波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

    思いつくままに   「春よこい」

2015-03-07 10:44:42 | Weblog
小学生のころ、「春が来た。春が来た。るるr~」と歌ったものだったが、3月になると急に春を感じるようになった。晴れた日の朝に窓の日差しが指して来ると心なしか、2月の日差しと違い暖かさが増しているように3月の日差しを感じるのが嬉しい。
今年は12月に体調を崩したこともあり、冬篭りの生活を余儀なくされたこともあってこの3月の春の暖かさが身にしみて元気を与え力づけてくれる気がしている。
人は生きている限り大きな重荷を背負わされていることは避けることの出来ない任務である。そしてそれはその人の得意な面、おかれた環境によって一人一人に仕事として命じられていることでもある。そしてその仕事は目に見えない形で神によってあたえられているのだが人はそれを見過ごしたり、見ても見ない振りをしてしない人もいる。しかしそれを命じた神はそれをじっと見つめておられることを感じるのだ。
そして神の目を感じる人は他人の仕事を羨んだり、自分の課せられた仕事を疎んだりせずに専念するのであある。つまり私たちは神の道具として登録されて一人ひとりが任務を持って生かされているのである。
金槌とのこぎりが別々に使われるように使われていることを知らなければならない。
そしてその成果は順境にある人よりも逆境にあって生きているひとのほうが強い人格を作ることになることが多いのであるが、逆境に負けてしまう人もあることは残念である。
春は色々な意味で意欲を持たせてくれる時でもある。人はその環境を自力で変えることが
出来ないで流されることが多いのだが、この時期には新しい希望が芽生えるときでもある。学生が受験をして新しいステップを踏むのはまさに典型的な姿だが、
それぞれが芽生えてくるものを大事にしてそれを育て成長させることが大事なことだと思う。自分の目指す方向へ向かって歩みを止めないで少し筒前進することを止めないことだ。誰にも知られず、誰にも分からないかもしれないが、見ている神の目がある事を意識したい。春はそんな気持ちにさせる大事なときである。
無駄に時間を過ごすのではなく、全てのことに意義を持たせて過ごしたいものである。