波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに   「ジジババトリオの近況」

2014-06-03 10:08:00 | Weblog
最近になって爺に異変が起きた。昨年秋に退院して以来あまり姿を見せなくなっていたが、このごろ娘と二人で散歩をしている姿を見るようなっていた、娘はずっと家を離れて東京で仕事をしていたと聞いていたが、父親の病気を機に仕事を辞めて帰ってきたらしい。
そんな訳で婆と三人の懇談の時間も少なくなっていた。「まだ体力の回復が充分でなく、時間がかかるのかもしれないね」とババと話し合っていたが、ある日婆を訪ねてきて三人で話していたら自分からぽつんと「俺、認知症だ」と言ったのだ。そして定期的に神経内科の検査を受けていると話した。そう言われてみると元気だった去年のころから比べると、言動に少しずつ変化が見られていたことに気が付いた。そうだったのかと納得するとともに「他人事ではないと」自戒するとともに一抹の寂しさがこみ上げてきた。
考えてみると昨年の6月に自ら胃の検査を受け「初期胃がん」の診断を受け、即自ら手術に踏み切ったのだ。その後9月に「膀胱がん」を併発し11月に手術を受けた。この間に何が起きたのだろうか。どちらの手術も無事に成功し、術後も順調だと聞いていた。それなのに「なぜ?」
「認知症」という事になるのか、その経過をずっと見てきた婆と二人で話してみた。
その兆候の表れは9月に近所の小さい病院で点滴をやっているときの事であった。見舞いに行くと話している内に意識が消えたかのように空を見つめて話さなくなる姿を見た。そして話は同じことを何回か繰り返された。そしてある日、点滴の袋をぶ下げたまま病院を抜け出して自宅へ一人で帰ってきてしまったのである。
そして大病院へと転院となったのが、なぜこんなことが起きたのか、考えられるのは80歳を超える高齢でありながら8時間を超える全身麻酔に耐えながら手術を行ったことによる影響でしか、考えられない。その話を聞いたときに個人的にはセカンドオピニオンの意見も聞いたうえで
決断してもと思わないでもなかったが、本人は自信を持って手術に踏み切り、意に介するところはんかった。(自信を持っていた)
然し肉体的にはその麻酔による体力に限界があったのではなかったのだろうかと思われる。
(後日知己のあるドクターに聞いたところ可能性としてないことはないとのコメントがあった)
いずれにしても三人の関係が無くなったわけではない。彼には三人で話しているときが唯一の慰めになるらしく、とてもうれしそうである。月に一回は誘い合って食事会もできている。
嘗てのような旅行は出来ないまでも出来る範囲での事を続けている。
現実に起きた身近な隣人の出来事から自らの生き方に大きな教訓を受けたことを無駄にしたくないとしみじみ考えさせられている。

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