波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

白百合を愛した男    第20回

2010-08-27 09:59:56 | Weblog
木造建てとはいえ、3階となると地上10メートル近い高さがある。其処から落ちたとあっては、悪くして石にでも頭を打てば死ぬこともあっておかしくないし、そうでなくてもどこか怪我をすることは覚悟しなければならなかった。当時の裏通りは細い路地裏になっており、排水が流れる溝にどぶ板のようなものがかぶせられ、ゴミ箱や漬物石などが置かれていた。幅が数十センチほどのところである。母親が真っ青な顔をして二階から駆け下り、美継も仕事の手を止めて立ち上がった。1階は倉庫もかねて、物置になっていた。
暗く細い間を通り抜けて裏へ出ようとしたとき、その裏口から小さな影が見えた。落ちた次男だ。ふらふらとよろけるように歩いてこちらへ向かっている。「大丈夫、?」と呼びかける母の懐に抱かれるように崩れ落ちると、そのまま気を失った。
そのまま、安静にしながら、近くの医者へつれて行く。医者は全身をあちこち診察していたが、「とにかく、安静にして48時間は様子を見なければなりません。今のところ目立った怪我は見当たりませんが、何が起こるかわかりません」という。
後で聞いてみると、友達と遊んでいて、物干し場の板の間から落ちたロー石を拾うために屋根に降りたらしい。何事もなければよいがと両親は祈るばかりであった。
そのまま二日が過ぎた。少し熱が出たり、あざがあったりしたが、大きな怪我も、異常も見られず、無事に退院することが出来た。母親は早速教会の牧師を訪ねた。
「先生。この子は今回は本当に神に助けられたと思います。赤ん坊の時にも病気で医者から今夜が山ですと見放されたことがあったのですが、そのときも助かりました。大きくなったら、牧師にさせたいと思っています。」真剣であった。牧師は「神はこの子が何処でどのように用いられるか分りません。この子をどのように用いるかは神様が決めることです。」
その言葉に母は打たれて、洗礼を受ける決心をしたのである。
戦争は益々激化していた。中学へ行くようになり、長男はめきめきと成績が良くなり、卒業する頃には首席を取るほどになっていた。何事によらず、集中すると、真剣に取り組む姿勢が効果を発揮したようである。次男は学校疎開で親を離れて田舎へ行くことになり、落ち着かない日々が続くようになっていた。その頃、三男も生まれて美継は仕事に専念していた。相変わらずの軍需景気で忙しかったのである。