波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

         思いつくままに

2010-08-11 08:38:04 | Weblog
先週と今週で原爆記念日を迎えた。65年を過ぎたがやはりこの日のことは歴史に残る大きな記念日として覚えていたいと思う。あの日、何故日本に原爆が投下されなければいけなかったのか、当時戦争はまだ続いていた。しかしその趨勢は明らかだった。本土決戦を覚悟しなければならなかった時期である。冷静に考えてみれば、この決断に至るまでに何が話し合われたのだろうか。又、何故日本だけで他の国ではなかったのか、そしてこの決断に至る過程はどうだったのだろうか。他の方法での話し合いが検討されなかったのか。
様々なことが考えられる。しかし所詮は人間の大きな罪のなせる業であった・決してそれを裁くのでもなく、責めるものでもない。ただ人間というものはいざとなった時、最後まで相手を慮り、忍耐できるものではないということなのである。つまり何らかの罪を犯すことになるのだ。そのことを良く覚えておきたい。それだからこそ、その弱さを知り、そのことを考え、相手の立場を考え、自分として何が出来るか、
とかく人間は自分の行動にどれくらい責任を感じて生きているのだろう。私たちは自分の行動や考え(実力と思い込んでいるもの)が正等に評価されなかった時、また自分が当然受けるべき保護であったり、与えられるべき権利が得られなかったり、守られるべき規則が乱されたりしたとき、我慢が出来なくなり、抗議をすることになる。
しかし、どんな時代になっても自分にとって不都合なことがなくなることは無いだろう。
また自分の失策の原因を他人の理由にしようと思えば、何とでもなるものである。
不思議なもので人は現状の悪の原因を社会か他人の所為にして、決して個人が悪いのではないとしてしまう人が多い。それはそういう考え方で生きているうちにそれが当たり前として定着してしまうのかもしれない。だとすれば、そのことから引き出される出来事は悲しい結果になることになる。「われわれのとがと罪は我々の上にある。」とは聖書の言葉であるが、人間のなす一切の善悪は厳密にはそのこじんの責任であることをもう一度考えてみる必要がある。夏休みも半分を過ぎた。孫達の宿題も進んでいるようで、電話の向こうから「半分済んだよ」と元気な声が聞こえてくる。この暑さの中で若者は元気だ。何とか、気をつけながらこの夏を乗り切りたいと思っているこの頃である。