波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

オショロコマのように生きた男   第87回

2012-04-06 14:35:27 | Weblog
宏は病院で手当てを受けて意識を回復した。しかし身体の状態は全く変わっていた。脳梗塞特有の半身麻痺が起きていて身体は
以前のようには動かすことは出来なかったし、当然ながら絶対安静であった。病床には家族が付き添い心配そうに見ているが、話すことも出来ない状態だ。医者は「命に別状ないのでご心配要りません」と告げていた。久子を中心に家族はほっとしたが、
このままにしておくことは出来ない。身体の回復を待って千葉へ連れて帰らなくてはならない。その相談をした。
宏にすれば隠すつもりはなかったのかも知れないが、やはり家族には言えない秘密がこんなことから明らかになってしまったことを皮肉に思っていた。彼の思いは順子と幼い子供にあったが、今自分のおかれた立場と状態では何もすることが出来なかった。ただぼんやりと何とかしなければと思いつつも、変わり果てた自分の姿を省みるのみであった。
家に帰った順子は、宏のいなくなった部屋へ帰ると急に寂しさと心細さが襲い、その場に泣き崩れた。「何故こんなことになったのか、何が悪かったのか、どうしたらよいのか、」今までの幸せな時間が嘘のように静まり返り、ただ涙があふれ止らなかった。宏はベッドで落ち着いてくるに従い、自分の体のことを考え始めた。医者は「身体の回復については確実な話はなかった。」回復次第で次第によく良くなるだろうとは言ったが、何処まで良くなるかということについては具体的にはいくら効いても何も聞くことは出来なかった。「自分はどうなるんだろう。」と言う漠然とした不安が頭にあり、何も考えることは出来なかった。今までのことが思い出され、いろいろなことが頭に浮かんでくる。しかしそれらは全て虚しく自分が動けないことがもどかしかった。今まで健康であったことが不思議であったし、何故突然こうなったかその事はとても考えられず、心当たりもなかった。又、今まで身体を心配したことがないだけに、今の自分を振り返ることが出来なかった。
一年前に目がかすみ、見えるものが白く見えるので調べた結果、白内障だと分かりその手術を受けたことがあった。主述は順調であり、以前より視力が回復した。自分は若返ったかのように自信を持つことが出来たし、血圧も心配したことはなかった。
元来酒を飲まないことで健康にも自信があった。そんなことが年齢を忘れさせていたのかも知れない。宏はその時すでに70歳を迎えていた。