波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

          白百合を愛した男   第24回

2010-09-10 09:20:16 | Weblog
悪夢のような一夜であった。美継は無我夢中で消火活動で家の周りを巡っていたが、所詮はどうにもならなかった。全焼した我が家を呆然と眺め、夜明けと伴に佇むだけであった。
すっかり変わってしまった焼け跡には、唯一つ金庫だけが形として残っていた。そこには会社の書類と現金が納められていた。高熱にも耐えられると保証されて購入したものであった。美継はそっと、その金庫の鍵を開けた。厚い扉を開けて中を見る。しまわれたままの状態ではあるが、それは灰の状態であり、扱えるものではなかった。限度を越えた高熱が続き、完全に蒸し焼きになっていた。全てはあきらめるほか無い。無事に生き残ったことを
喜ぶしかないことに気付いていた。そして我に返ったように公園へ急いだ。僅かの道が遠くに感じた。無事でいるだろうか。何処に逃げたのだろうか。行く道筋にはあちこちで同じように家族を探すもの、傷ついて肩を借りて歩いているもの、歩けなくなり、道の端に座り込んでいるもの、真っ黒に焼け爛れて倒れているもの、様々であった。
公園には多勢の人が右往、左往している。逃げ遅れてどこかで倒れているのではないだろうか、どこかで怪我でもしているのではないだろうか、木の影、建物の中と人を掻き分けながら歩いた。そして滑り台のそばでぼんやり立っている親子の姿を見つけることが出来た。
「無事だったか」思わず駆け寄り、子供を抱きかかえた。子供は父親の姿を見た途端、大声で泣き始めた。嬉しさと、緊張が解けた安堵感に三人は暫くそのまま抱き合ったままだった。助かったことが不思議であった。その夜の下町だけの爆撃による死者は何万人といわれ
明治座に逃げた人たちは殆ど助からず、学校、その他安全といわれて逃げた建物での人たちは殆ど助からなかったといわれている。むしろ外にいて、火の危険を避けた人のほうが助かる率が高かかったといわれ、実継は不思議な神の導きと予感が当った事を不思議な思いで感じていた。
着の身着のままの状態で歩き始めた。道筋に横たわる人があまりにも無残なため出来るだけ目をそむけ、見ないようにするしかなかった。何処に行く当ても無かったが、妻の妹の住いが飛鳥山の方にあり、とりあえず、其処へ行くことにした。リュックを背負い、子供の手を引き、三人は歩き始めた。昭和20年3月21日の朝のことである。