波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「お彼岸」

2015-03-27 10:37:40 | Weblog
 今年は昨年より寒さが厳しかった気がしていたが、この季節になると不思議に和らいで春を思わせ暖かくなる。「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言い表したものと今年も墓参を計画した。我が家の棚には亡き父、母、妻、そして子供が無くかわいがってくれた叔母の写真が置いてある。毎日祈るわけではないが、写真を見るたびに自分を愛し、育て慈しんでくれたことを思い感謝している。特に父の無言の遺影は見るたびに語りかけるものを感じて意味深い。
今日の新聞のコラムに「私は親から受けた遺伝子のおかげで内臓の病気をしたことが無い。血圧降下剤も飲むことは無い。健康診断も70歳から受けていない。人間は適当なときに死ぬのがいい。そしてその時は神様がお決めになると思っているからだ。」とあった。
しかし、普通の人はそうは思わない。むしろ一日でも長くこの世に生きたいと願って、あらゆる検査や薬、健康法を取り入れて治療にあくせくしている。そして又医者、メデイヤ
、その他の医学書もいかにもこうすれば長生きが出来るようなことを書き立てている。
しかし、結局は「死」への道を歩んでいるのである。この事実は変わらないのである。
若いときであれば家族への責任があり、その責任を果たすべく健康を維持することに専念する義務もあるし努力も必要であろう。しかし平均寿命を達成すれば、後は神からの
「ボーナス」として感謝して考えるべきであろう。
さすれば少々の身体の欠陥は当然であり、その修理のためのエネルギーも程々と考えても良いのではないだろうか。又、何もしてもその効果はさほどに関係は無いと考えるべきだろう。つまり自然体でのこの世の生活を全うすることが大事であり、その時間を無為に過ごすのではなく、「飛ぶ鳥跡を濁さず」の例えどおり、すがすがしくこの世を去ることに
思いを馳せることだと思う。
お彼岸で墓参をしながらそんな思いでその日を過ごしていた。