二階が住まいである。誰でもが簡単に扱う品物ではないので、店に並べておいてお客が買いに来るものではない。美継は品物を売るために市場調査を開始した。調べてみると、いろいろな所で少しづつ使われていることが分ってくる。
最初に気がついたのはカガミやさんであった。鏡の表面を磨くのは傷をつけないように注意しながら光沢を出せればよいのだが、なかなかきれいにならない。この弁柄を使うとその効果は抜群であった。地方にある鏡やさんを訪ねて売ることが出来た。量は少なくても高く売れるので、利益は計算できた。商いは順調に始まったのである。
岡山の工場から送られてくる製品は十貫入りの木箱である。その中には百匁入りの桐箱が詰められている。今では想像の出来ない薬以上の貴重品扱いであった。