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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

ニュートラルな生活

2011-08-13 15:50:47 | 自分について
昨晩、部屋でぼーっとしていたら、中学校の同級生から電話が突然かかってきた。
お盆なんで、地元(山口県)で同窓会をしていたらしい。僕は、山口県には
中学と高校の5年間住んでいたので、それなりに思い入れはあるのだが、
もう山口から引っ越して、20年以上経っていて、電話でクラスメートと
話とかしたんだけど、なかなか顔が浮かんでこなくて困った。懐かしくてよかったんだけどね。

先週の日曜から、酒も飲まず(ノンアルコールのビールは一度飲んだが)、
タバコもやらず、肉もあんまり食べず、野菜を食べ、飲みにも行かず、夜もでかけず、
暇を見つけてプールに行き、思い立てば街を歩き、と修行僧のような生活を
送っている。痩せようと思ったことと、来週健康診断受けるのでその準備みたいなもんだ。
夜も、早く眠るようにしている。で、思ったのだが、こういう生活送ると、
人生かなりつまらない。ホント、味気ないと思う。やっぱ、毒とか、刺激が
生活には必要なんだよな。

まあ、そんな清らかな生活を送っているので、ちょっと試しに
昔から苦手だった槇原敬之の曲を聴いてみた。たまたま、家に、最近の
ライブCDがあったんで。で、思ったんだが、なんか歌詞が、
自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったり、自分を反省したり、あと自分を
恥ずかしがったり(相手に迷惑をかけたりとかそういう原因)、とか
そういうのが多くて、自分には無理だと思った。
そもそも自分を恥ずかしいとかって思わないしな。

で、雑誌BRUTUSを読んでいたら、快適な睡眠を誘う音楽として
紹介されていたHELIOSの一曲。



知性と知識とコミュニケーションと

2011-08-07 13:53:50 | 自分について
のっけからよく分からないのだが、知り合いの書いた文章
を読んでいたら(ホームページに載っていた)、なんか
「ポストコロニアリスム」とか、「大きな物語」とか
訳のわからない、小難しい単語がたくさん並んでいて、
実際として何が言いたいのか分からない文章だった。
しかも、それがイベントの告知。でも、そのイベントに来る人たちも、
ポストコロニアリスムの時代に云々かんぬん、とか
そういう議論が好きな人たちなんだろうか?と考えると、
そこはかとない嫌悪感が・・・。

そもそも今頃、ポストコロニアリズムなのか?

知り合いはもともと普段から、「馬鹿は相手にしない」みたいな
態度を取る人だったので、まあ、本人的には普通の文章なんだろうな。
僕はコロニアリズムもポストコロニアリズムも本で、ちょこっと
読んだだけなので、実際に体験したとか、強烈な実感があるとか
そういうこともないので、逆にそういうことを堂々と話している人を見ると
なんだか引いてしまうのだ。


ふと思い立って

2011-08-01 23:32:13 | 自分について
週末に女の子から、デブ呼ばわりされてしまった。
すげえ、ショック。今までデブとか言われたことなかったのに・・・。
まあ、確かに中年太りの傾向はあるよな。やばい・・・。

とそれはそうと、ふと思い立って、一番最初に勤めた会社で
友人になって、現在米国に住んでいる友人(女)に久しぶりに
電話してみた。彼女が米国に行ってからも葉書を出したり、
たまに電話をしたりしていたのだが、去年の夏ぐらいに大阪から
電話して以来、音沙汰がなかったので電話してみたのだ。

気になっていたのは、彼女は東北の福島出身で、今回の
東北大震災や原発事故で家族とか親戚とか被害にあったんじゃないかな、
ということで。僕が言うのも変だが、変な奴で、いつも
発言に呆気にとられることが多かったのだが、だから、
友達として長く続いていたんだと思う。
ということで電話すると、いきなり、「この番号は使われていません」
との英語のアナウンスが・・・。いつの間に?引越し?帰国?
変更番号の案内とかないのか?

自分のラリーに出よう

2011-07-27 14:38:44 | 自分について
最近は身辺がいろいろ騒がしいが、昨日、出身大学の関西地区同窓会
というのがあって、珍しく、出かけていった。まあ、大学の同級生が
大阪に住んでいて、「参加するから一緒行かない?」と誘われたので
自分も行ってみただけなんだが。

行ってみると、昭和50年卒とか昭和35年卒とか
大先輩ばかり。かつ、大企業の幹部系がたくさんきていて非常に気後れした。
自分の勤める知名度のない会社の名刺を渡すのも気が引けるぐらい・・・。
右隣と左隣のおじさんに名刺を渡したが、ああいう集まりは行くもんじゃないな。
人生に成功している人々の自意識の公開場、みたいなもんだもんな。

スピーチをした人の中に、某高等裁判所の判事になった人がいた。
「この方は大変な苦労をして判事まで上り詰めた」みたいなことを司会者が
話していて、ふと思ったのだが、やはり偉い地位に上り詰めるには
みんな大変な苦労をしているんだな、と。それなら、僕は偉い地位には
上り詰められないなあ。というのも大変な苦労を仕事でしていないからだ。
いつもこんなんでいいんだろうか、というぐらいなんか楽しているような気がする。

で、今日は今日で、仕事の関係で某新聞社の偉い(んだろう、きっと)おじさんと
話したのだが、話が偉い面白かった。たいてい僕は会社の上司とか上層部と
話す機会があっても、話が退屈ですぐその場から逃げたくなるのだが、その
新聞社のお偉方は無茶苦茶面白い人だった。ああいうおじさんになりたいもんだ。

で、家に戻って本を読んでいたら、次のような一節があった。

すごい人たちはたくさんいるけど、私はその人たちの仲間になれるとは
限らない。私は私のラリーをやるんだ。東京に戻って自分のラリーをやろう。

自分のラリーをやろう、というのはいい表現だなあ、と思う。


身だしなみ

2011-07-23 02:02:49 | 自分について
最近、自分の身だしなみを考える機会があったのだが、
(というか考えざるを得ないような機会)、かなりきついものがある。

まあ、40過ぎると男のファッションは迷走し始めるもんだが、
もともと九州の片田舎の育ちでセンス悪いし、体型だってずんぐりむっくりで、
スーツが似合うわけでもない。で、そのうえ40過ぎて、加齢で白髪とか
ちょこちょこ出てきたし。って書いていて悲しくなってきたぜ。

とはいえ、近所のスーパーで、放り出されているように売られている
何のひねりもない、安っぽいTシャツとかは買う気がしないのだ。
ということでデパートにポロシャツを買いに行ったのだが、
なんかフロア自体が20代男子、かろうじて30代をターゲットにしたブランドばっかで
げんなりしてしまった。昔から知っているアニエスベーとかラコステとかあったが、
どうも気後れして入りずらい。そう考えるとスーパーの衣類って、
妙にお高くとまってないし、蚊取り線香のコーナーの隣に平気で
シャツがぶら下がってたりするから、買うのはラクだよな。

大阪で思ったのだが、服屋の店員がわりとかっこ悪い人が多いような気がする。
東京とか福岡とか容姿に恵まれた人が店員をやっているので入りずらいこと
このうえないのだが、大阪はそこらへんゆるい感じ。でもやっぱり入りずらいが。

文学や演劇に求めるもの

2011-07-17 01:31:03 | 自分について
今日は、夕方から梅田まで行って久しぶりに演劇を見てきた。
昔からよく知っている劇団で、東京にいるときはちょくちょく見ていた劇団だ。
で、感想はというと、笑いあり、ロックあり、テンポもあり、
なかなかよかったのだが、どこか、全体的に違和感があった。

よく考えてみたら、メッセージとか、作家の思考を、そのまま直接的に
役者にセリフとして話す、という部分が引っかかったんだと思う。
昔、某有名作家の演劇を見ていたら、「宇宙って○○○」とか
「孤独って○○○」とか思いっきり役者がセリフとして話していて
非常に興ざめしたことがある。挙句の果てに、「日本文化では~、
でもフランス文化では~」とか日仏文化の違いを説明したりして。
文化の違いは説明するものじゃなくて、表現するものだろうよ。

そう考えると、マルグリット・デュラスのテキストやシナリオは
本当にすごいと思う。誰も何も語らない。何も直接的には書かれない。
しかし、そこに、完全な錯乱、自己破壊、底なしの絶望、孤独が伝わってくる。
たぶん、デュラスの小説を読んで読者が感動するのは、やはりそこに
本物の絶望があるからなんだと思う。


変な文化の匂い

2011-06-28 14:40:48 | 自分について
ある人のブログを読んでいたら、「変な文化の匂い」のする文章は
いやだ、というようなことが書かれていた。
はっとして自分の書いた文章などを読んでみたら、まさに
「へんな文化の匂い」がして、たまったもんじゃなかった。
教養も大してないのに、理屈っぽかったり、難しい言葉を使ったり、
分かってもないのに、人の名前を出したり、と。結構ひどいのだ。
もっと正々堂々とちゃんとした文章が書ければ、と思う。
他人の意見ではなく、自分の意見を自分の言葉で伝えること。
分かりやすく、ストレートで、生きることと同じように
文章を書くことができればいいと思う。

4半世紀(2)

2011-04-22 15:43:43 | 自分について
ということでどういう風の吹きまわしか、中学3年の頃の同級生2人と
渋谷で飲み会する。四半世紀ぶりの同級生は、やはりアラフォーの
風体は見せつつ、当時の面影もちゃんと残っていて、そんな変わっていなかったのだ。

客観的に見ると、中学の僕は陰気で、おどおどしていて、おまけに
自己否定がひどく、でも自意識過剰で、今考えると友達なんかとうていなりたくない
タイプだったように思う。実際友達も少なかったしね。
そんななか、大して仲もよくなかったのにこうして飲み会に声をかけてくれた
クラスメートにちょっと感謝してみたくなった。
たわいもない、同級生の消息とか、好きだったアニメやマンガの話とか
そういう話で何時間も喋ってしまった。過去はいやだが、過去を誰かと
共有できるっていいなあ、と思う。

4半世紀

2011-04-20 14:17:19 | 自分について
今日歯科で親知らずを抜くだの、抜かないだのそういう話を歯医者としているとき、
「親知らずは、40ぐらいまでは成長するんですよ」みたいなことを言われ、
「いや、もう俺、42歳だよ」と反論しようと思ったが、別に言っても
しょうがないので、「はあ」と黙って聞いていた。

とそれはどうでもいいのだが、明日東京に行って、細かい私的な用事を
済ませた後、四半世紀ぶりに中学のクラスメート2人と呑みに行くことに
なった。今年になって始めたミクシィ(しかも今はもうやっていない)で、
偶然つながった同級生だ。

懐かしいんだが、実はあまり覚えていないのであって見分けられるか
どうかが心配だ。向こうも僕のことが分からないだろうが。
何しろ、中学の頃の僕はやせていて青白くてひょろひょろっとしていたから。
しかも、そのクラスメートたちとはそんな仲が良かったという
訳でもない。
と、そんな事情なんだが、なんかあってみようという気になった自分に
驚いている。普段は人と会うのがすごい億劫で、仕事じゃなかったら
全然人の中にはいって行かないような性格なんだが。


希望と笑顔はどこに?

2011-03-30 13:53:38 | 自分について
種さんのオフィシャルYOUTUBEサイトができたので、
ここにリンク貼っておきます。

http://www.youtube.com/user/tomokotane#p/a

こんな日本だけれど、希望と笑顔にはどこに行けば会えるんだろうか?
アマゾンで『「アナール学派」と社会史』という本を買って読み始めたが
あまり心がうきうきするような本でもない・・・。

メールでフランスの友人から連絡が来た。東電の対応のまずさを指摘しつつ、
フランスでも同様の原発の災害が起こる危険性を指摘するような記事だ。
そして家に戻ると、ノルマンディーのカーンに住む古い知り合いである
おじいさんから手紙が届いていた。僕が大学生の頃知り合いになったから
もう20年も知っている人だ。原発の事故とか、僕のことや日本のことを
いろいろ案じていた。

明日は東京で開催されるシンポジウムを聞きに行く予定なんだが、
いまだに中止になるかどうか分からない。有給休暇も取ったし、
明日の朝、行くかどうか考えるか。

言語感覚

2011-03-21 13:52:16 | 自分について
地震と津波から10日が経った。地震よりも恐ろしいものは津波で、
それと同じくらいの恐怖は原発の放射線漏れだった。僕は
神戸の阪神淡路大震災のときに海外に留学していたので
あのとき日本がどんな状態だったのかよく知らないのだが、
被災した人には一刻も早く安心できる生活が戻ることを祈るのみです。
そして被災しなかった人、僕も含め、この状況を克服するために
何か役に立つことはできないのか、と思います。

それとはあまり関係ないのだが、僕は「がんばれ」という
言葉が好きじゃない。なんか、がんばるかどうか、というのは
個人の自由であって、逆に、「がんばれ」と言う人は、がんばらなくて
いい側にいて、がんばらない状況にいる人をがんばらせている
だけのような気がする。というか、がんばるときは人から言われなくても
がんばるよ、ってだけの話なんだが。

「やばい」という言葉もあまり好きではない。というか
何がやばいんだか、よく分からないし。昔、仕事の関係で
某キュレーターに会ったとき、「私の企画はかなり過激ですよ」
と脅されながら企画書を見せられたので、僕はてっきりトリアー監督のような
展覧会の企画かと思ってみたら、全然普通の保守的な企画で、
どこが過激か分からなかったのだが、「やばい」を連呼する人は
それと同じような気がする。そういえば、昔、「やばい」という
名前のバンドが身近にいたのだが、おまえらのそういう
ネーミングのセンスのほうがやばいだろ、と突っ込みを入れたのを
思い出した・・・。

アイデンティティーの問題

2011-03-06 15:24:04 | 自分について
去年一年読んだ文献の中で一番心に残っているのはフェルナン・ブローデルの書いた

「フランスの歴史はない、ヨーロッパの歴史があるのみだ」

という言葉だ。社会史の大家である彼は、国家によって歴史が
分断されて、国家によってその時々で恣意的な解釈が与えられる歴史について
上のように述べている。たとえばフランスに起こったある歴史的な事象は
実はドイツで起こった別の出来事と同期したり、もしくは影響を受けながら
成立し、存在していくのだ。
これを日本に置き換えると、
「日本の歴史はない、アジアの歴史があるのみだ」
そして
「アジアの歴史はない、そこには世界の歴史があるのみだ」
ということになる。

いつかある雑誌を読んでいて、中国人留学生が中国人とか日本人とかそういう
枠にとらわれたくない、コスモポリタンになりたい、と答えていた。
僕も20代のころは一時期そんなことを考えていた。しかし、今思うのだが、
ある人間がコスモポリタンなんてことはありえなくて、
出身国や、教育や、現在居住している国などさまざまな影響を受けて
重層的なアイデンティティーで存在しているに過ぎない。たとえば
僕は、日本人である、というアイデンティティーの下に、
鹿児島県人である、というアイデンティティーもあるし、また無宗教である、
というアイデンティティーもある。またアジア人というアイデンティティも。
逆にそういった自己の属性から人間が逃れられないのだと思う。
もちろん、一つの国の価値観にとらわれるような偏狭な人間になりたくない、
という意味でコスモポリタンになりたい、と言っているのかもしれないが。

などとつらつら書いていたのだが、アイデンティティと歴史のことを
うまくまとめようと思ったがまとまらず別々に書いてしまった。

ポーカー

2011-02-10 14:30:25 | 自分について
年度末で毎日のように残業し、かろうじてスーパーが開いている時間に
仕事を終え、ノロノロとかなりだらしなくスーパーの惣菜コーナーに
できあいのおかずを買いに行くと(かなりここまでで、終わっている中年のイメージ)、
なんか大学生ぐらいの男女が数人、屈託のない笑顔を浮かべながら
酒やらスナックやら惣菜を買っていた。
いいなあ、これから家で飲み会とかやるんだろうか。

で、思い出したのだが、僕も大学生とか20代の頃は友人の家に行って、
ポテトチップスとビーフジャーキーとそのほか変なおつまみと
チューハイ、ビールで友達らとサークルになって、週末の夜じゅう、
べらべら雑談して過ごしたっけ。別に何のためにもならない、面白くもない
話に夢中になって、眠くなった友人はそのまま床に寝て、起きているやつだけで
そのまま会話を続けたりして。あとみんなでトランプとかしてたっけ。
あの頃は本当、いい時代だったなあ、と思う。

喋りたくて、何か伝えたくて、全然喋り足りないことが多すぎて、
普段は無口なのに酔っ払うと饒舌になる友達とかいたなあ。
みんなどうしてるんだろう、なんて思う。九州新幹線が来月
鹿児島まで開通したら、小学校の頃の担任の先生を訪ねて行きたいとか
思ってるんだ。25年ぶりだけどね、会うのは。

テレビの世界

2011-02-09 14:11:38 | 自分について
今日同僚と昼飯を食べていたのだが、テレビドラマやら
アイドル歌手(しかもK-POP)の話になったのだが、まったく話が盛り上がらなかった。
そもそもK-POPのアイドルグループは雑誌とかで見たことあるが、九州人の
僕からみると、みんな顔が地味すぎてなんでこいつらがアイドルなんだろうか、
と疑問を持ってしまう。それに加えて、もうテレビのない生活を10年以上
続けているので、テレビドラマなんて10年も見ていない。テレビを持っていた頃も、
就職してから外で遊んでばっかりいたので、テレビなんてニュースぐらいしか
見ていなかったが。

だからドラマの話題とかまったくついていけなかったのだ。映画も見てないし。
とここまで書いてから、読み返すと自分はなんてつまらない人間だろうか、
と思えてきたぜ・・・。


帰属感の轍

2011-01-26 14:26:02 | 自分について
タイトルは適当につけてみただけで意味はないっす。

ということで子供の頃から「帰属感」というのが僕は苦手だ。
もともと小・中・高と転校ばかりしていたので、あまり自分の
母校と言うものに愛着を持てなかったし、そもそもある学校と自身を
同一化して、それに深い愛情を注ぐ、というような感情が理解できなかった。
高校の頃の同級生で、学校大好きな人々がいて、「うちの高校は~」みたいな
ことを言っているのを見るにつけ、「こんな学校のどこがいいんだよ?」
などといつも思っていた。まあ、要するに学校に適応していなかったわけだ。

で、それは会社に入ってからも同じで、同期や同僚が
「うちの会社では~」みたいな、いわゆる自身が立派な組織の一部で
まるで組織をしょって立つ、みたいな発言をしているのを聞いて、
なんか違和感を覚えていた。というか自分はそういう言い方はしない。
なんかある組織への帰属ということが嫌なのだ。今いる会社だって
僕はいつ辞めるか分からないし、会社と自分は別物であるはずなのに、
それを同一視して、なんか代表して言うのは(社長ならともかく)、
なんか馬鹿みたいだ、と思っている。

と、そんなどこにも帰属しない(というかしたくない)自分なのだが、
今日、大阪市内で他社との連絡会みたいな会合に出席して、他の出席者から
うちの会社としての意見を求められ、「うちの会社は~なんで~」
みたいなことを言わざるを得なくなり、日ごろのポリシーに反して
会社人間のようなことを言ってしまった。会社員の宿命だがなんか虚しい。
つーか、賃金労働者なんだよ、僕も。