波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋   第18回

2008-08-29 10:41:17 | Weblog
松山は本社への挨拶、工場研修を終えて帰京し、間もなく東京営業所で仕事を始めた。もともとあまり人見知りをするタイプではなかったし、会社は違っても同業と言うこともあって、全く知らない人もいなかった。営業所は小林のほかには事務をしている佐久間女史、営業の若手の中林君で家族も同様な所帯だった。
一ヶ月に一回ぐらいの頻度で上京してくる本社の役員、技術者のお世話をすることを含めて結構忙しい毎日である。
松山が営業でユーザー回りを始めると「松山さん、今度はN社の営業なの。へえー。前の会社はどうしちゃったの。まあーよろしく頼むよ」と気軽な雰囲気で戸惑うことも無く特別に詮索する人も無く、すぐに溶け込んでいった。昔ほど、あれこれと他人のことに関心を持つことも減り、世の中の移り変わりを見るようであった。N社へ行っても和夫のパターンは変わることなく相変わらず、家に帰るのは遅かった。みんなが帰った後もいつものように自分の仕事を、自分の納得のいくように片付かないと終わらないのであり、そうなると、帰りはいつもの時間になる。
秋葉原から電車に乗る時に買うワンカップもかばんに入っていたし、錦糸町で乗り換えて五井駅までに空になっているのも同じである。
こうして昭和57年も無事に終わろうとしていた。会社の業績はオイルショックの傷もいえて物不足気味の成長期に入っていた。本社のある岡山では地元の会社の近くで「マツタケ山」と言われる所があり、そのマツタケを取る権利を出来栄えによって地元の名士が購入するのである。そして近隣を含めてそれを振舞うのである。
当然、毎年と言うわけには行かない。天然のマツタケはとても微妙であり、その年の天候とりわけ、雨量、温度、風などの気候条件が揃わないと豊作にはならない。
又買い手も付かないのである。そしてその出来栄えによって売買されるのである。
その年は豊作であり、関係会社の社長がその権利を落札していた。その日
本社の社長の青木は専務の小山と共に招待されていた。
夕方からその準備がなされ、見晴らしの良い一角にテーブルが置かれコンロには炭火が赤々とし、網が置かれている。又鍋にはおいしそうな肉と野菜が置かれすき焼きの用意がされている。
酒で乾杯のあとは宴は佳境に入る。マツタケ独特の香りが当たり一面に広がり、
その味わいはそこにいる人でなければ分らない独特なものであった。
親しい人たちの集まりであり、そこには何のわだかまりも無い。ましてお酒による開放感は本当にすべてを忘れた楽しいひと時でもあったのである。

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