波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 オショロコマのように生きた男  第88回

2012-04-09 14:17:40 | Weblog
元気であったオショロコマもすっかり歳を負っていた。しかし当の本人はそのような意識はなく元気であり自信があった。
元来同じところにじっとしていると言うタイプではなく、自由奔放に泳ぎまわり、好きなところへ行くことが好きだった。
風の吹くまま、気の向くままにの言葉ではないがそこに逡巡はなかった。だから「明日から出社に及ばず」と言われたときも
それほどのショックはなかった。むしろ何故俺が辞めなければいけないんだという開き直りに近い不退転の強さがあった。
その後、あちこちの会社を転々としながらもその精神は変わらなかった。彼には自分の殻にとじこもり、じっと我慢したり
妥協したりする気持ちはなかった。それはまさにオショロコマがその川で自由に泳ぎまわる姿そのものであった。
河口に近いところまで出てゆき、まさに海流に泳ぎださんかの元気さであった。
しかし、生あるものは何時か衰え滅びるのである。彼の頭にはその意識が薄かったことは事実であろう。こうして病床に横たわり不自由なからだになって、初めて知る意識であった。「もう誰とも会う気もない。」まして見舞いなど受ける気もない。ただあるのはもう一度元気になり、今までのように動きたいと言う思いだけだった。だから久子から話があっても、今までのことをわびる気持ちもなければ、後のことを頼む気持ちにもなっていない。ただ、頑固に今までの権威を保とうとするばかりであった。久子はそんな宏の姿を見て、次第に心を固めていた。しかし自分の気持ちを誰かに聞いてもらいたかった。
とはいえ、そんなに誰でも話の出来る人間もいない。そして頭に浮かんだのは村田だった。「村田さん、野間が倒れたの。今はお陰さまで落ち着いて療養しているんだけど、暫くかかりそうなの、突然だけどお話したいことがあるので、」と電話した。
すっかりご無沙汰になっていた村田は突然の電話に驚いた。想像できない出来事であり、信じがたい内容でもあった。
千葉の事務所には久子を始め家族が全員そろっていた。しかしその表情には悲しみの色は見えなかった。その雰囲気は納得でもなければ、当然でもない意味不明な空気が漂っていた。「あの人は群馬の女の人からの知らせで倒れたことを知らされたんです。すぐ皆で病院へ駆けつけ手当てを受けた上で連れて帰りました。」と久子は話し始めた。
努めて冷静に話すその言葉には、諦めとも悔しさとも取れるものを感じた。「今は落ち着いてリハビリをすることが出来るようになり、見舞いに行きながら様子を見ています。」