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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

大したことない

2011-01-09 16:08:05 | 自分について
最近思ったのだが、「日本は南北に細長く、北と南では気候も風土も
まったく違います」とかって言う人がいるが、いくら南北に細長いって
言っても、南米のチリに比べるとそんな細長いわけじゃない。
あと、「地方色が非常に豊かで、各地方に独特の文化がある」とかって
言うけど、九州人の僕としてははっきり言って北陸地方と中部地方の
地方色の違い、とかってあまりピンと来ないし、そもそも地方色が豊か、
って言ったらフランスのほうがオーベルニュ地方とか、ピカルディー地方とか
ノルマンディーとかまったく異なった地域が固まっているような気がする。

ということで、なんか、最近、他人の話を聞いても
「そんなん大したことないよ」と思うことが多い。というか昔からそうだが。
というのも今日、フランス人の友人から電話がかかってきて、
友人の知り合いが抗鬱剤の飲みすぎで緊急医療センターに救急車で運ばれたとか、
そんな話を聞いてから、なんか小さなことで悩んだりするのが馬鹿らしくなってしまった。
フランスで薬呑みすぎなんて、ナン・ゴールディンの写真の世界だなあ。
あの薬中とかたくさん出てくる世界・・・。

もう40代か・・・

2010-12-25 16:06:53 | 自分について
こないだ会社の飲み会で、普段あまり接点のない同僚(同世代)
が隣にいたので、苦手だなあ、と心の中で思いつつ、あたりさわりの
ない話をしていたのだが、ひょんなことで歳の話になり、彼が
「実は43歳なんですよ」と言うので、「ああ、僕と一つ違いですね」と返す。
と、その途端同僚はすごいびっくりして、「ええ、42歳なんですか?
35歳ぐらいかと思ってました」と僕に言った。どうも僕のことを30代半ばと
思っていたらしい。すると、向かい側に座っていた、かなり年配の同僚も
「ええ、そうなの? 34か5かと思ってたわあ」と大阪弁でびっくりしていた。

そうか、僕は若く思われているんだな、こんな目の下にクマがあるのに、
と自虐的なことを考えていたのだが、前出の同僚から、
「すみませんが、なんか頭髪に特殊な薬品使ってる?」と聞かれる。
「え?薬品?」と僕は驚いて答えるのだが、すぐに納得。
同僚はスキンヘッドでほぼ髪がないのだ。一つ違いなのに。
とはいえ、僕も薄毛が悩みで、額が毎年広くなっているような気が
するのだが、そういうこともいえない雰囲気だったので、
「いやあ、とくには何も・・・」と言うのでいっぱいいっぱいだった。

20代の前半、最初の会社に勤めていた頃、僕はミスばっかりしていて、
よく先輩の社員から「そんなバカできるのも20代のうちだけだよ。
そのうち相手にされなくなるから」などと嫌味を言われていたのだが、
今も似たようなミスをする。もう40代なのだが。でも別に相手にされなくなるような
疎外感は職場で感じていないので、あのときの先輩の脅しはハッタリ
だったのかなあ、などと回顧したり。

おばあちゃんの思い出

2010-11-15 12:51:12 | 自分について
昨日おばあちゃんのことを書いたので、少しおばあちゃんのことを思い出してみた。
僕が生まれる前に祖父はもうなくなっていたので子供の頃の思い出といえば
種子島にいるおばあちゃんぐらいだ。

おばあちゃんは種子島で生まれ育ったが、教師になるために鹿児島市内の
女学校に通った、当時としてはかなり進歩的な女性だったらしい。
しかし結婚のため、また島に戻ってきたのだが。おばあちゃんは
会話の端々に「内地」という言葉を連呼するのだが、子供なりに
内地というのは九州本土のことをさすのだな、と話すうちに分かってきたっけ。

その本土、鹿児島県の小学校に僕も通っていたのだが、一度、おばあちゃんに
「種子島で生まれたなんて恥ずかしくて言えない」というような趣旨の
手紙を書いたことがある。実際に鹿児島県にいると、本土と離島の壁というの
がかなりあって、小学生でも僕はそれを感じていた。
そうするとすぐおばあちゃんから返事が来た。達筆な字で、
種子島は鉄砲伝来の歴史を持ち、今は宇宙センターもある場所です、
誇りを持ちなさい、というような事が書かれていた。
子ども相手にも真剣な手紙だった。


植物と対話する人

2010-11-14 16:14:39 | 自分について
金曜に会った大学のときの友達はいまだに
わたせせいぞうのハートカクテルが好きだと
言っていたのでちょっと引いた。まあ、いいんだが。
でもバブル引きずってるなあ。

久しぶりに実家に電話をする。電話に出た母親と話をする。
母親が大事に育てていた菊の花が、地元の品評会で市長賞を取ったらしい。
僕は菊の花の枝ぶりとか、咲き方とかがどのように評価されるのか
よく分からないけれど、数年前から母親がかなり本気で菊を育てているのを
知っていたので、素直に「おめでとう」と言った。
実家に帰っていたとき、雨が降ってきたら大急ぎで聞くの鉢を
軒下に移動させるために走っていった母親を覚えている。

ふと思い出したことがある。僕は子どものころ種子島のおばあちゃんに会いに
ほぼ毎年お盆には親と帰省していたのだが、一人暮らしのおばあちゃんの
家に行くとまずおばあちゃんが言う言葉があった。「まあ、庭を見てちょうだい」と。
(種子島の言葉で)
庭にはおばあちゃんが精魂込めて育てたハイビスカスや蘭やアマリリスや
そのほかよく分からない植物の鉢が並んでいた。
そういった植物に毎日水をやるのがおばあちゃんの何よりの幸福だった。

そのころの僕にはあまり理解できなかったのだが、おばあちゃんが亡くなった今、
やはり精魂込めて菊を育てる母を見て実感したことがある。
おばあちゃんは植物を植物として育てていたわけではなく、長い孤独の生活の中で
話し相手として育てていたのかもしれない。何も言葉を喋るわけでもない
植物だけれども。

世界を痙攣させる出来事

2010-09-05 16:20:26 | 自分について
9月末に修論の中間報告を出さないといけなくて、その前に
来週指導教官にドラフトを読んでもらうことになっていて、その
準備を毎日しているのだが、まったく進まない。筆も進まないし、
気も散るし、ロクなもんじゃないっす。何をどう書けば良いのか
考え始めると止まってしまうし・・・。

論文の関係で、フランスの歴史という本を読んでいる。フランス史が
課題になっているわけではないのだが、植民地のこととかがちょっと
関係しているので。そこでこんな一節が出てきた。

フランスの19世紀はよく「波乱万丈の世紀」だといわれる。政変につぐ
政変、革命とその反作用があくことなく繰り返された。しかもそれらが
フランス一国だけで自己完結せず、その一挙手一投足がヨーロッパ大陸
諸国の痙攣を誘発した。
                    ~『フランスの歴史』福井憲彦編

前読んだ歴史書には、フランス革命を社会に投げ込まれた「劇薬」のようなものだ、
と表現されていて、この「劇薬」という表現はなかなかいいなあ、と
思ったのだが、「諸外国を痙攣させる」国というのもなかなかいい。
政治、社会、経済、思想的にフランスは周辺国を痙攣させる国で、それは
フランス革命が過ぎて2世紀がたった今でもまだそうなのだ。
とかいうことが書かれていた。

昔の家族

2010-07-16 17:15:08 | 自分について
かなり昔、というか自分の小さい頃の話を思い出した。

僕は幼少の頃、鹿児島の種子島の片田舎に住んでいて
そこでゼロ歳から3歳ぐらいまでいたのだが、親がどこかから
買って来た「クマ五郎」というぬいぐるみがいつもいて、
そのクマと一緒に寝ていた。または友達代わりに、そのクマの
ぬいぐるみに話しかけていたっけ。

それから家に「ミー子」という野良猫が住んでいて、
その猫が家の中にいつも入ってきて、一緒に昼寝したり、
一緒にテレビを見たりしていたっけ。僕は小さかったので
あまり覚えていないのだが、種子島出身の親がよくそのことを話していたっけ。

子供の頃は猫もぬいぐるみもみんな同じ世界に住んでいて
生きているかどうかとか、人間だとかそうじゃないとか
あんまり関係ない、そんな世界に暮らしていたっけ。
そんなことを種さんのブログを読んでいて思い出してしまった。

http://www.tomokotane.com/blog/

子供のころ

2010-06-12 04:39:02 | 自分について
最近、ツイッタ―のつぶやきに慣れてしまい、
長文を書くのが億劫になってしまった。いかん。
論文もまだ書き始めていないのに・・・・。今年、論文完成するんだろうか。

とそれはそうと、他人のブログを読んでいて僕も子どものころ
のことを思い出した。幼少のころは親に甘やかされて育ったので
それなりに幸せだったのだと思う。

学校に入ってから、急に違和感が出てきて、一気に
人生がつまらなくなった。
できれば学校なんてやめたいといつも思っていた。
早く義務教育が終わればいいのに、いつ思春期が終わるんだろうか、
とかそんなことばかり考えていた。
学校に行くと、なんだか息の根を止められるというか
窒息感ばかり感じていつも居心地が悪かった。できれば
学校のない世界に行きたいと思っていた。

というのも、何か話しても周りの人に通じなかったり、
あと転校が多かったんで、もともと自分はよそ者だという
意識が強かったのだ。それでも無理やり周りに合わせようと
努力をしていただのだが、全然不自然なんでぎこちないだけ。
成績もそこそこだったし、ルックスもパッとしなかったし、
要するにコンプレックスの塊だったのだ。

今思えば、浮いてもいいから自分らしく、自然に生きたらいいじゃん、
と思えるのだが、それに気づくのにどれだけ時間がかかったことか。
などと回想してみた。

人生をさぼっているということ

2010-05-21 00:19:06 | 自分について
今日は大阪出張最終日で、空港で東京行きの便を待っていたのだが
モニターからお昼のワイドショーみたいな番組が流れていた。
芸能人のゴシップとかファッション情報とか、大学生の暇な時期は
面白がってみたこともあったのだが、社会人になってせわしい
生活になってからはほとんど見たことがなかった。今じゃテレビの
ない生活だし。で、懐かしいと思ってみていたのだが、内容は
20年前と何も変わっていなかった。
「俳優のMKとタレントのKYが破局」とかそんなどうでも
いい話題。でも、そんなどうでもいい話題を司会者とか
出演者とか真剣な顔で討議したりする。こんな番組見てるのは
なんか人生の無駄遣いだよなあ、なんて気がしてくる。

それででも、夜、種さんのツイッターなど見ていて、
仕事ばかりして人生をさぼっていると、そのあと豊かな
人生は訪れない、みたいなことが書かれていてちょっと身につまされる。
たしかに、友人と楽しんで話をしたり、バーベキューやったり、
家族で海に行ったり、旅行に行ってすばらしい景色を見たりとか
あまりやっていない。せこく働いているだけだ。まあ、ちょっと
勉強もしているが。人生をさぼっているような気がしてくる。

流動化する未来

2010-05-12 05:57:41 | 自分について
他人のブログを読んでいたら、「下手なやつにスランプなどない。練習すれば
いいのだから」という言葉が出てきて、なんか身につまされてしまった。
十分、練習しないで、「無理だあ」とか言っているかも、自分。

古い友人と新宿のスペイン料理やで食事していたのだが、
大学院を卒業したあとどうするのか?と聞かれる。実は修士はあと
1年足らずで卒業するのだがその後のことをあまり考えていないのだ。
「人生も折り返し地点を過ぎたし」などと言われる。実際にそうなのだ。
今の仕事をずっと続けていくのか、福岡に戻るのか、それとも
また海外に行くのか。でもきっとまだ練習が足りないんだろうな、自分には。

授業出席

2010-04-12 21:42:43 | 自分について
修士2年の初の授業に出席する。昨年取れなかった国際政治の
基礎の授業だ。応用のコースをちょこちょこ取っていたのだが
ベースになる基礎をやはり取るべきと思い出席。
出席してみると、9割は修士1年の学生ばかりだった。

コースの全体のガイダンスのあと、一人ひとり短く自己紹介。
授業を取っているのは15名ほどいて、中には中国の留学生も。
一人、自信家な学生がいて、「この中で僕が一番、政治に近い
場所にいると思います」などというセリフをべらべら喋っていた。
ある意味、うらやましい。

幽霊たち

2010-03-07 00:23:52 | 自分について
昨晩は残業が終わらず、深夜まで仕事場に残り、
帰宅したときにはもう午前1時を過ぎていた。
しかも今日は奈良に日帰り出張のため、朝6時おき。
寝不足のまま新幹線の中で京都まで眠る。

生まれて初めて行った奈良県はなんだか天気が悪く
空が曇り、しかも寝不足だったこともあってあまり
ぴんとこなかった。きっと美しい季節に来たら
すがすがしい場所なんだろうなあ。

帰りの新幹線も雨交じりの東海道を走る。
たまにだだっ広い、誰もいない砂利の河川敷を渡る。
その向こうに工場の影なんかが見える。
ふといなくなった人のことなど考えた。
おばあちゃんとか、おじいちゃんとか。
僕は幽霊と言うのは実際はいないもので、もし
いるとしたらそれは人間の頭の中にだけ存在しているのだと思う。
いなくなってしまった人の不在に堪えるために人間が
作り出した残像のようなものだと思う。
僕にも幽霊が必要になる日が来るんだろうか。

大学の先輩と会う

2010-02-23 22:48:18 | 自分について
仕事の関係で大学の先輩と初めて対面する。
初めて対面するとは言え、よく名前は知っている人だ。
というのも大学の頃から有名人で、よく他の人から
噂だけ聞いていたのだ。もう20年も前の話だ。
大学を出て先輩は、東京の大学の大学院に進み、その後
会社に入り、そこから転職し、某大新聞の記者になったと聞いた。
僕は、その先輩がかつて働いていた会社に今勤めていて、
昔をよく知っている同僚からも、「ああ、●●さんね」と
先輩の噂を聞かされていた。つまり大学でも、就職先でも
先輩の名前を聞かされる羽目になった。
と不思議な因縁の先輩だったが、会うのはこれが初めてだった。
もっとギトギトした、都会的な人を想像していたが、
思ったより普通の人だった。もう50近いのだろう。
雑談で大学や、九州の話などをした。

夜は大学院に行って、論文指導など受ける。
いまいち焦点が定まらず、輪郭がぼやけたまま家に戻る。

クリスマスの思い出

2009-12-24 22:10:31 | 自分について
あっという間に今年一年過ぎてしまった。
敬愛する種ともこのTWITTERに彼女のつぶやきが
出てたんだけれど、あまりにもよかったんでここに記しとくよ。

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最近、夕陽がきれいだなあ。冬の夕陽を見ると忘れてた子供のころの
気持ちが胸にあふれたり、知らない街に行きたくなったりする。何か
が私を呼んでる気がするんだ。その何かが知りたい。
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実家に電話すると母親が尋ねてくる。正月はいつまでいるの?と。
せっかくだからみんなで集まるおせち料理を頼もうと思うんだけど、
僕がいつまでいるかで量が変わってくるから、教えてもらいたい、と。

ふと僕がすごい小さい、幼稚園ぐらいのときを思い出す。
僕は福岡の小さな町に住んでいたんだけれど。
クリスマスの前に、母親が僕と姉に内緒にプレゼントしようとしていた
ぬいぐるみを勝手に見つけてしまったことがあった。
母親はどうも素材を買ってきて、それを手芸して僕と姉に
プレゼントしようとしていたらしい。「これなに?」と聞く僕に、
母親は「プレゼントしようと思っていたぬいぐるみ」と決まり悪そうに
答えたっけ。手には作りかけの、小さなクマのぬいぐるみを持って。

そしてクリスマスケーキを作るための料理講座に通って、
クリスマス当日には僕も姉も大喜びするぐらいの大きな、でも
手作りのクリスマスケーキを作って持ってきたっけ。
みんなで部屋の電気を消して、ロウソクの灯を消した夜。

市民不在の政治

2009-12-03 23:49:14 | 自分について
昨日から毎日や読売新聞の記事を読んでいたら
以下のようなものが載っていた。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091203k0000e040083000c.html

もともとここの市長はおかしなことをやっているなあ、
と思っていたが記事の内容が本当だとしたら呆れるほかない。
ブログのタイトルは住民至上主義と名づけているが
じゃあ障害者は住民じゃないのか。障害者の淘汰なんて
ナチスのやったこととなんの違いもない。
そもそも完全な人間なんて存在しないのであって、
人はどこか障害をもったり、不具合があるんであって
彼の言っているような人間が人間を差別するような言い分には
嫌悪感しか感じない。いいのか、こんな市長で。

沈黙は罪なんだろうな

2009-11-17 23:43:38 | 自分について
人間関係というほどのことでもないが、今日はもうすぐ
会社をやめる若い女性社員とお茶をする機会があったので
いろいろ話をした。将来の不安などを話していたので、
一応一生懸命励ましたり、勇気が出るようなことを言ったりした。
実はどれも自分が昔先輩に言われて勇気付けられたことばかり
だったので、全然オリジナリティーがなかったのだが。
しかし、昔は自分が周りの人に「自信持て」とかって
檄を飛ばされる役だったのに、今はこうやって他人の肩を押している。
歳をとるということはなんか感無量だ。

沈黙は罪である。といったのはキング牧師だ。
暴力の影に潜む、善良な市民の無関心と沈黙は結局は
暴力に加担していることに他ならない。
大学の関係で英国のオクスファムのことなんかを調べていたら
出てきた言葉だ。僕ももっと広い世界に出て行きたいものだ。