波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2012-04-04 10:36:46 | Weblog
「人は見た目が9割」という本があるそうである。そしてこの本がベストセラーで売れているとも聞いた。
「あなたはどう思いますか?」と聞かれたとすれば、自分はどう答えるだろうかと考える。もっともこの本の内容を読んだわけではないので、軽率なこともいえないのだが、正直答えるのに迷う気がする。
「見た目」は確かに人と接するときの大きな要素であることは間違いない。そしてそれは主にその人の肉体的な器量をさしていることが多い。目が大きいとか、背が高い、スタイルが良い。それらは確かにその人の運不運を左右する部分もあり、相手に対する印象には大きな影響を与え、時にはそれが条件となってその人の将来を決めてしまうこともある。
それには親のDNAによる影響も大きく、芸術家であれ、政治家、教育家それぞれにその血を受け継いで生まれ育っている。
しかしそれで人を結論付けてしまうことは、人の人生が「見た目」や「DNA」で決まってしまう錯覚をもつ気もする。
それは不公平でもあるし、本当の人の価値を決めるものではないと思う。その見かけには持って生まれた部分以外の後天的な要素が多いのだから見かけはその人の責任でなければならない。
だからそのうちに秘めた才能、表現、思想、教養などの総合的なものが集約されて本当の「見かけは9割」が正解になるのではないかと思っている。
話は変わるが、自分を鏡で見つめる時間の長いのは女性の本能であろうか。(男でもいないことはないだろうが、特別なナルシスト以外には考えにくい)それは決して悪いことではないとおもう。まして歳をとってくると男女を問わず、そのことはおろそかになりがちである。しかしここで大切なことは「見た目」を気にするのではなく、「身だしなみ」に気を配ることだと思う。
どんな環境、どんな境遇の中にあっても品のよい、生き生きとした(背筋を伸ばした)姿勢を持った老人でありたいと思うのだ。ある老人が60歳を越えた頃から自分の部屋に10枚くらいの鏡をおき、常に自分自身を意識した生活を始めたと言う話を聞いた。新しい服を買うとか、おしゃれにお金を使うとか言う前に、常に自分自身を意識して磨く気持ちを持つことも大切だと言うことを教えられた気がしている。「見た目が9割」ではなく、「見た目は自分で変える」が私には理解できる気がするのだが、いかがでしょうか。