波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            思いつくままに      

2012-04-18 09:47:36 | Weblog
人は生きていくために大事なことがあるのだが、その中に「人に裏表があるのは良くない」という事を聞いたことがある。
小さいときに親からも聞いたような気もしている。また、少し違うが「外面は良いが、内面が悪いのよね」と言う事も聞く。
二つの事柄は似ているが、少し意味合いが違うような気がするので、ここでは「人の裏表」について考えてみたい。
例えば子供でも先生に話す時と友達に話す時とでは子供の言葉使いが違うのは裏表がある証拠だという人がいるが、それは
同じであるほうが可笑しいのであって、違うのが当たり前であると思う。
人は色々な人と出会い、その都度その場面で言葉を選びそれを豊に使いこなすことが出来る人が良いとされ、そしてその人の
文化度を測り、ある意味芸術的だとも思わされるのではないだろうか。(話術?)
しかし、人は誰でもいつも同じ気持ちでいるわけではない。機嫌の良いときもあれば悪い時もある筈である。しかしどんな時でも機嫌よく人に接することが出来るのが「愛」であると、聖書も教えている。(礼を失せず)
だから人は断じて「裏表」を持つべきであり、持たなくてはならないのだろうと思う。
それは言い換えれば、それが人間の理性的な愛の根拠と表現を持ち合わせていることの証明であり、逆にしたい放題、
言いたい三昧、では混乱と摩擦、そして恨みが残ることになるのではないだろうか。
しかし意識して裏表を使い分けるのもそう簡単ではなく、意外と難しいものであることは皆さんも経験から知っておられることと思う。
私の知っている人が、私と話すときには殆ど本音であり何もしても絶対に褒めることがなく、バンバン嫌味や悪口を平気で口にする。良いことをした時ぐらい褒めてくれてもいいじゃあないかというと、「すぐ調子に乗るから駄目」といって取り合わない。聞いているうちに腹が立ち、いくら親しくても少しは遠慮したらどうだと言うと、「あなただから言いたいこと言ってるの、他の人には絶対言わないわ。だから安心して」と訳の分からないことを言ってけろっとしている。
裏表を完全に把握して使いこなし、私を相手に日頃のストレス解消を図っているようだ。
そして「あなたの顔を見ていると、つい言いたくなっちゃうの」とも言われてしまう。それじゃあ俺はサンドバッグ代わり
かと少し悔しいが「まあ、いいか」と自分を慰めている。