波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

        白百合を愛した男   第23回           

2010-09-06 09:25:29 | Weblog
この界隈は関東大震災で丸焼けになった後、見事に復興し下町情緒の溢れる町として栄えていた。自宅から一キロも離れてないところにある水天宮は大勢の参拝客で賑わっていた。何しろ岡山の田舎から美継の母が出てきて長男のお祝いに額を奉納するほどで、毎日のように出かけていたものである。明治座への道筋にも色々な店が軒を連ね、客を呼び、中でも甘味を得意とする店が客を呼び、その近所にあった置屋の芸者衆も多勢出入りをするのが見られたのである。この夜の空襲は熾烈を極めていた。何時終わるとも知れない爆撃は果てしも無く続き、町をことごとく焼き払っていた。美継はどうにもならないことを知りながら消火活動を続けていた。公園もごった返しの状態であった。逃げ惑う人の波にもまれながら、公園事務所、プール付近、遊具の間、砂場、木々の影とさほど広くは無い場所を彷徨うように歩いた。安全な場所と思われる所が見つかったわけではない。ただ、美継の「公園にいなさい」の声だけが耳に残り、ここにいなければと思うだけであった。
やがて導かれるように「滑り台」のところに通りかかった。その裏側に小さな場所が見つかり、ちょうど二人が其処に何とか隠れるように入れるところを確保することが出来た。
火の粉が飛び込んで危険が無いわけではなかったが、防空頭巾と毛布を親子で被り、非常用の水を片手に震えながらの一夜を過ごしていた。激しかった爆撃もいつしか静かになり、あたりの火の勢いも次第に小さくなってきた。一睡もせず、火の粉をよけながら其処を離れる事が出来なかった。暗かった空が、白々となり、明るくなり始めた。ようやく爆撃と火の粉の恐怖を逃れることが出来たのだ。「助かった」ただそれだけの思いだった。「怪我をすることも無く、死ぬことも無く生き延びた。」そんな思いをじわじわと体中に感じていた。
硬くて冷たい滑り台の後ろから顔を出すと、あたりはしんとして誰もいない。しかしよく見ると、あちこちに倒れている人や怪我をしている人がいる。倒れている人はそのまま動かない。生きているのか、死んでいるのか、それすらも分らない。
「主人はどうしているのだろう。」小さい子供も「お父さんは」と聞いてくる。やっと我に帰るように意識が戻ると、急に夫の事が心配になってきた。「大丈夫だったのかしら、ここが分るのかしら」自分の家の事が気になったが、ここを動くと、会えなくなるかも知れないと思うと、何処にも動けなかった。