波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

オヨナさんと私   第66回

2010-02-12 09:51:33 | Weblog
翌日、オヨナさんはここ伊部に伝わる「古備前」の記念館を訪ねた。古くから岡山には中国地方の北からの良質の砂鉄を利用して刀が作られていた。「長船の名刀」と呼ばれるものがあったことを聞いたことがある。館内は人気が無く、静まり返った中に幾振りかの刀が陳列している。その一つ一つは見事なまでのそりであり、光を放ち見るものの心を突き刺すようである。好きな人にはたまらない光景であろうか。オヨナさんは見ているうちに何か吸い込まれるような、ある種不気味な気持ちになり、その場を離れて外へ出た。
岡山は自分にとって、第二の故郷であった。台湾を出て、日本へ来ることになった時、紹介を受けた人が岡山の人であり、始めての日本での生活が岡山であった。
そんなことで久しぶりに来た岡山は懐かしく色々な思い出がよぎって思い出されていた。
しかし、それらの大半は苦しかったこと、つらかったことであり、楽しかったことや嬉しかったことは殆どなかった。だからあまり思い出したくないことが多いのだが、その中で一つだけ残っていることがあった。高校生の時の同級生である。彼女は東京から疎開していて、友達が少なかった。日本語のあまり出来ない自分の面倒を他の誰よりも見てくれて、気がつくといつもそばにいて通訳のように教えてくれていた。都会育ちの色の白い面長の美しい姿が今でも目に浮かぶ。今思えば初恋のような、心をときめかせた最初の女性だった。
「そうだ、彼女のことを知りたい。元気でいるかな。確かこの地元の会社に就職していると聞いたが、まだいるだろうか。」急にそわそわと手帳を取り出して調べ始めていた。
「ダメでもしょうがない。一度電話して確かめてみよう。」勇気の要る決断だったが、受話器を取った。「そちらにこ児馬さんと言う方は居られませんか。」「児馬、何といわれますか。」「児馬万里子さんです。」「ちょっと、お待ち下さい。」少し間があった。
「児馬ですけど」懐かしい声、その声は昔と少しも変わらず、一気に何十年も前にタイムスリップしていた。「ヨナです。台湾のヨナです。」「えー。ヨナさん、本当に」そして声が消えた。「ヨナさんなの。懐かしいわ。今どこにいるの。」「岡山に来ました。」「岡山のどこなの。」「駅の中です。どこか分りません」「それじゃあ、改札口のところにいてください。じっとして動かないで、後10分もしたら着くから」彼女の声が弾んで聞こえた。

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