波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 コンドルは飛んだ  第53回

2013-05-23 09:41:02 | Weblog
辰夫はあきらめなかった。数日後担当医の時間を予約し、出かけて行った。「岡本さん
本来は告知は難しいことで出来ないことだが、特別な事情もおありのようなので申し上げます。これは一つの目安で必ずこの時間と言う保証はありません。そのことは承知してください。あなたの場合は今後2年と申し上げます。」「ありがとうございました。分かりました。」辰夫はあまり動揺することはなかった。覚悟が出来ていたとは言えないが、あきらめと年齢(80歳)からしても止むを得ないという思いもあった。
彼には身体が動く間に済ませておきたいことがあった。その一つ、一つを良い状態で済ませておきたい、その為にだけ専念していた。身体は相変わらず、気だるく呼吸も楽ではなく、酸素ガスポンプは手放せなかった。
岡山にいる、専務の山内に電話をした。今は前の会社ではなく、親会社の仕事についていたが岡本の電話を受けると「暫くですね。上京できる日が決まったらお知らせします。その時は東京の営業所長だった木村さんも呼んで三人でお会いしましょう。」と言った。
彼にとって、三人で再会することは定年を迎えて始めてであり、終わりになることを知っていた。そしてほどなくその日が来た。
三人の再会はシンガポール工場が出来てから、かれこれ20年が過ぎようとしていた。
「内山君、あれからシンガポール工場はどうなっているかね。」「シンガポールは昨年閉鎖が決まり、現在その最後の終了作業に入っています。」「そうか。俺はあの仕事で会社に無理を言ってかなりの投資をしてもらったんだが、その収支はどうだったんだろう。」
「お陰様で終了時点では減価償却も終わり、最終決算では黒字も出ています。安心してください」「そうか。それを聞いて安心したよ。大きな金を使ったので、ずっとそのことが気になっていてね。そうだとすれば、君たちのおかげだ。君たちがいなかったら、あの仕事は出来なかったし、成功していなかっただろう。」そう言うと岡本は少し苦しそうにボンベを口にした。彼の一つの仕事は終わった。
後は今はチリーで家族と暮らしているカミラのことだった。出来ればもう一度会いたい
そしてボリビアの地を踏みたい。この思いは変わらず、ずっと彼の胸の内にあった。何度かその思いを果たそうとしたが、発病してからはどうにもならないことを悟った。
日本へ呼ぼうと久子と相談をして手配をしたが、現地の手続きでどうしても許可が下りず
諦めざるを得なかった。

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