波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡   「罪と罰」

2017-01-14 10:13:36 | Weblog
アメリカの新大統領が間もなく正式に就任する。今までの大統領とは異なるイメージとして(政治家ではなく、事業家?)どんな就任演説をするか、今まで以上に興味深いものがある。
(オバマ氏のイエス、ウイーキャン!)既に何回かのメデイヤとの会見でも摩擦をおこしていることもあって、その言動から目が離せない。しかし人間は誰でも完全ではありえない
ロシアの文豪ドフトエフスキーは「罪と罰」の中で善行をつむことで罪の償いが出来ると考えた主人公の生き様を通じて罰によって死ぬ事を証明しているように、罪は罪として消えるものではないのだ。この世にあって人間はどんな世界でも人と人は主張、意見、信念の対立から逃れられないものである。そしてその対立は感情を伴って憎しみを生み、憎しみは憎悪となって激しくなる。その結果は何処までも続き時間の経過で消滅はしない。むしろ双方に悲しい心の傷跡と不安を残しそこから何かしらの後遺症がトラウマとなる。
「罪と罰」はそのことを一つの物語として教えているのだが現代でも、何時の世でもそれは永遠に変わらないことだろう。それは現代のようにすべてが豊かになり、望むことが叶うようになり、平和になればなるほど自由を盾に主張し波紋を広げる事になるのではないだろうか。
勿論その前提と歯止めには法的な規制もあり限度もあり表面上は何もないかのように見えるが
それらは消えるのではなく沈潜化した形で残っているのである。
お正月の初詣での「家内安全」「家庭円満」はそのときだけでなく、常に心に沈潜している
罪の意識を忘れず、心の中に起きる「罪」との戦いに負けないように勝利する日々を送ることこと大事だと考えている。

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