く~にゃん雑記帳

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<大和文華館> 「陶上の華やぎ―五彩と色絵―」展

2023年06月22日 | 美術

【絵画のような美しい文様の陶磁器が一堂に!】

 大和文華館(奈良市学園南)で、花鳥や人物などが多彩な色で描かれた陶磁器を一堂に集めた展示会「陶上の華やぎ―五彩と色絵―」が開かれている。展示作品は中国の磁州窯や景徳鎮窯などの作品が45点、日本の美濃、有田、京焼きなどが34点、ドイツ・マイセン窯など欧州製が7点の計86点。中国で「五彩」、日本で「色絵」と呼ばれる陶磁器の成立と変遷を、同館の所蔵作品を通じて辿ることができる。7月2日まで。

 陶磁器の表面に釉薬を施して焼成し、その上に上絵具をのせて装飾する技法は「釉上彩(ゆうじょうさい)」と呼ばれる。その技術は中国・北宋時代(10~12世紀)の磁州窯(河北省)から始まった。磁州窯を代表するのが白化粧した素地に黒泥を掛けた後、黒泥を掻き落とす「白黒掻落」や素地に透明釉を掛け、その上に赤などの顔料で文様を描く「宋赤絵」。今展には磁州窯系の陶磁器が『白地黒掻落牡丹文梅瓶』や『赤絵仙姑文壷』など8点展示されている。

 ただ中国製で展示作品の大半を占めるのは中国最大の古窯景徳鎮窯(江西省)のもの。景徳鎮ではもともと青白磁が中心だったが、元代から明、清代にかけて染付や五彩の焼造が活発になった。展示中の『赤絵牡丹蓮華唐草文鉢』は重要美術品に指定されている。『五彩花鳥文大鉢』(ちらし写真の左上)で見込みを彩るのは色鮮やかなボタンや様々な鳥たち。かつてナポレオン3世の皇后ウージェニー(1826~1920)が所有していたという。『粉彩百花文皿』も無数の花々で埋め尽くされており、まるで一幅の絵画のよう。『五彩龍文透彫硯』には皇帝以外の使用が禁じられていたという五ツ爪の龍が描かれている。

 日本では江戸初期に佐賀県有田町を中心に磁器の焼成が始まり、深い藍色の染付が焼成された。1610~30年代のものは「初期伊万里」と呼ばれる。その後、色絵の焼造に成功したのが酒井田柿右衛門。肥前磁器(伊万里焼)には素地が濁手(にごしで)という乳白色で主に海外輸出用の「柿右衛門様式」、国内向けの「古九谷様式」、鍋島藩が将軍家や大名家向けの献上・贈答用として焼造した「鍋島」、赤と金で装飾した「金襴手」などがある。

 展示中の『染付山水文大皿』は初期伊万里の傑作といわれ、重要文化財に指定されている。『色絵松竹梅文大壷』(ちらし写真右下)は太く力強い岩や樹木の幹と、繊細な花弁や葉の表現が対照的で、白い肌地にくっきり浮かび上がる。柿右衛門様式の『色絵菊花文八角瓶』は八角に面取りされた細首瓶で、赤と金で彩られた菊花文が鮮やか。

 京都では17世紀後半に野々村仁清が色絵の陶器を生み出した。その仁清を師事したのが画家尾形光琳の実弟、尾形乾山だ。乾山には光琳との合作も多い。18世紀後半、京都で初めて磁器を焼成したのが奥田頴川(えいせん)。乾山没後、京焼きに中国風意匠で新風を吹き込んだ。その弟子の青木木米は文人趣味の茶器を得意とし、古九谷が廃れていた加賀(石川県)で春日山窯を開き九谷焼の再興に尽力した。木米は仁清、乾山とともにわが国三大名工の一人に数えられている。

 この展覧会には仁清の愛らしい『色絵おしどり香合』や乾山の『色絵夕顔文茶碗』『色絵竜田川文向付』、青木木米が加賀藩に招かれて春日山窯で作陶した代表作の一つ『黒地色絵瓜桃文鉢』などが並ぶ。乾山が1737年に墨書した『陶法伝書(陶工必要)』には仁清らから伝授された製陶の技法や自らが工夫した技術なども記されている。

 東インド会社を通じてヨーロッパに輸出された有田の磁器は「イマリ」として珍重された。同時にドイツのマイセンをはじめ欧州の磁器窯に大きな影響を与え、図柄などをまねた写しが多く作られた。今展にはマイセン窯の『色絵金彩柿右衛門写梅竹虎文皿』、イギリス・チェルシー窯の『色絵金彩伊万里写菊花文皿』など7点を展示中。中国陶磁として展示中の磁器の中に景徳鎮窯の『五彩扇文小皿』7点があった。皿の見込みに金地の扇2つを向かい合わせで描いた図柄。その解説文に「扇のモチーフから伊万里焼の写しと考えられる」とあった。

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