く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<行基建立49院>社会事業は創建寺院に近接→事業と民衆への説法がセットに!

2013年04月14日 | 考古・歴史

【帝塚山大学市民講座で、堺市文化財課の近藤康司氏】

 奈良時代の高僧、行基(668~749年)は各地に寺院を建立する傍ら、溜め池や橋の建設など社会事業に尽くし、晩年には東大寺大仏の造営にも関わった。行基はなぜ多くの寺院を造り、なぜ民衆に絶大な人気を博したのか。帝塚山大学で13日「行基建立49院を考える」の演題で公開講座が開かれた。講師の近藤康司氏(堺市文化財課)は「諸事業の多くが49院に近接する。事業を民衆と共に行い寺院で行基の説法を聞くことがセットになっていたのだろう」と話した。

 

 行基が開いたといわれる寺院は全国各地にあるが、そのうち行基が自ら創建したといわれる摂河泉と大和、山城の寺院を総称し49院と呼ぶ。平安時代の「行基年譜」に建立年や所在地などが詳しく記されている。都があった大和には隆福院(登美院)、菅原寺(喜光寺=写真)など、河内には石凝院(東大阪市)などが建立された。このうち隆福院は現在の追分廃寺(奈良市大和田町)と推定される。「初期建立のこれら3つの寺院は河内から生駒を越えて大和への街道沿いに位置しており、都へ向かう人々の布教の拠点だったとみられる」。

 行基は民衆への伝道活動が「僧尼令」に違反するとして、717年以降、朝廷から弾圧を受ける。そのため活動地域を平城京から、生まれ故郷(現在の堺市)の和泉に移した。そこで築いたのが大野寺(土塔)。13重の瓦葺きの塔で、人の名前を刻んだ人名瓦1200点が見つかっている。現在の京都府大山崎町に建立した山崎院とみられる場所からも人名瓦が出土している。その近くには行基が架けた山崎橋があった。行基の諸事業には「知識」と呼ばれる集団が参加しており、人名瓦はそれらの協力者の名を記したものとみられる。〝禁圧〟は14年後の731年にようやく解かれた。

 行基の建立寺院の多くは①僧寺と尼寺がセット②諸事業の施設と隣接③建物は瓦葺きが少なく、簡易で小規模④軒瓦の出土例から整備されたのは平安時代以降――などの共通する特徴を持つ。建立地域は大和や河内よりも和泉や摂津、山城などに多い。これらのことから近藤氏は「基盤整備が進んでおらず開発が必要な地域を巡回したのだろう。事業には女性の集団も結構参加したようだ」とみる。

 では行基の事業になぜ多くの人々が率先して参加したのか。近藤氏は「善い行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得るという〝福田(ふくでん)思想〟が民衆の間に共感の輪を広げた」と推測する。藤原不比等ににらまれたためか、一時期、朝廷の弾圧さえ受けた行基だが、「聖武天皇も東大寺の大仏造営に、行基と『知識』の集団の力を生かしたいと思ったのだろう」。

 だが、行基は大仏の完成を見ることなく、その3年前の749年、菅原寺で波乱の生涯を閉じる。49院の中に建立年が不明な長岡院がある。現在の菅原遺跡(奈良市疋田町)とみられるが、近藤氏は出土瓦などからこうみる。「行基自身が建立したのではなく、弟子たちが没後に菩提を弔うため、真正面に大仏殿が見える二条大路の先の丘陵地に建てたのではないか」。

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<三田崇博・世界遺産写真展> 珠玉44点「ラテンアメリカの遺産」テーマに

2013年04月13日 | 美術

【けいはんな記念公園内ギャラリーで14日まで】 

 奈良県生駒市出身の写真家、三田崇博(さんだ・たかひろ)さん(38)の「世界遺産写真展2013」が12日、けいはんな記念公園(京都府精華町)水景園内の「ギャラリー月の庭」で始まった。テーマは「ラテンアメリカの遺産」。昨年10月末から今年1月末にかけて訪ねた南米の世界遺産の写真を中心に44点の作品を展示している。14日まで。

 

 三田さんは2008年からライフワークとして「世界1周世界遺産の旅」を始めた。以来、日本と海外をほぼ3カ月ごとに行き来し、各地で写真展を開いて撮影旅行の資金を蓄えてはまた海外に出るという生活パターンの繰り返し。これまでに訪ねた世界遺産は約55カ国・地域、260カ所に上る。今回の南米取材旅行は第8弾で、古代遺跡のマチュ・ピチュ(ペルー)や大瀑布イグアスの滝(ブラジル)など9カ国26カ所を訪ねた。

 今回最も印象に残ったのはアルゼンチンのロス・グラシアレスの氷河という。「往復10時間を要したが、険しい登山道の先にその光景を見られただけでもその価値があった」。高さ80mの氷河が崩落する瞬間を捉えた写真はその轟音が聞こえるかのよう。ナスカの地上絵はセスナから撮ったが「その大きさに驚いた」。よく見えるように機体をたびたび傾けてくれたのはよかったが、おかげで飛行機酔いしたそうだ。

 

 マチュ・ピチュの写真(上段の写真㊧)は今年元日の朝6時ごろに撮影した。麓の村で民芸品を売っている市場を撮影していると、子ヤギを抱いた少女がカメラに向かってにっこり(写真㊨)。その表情が実に愛らしい。チリ・チロエ島にあった木造の教会は鮮やかなオレンジ色の外観が青空に映える(下段の写真㊧)。ブラジル・パンタナル保全地域の大湿原の朝焼けは燃えるような色彩が感動的だ(写真㊨)。この湿原、広さが日本の本州の面積と同じぐらいというからびっくり!

 満天の星空に覆われたボリビアのウユニ塩湖、精緻な彫刻で飾られた同じくボリビアのサン・ロレンツ教会、チリ・イースター島のアモイ像などの写真も印象に残った。中でも立ち並ぶ黒いアモイ像と、太陽が地平を赤く染め上空に満天の星空が見え始める瞬間を切り取った写真は悠久の時の流れを感じさせた。

 この写真展に合わせ「旅」をテーマにした「美写研」の写真展も同時開催中。「ラテンアメリカの遺産」展はこの後17日から25日まで大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)で開く。また、これまでの撮影旅行の集大成として「心の旅で感じる世界遺産08―12」を15~27日に大阪市のニューオーサカホテル心斎橋で、5月6~12日に奈良市右京のサンタウンプラザすずらん館で開く予定。三田さんはその後、5月後半から北米への撮影旅行を計画しているそうだ。

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<カラタチ(枳殻、唐橘)> 白秋の童謡に歌われた純白の5弁花

2013年04月12日 | 花の四季

【枝には鋭い棘、ミカン類の台木に】

 「からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ」。ご存知、童謡「からたちの花」の1番目。福岡県柳川市で幼少年期を過ごした北原白秋は大正13年(1924年)郷里でよく見たカラタチを思いながら、この詩を作って児童雑誌「赤い鳥」に発表した。詩にメロディーをつけたのが山田耕筰。藤原義江が東京・帝国劇場で歌ってお披露目するや大ヒットしたという。歌の通り4~5月ごろ、真っ白な5つの花びらからなる直径3cmほどの清楚な花を咲かせる。

 中国原産のミカン科の落葉小木で、8世紀ごろ、遣唐使が持ち帰ってきたといわれる。カラタチの名は「唐橘」が転訛したものらしい。万葉集にもカラタチを詠んだ歌が1首ある。「からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉立てむ 尿(くそ)遠くまれ櫛つくる刀自(とじ)」(忌部首)。カラタチを刈り取って倉を建てるから用を足すのは遠くでやってくれ……。あまり上品な歌とはいえないが、当時の庶民生活の一端を垣間見るようでおもしろい。

 「からたちのとげはいたいよ 青い青い針のとげだよ」「からたちは畑の垣根よ いつもいつもとおる道だよ」(2~3番目)。長く鋭い棘(とげ)は葉や枝が変形したもの。棘を持つため外敵侵入を防ぐ生垣として活用されてきた。京都・東本願寺の飛び地庭園「渉成薗」(国の名勝)は「枳殻(きこく)邸」の別名を持つ。これは造園当初カラタチが生垣として植樹されていたことに由来するそうだ。

 「からたちも秋はみのるよ まろいまろい金のたまだよ」(4番目)。実は直径3cmほどだが、酸味が強く種も多いため食用には向かない。ただ、緑色の未熟果を輪切りして乾燥したものは「枳実(きじつ)」という生薬になる。整腸や利尿、去痰、しもやけなどに効き目があるという。カラタチは寒さに強く実を多く付けるため、ミカンやキンカンなど柑橘類の台木として活用される。

 新緑はアゲハチョウの大好物。だが、カラタチも普段見かけることが少なくなってきた。童謡「からたちの花」は歌われているのだろうか。カラタチといえば、年配の方にはこの歌のほうが馴染み深いかもしれない。島倉千代子の「からたち日記」(西沢爽作詞、遠藤実作曲)。「こころで好きと叫んでも 口ではいえずただあの人と……」。この歌で紅白歌合戦に出たのが昭和33年(1958年)だから、あれからもう半世紀以上! 「からたちの花を守ると鋭き棘か」(成瀬櫻桃子)。

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<平野神社・桜花祭> 洛北の桜の名所 華やかな平安風俗絵巻

2013年04月11日 | 祭り

【起源は約1030年前の花山天皇の臨時勅祭・桜のお手植え】

 桜の名所として名高い平野神社(京都市北区)で、10日「桜花祭」が華やかに繰り広げられた。参道のソメイヨシノはすでに葉桜状態だが、八重桜や枝垂れはちょうど今が見頃。午前中の神事に続いて、午後には神社ゆかりの人物を中心とした時代行列(神幸列)が2時間余にわたって氏子地域を巡行した。

  

  神社境内には約60種400本の桜がある。花山天皇が寛和元年(985年)に行った平野臨時祭の折、桜をお手植えし、その後も行幸のたびに植樹したのが現在の桜苑の始まりという。祭りに合わせ「開運さくら湯」が振る舞われ、拝殿では琴・尺八の演奏が行われていた。その周りの八重桜(御衣黄、平野妹背、白雲など)は今が盛り。中でも拝殿脇にある「区民誇りの木」と書かれた枝垂れ桜(写真上㊧)の見事さは息をのむほどで、多くの観光客がカメラに収めていた。

 

 

 行列は午後1時に神社を出発した。布礼(ふれ)太鼓に続いて赤鬼と青鬼が露払い。この後、花山天皇花山車や稚児列、織姫列、流鏑馬列、鳳輦、東遊び列、曲水遊び列などが続いた。総勢200人余。平野通を南下し北野白梅町から西大路通、馬代通を北上して、いったん神社で小休止。その後、金閣寺前から千本通を経由し、一行が神社に戻ったのは3時半ごろ。帰社後、本殿前で「還幸祭」が厳かに執り行われた。

  

 平野神社ではこの桜シーズンに合わせほぼ毎日(午後2時と7時)、拝殿でクラシックを中心にした「桜コンサート」を開催中。今年は14日まで開く。これとは別に東日本大震災支援活動の一環として、毎月最終日曜日の午前11時から「ひょっこりひょうたん島 ワンコイン支援コンサート」を開いている。ちなみにワンコインは「かつて子どもだった人500円、中高生100円、小学生以下10円」とのこと。

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<BOOK>集英社新書ノンフィクション「幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語」

2013年04月10日 | BOOK

【平野真敏著、集英社発行】

 「お母さん、こんなに小さいチェロがあるよ」。2003年、東京の楽器専門店で聞いた男の子の声が、その楽器「ヴィオラ・アルタ」を巡る〝謎解き〟の出発点になった。裏板は長さが47cm。一般のヴィオラ(40cm前後)に比べるとかなり大きい。もともと5弦の楽器らしく、それを4弦に修理した痕跡もあった。この謎の楽器はどこで作られ、どうして日本の楽器店のショーウインドーで長く眠っていたのか――。

   

 筆者は1967年福岡県生まれのヴィオラ奏者。高校進学のため単身上京してから、その楽器店にはヴァイオリンの弦の購入などのためよく訪ねていた。東京芸大音楽学部器楽科とドイツのデトモルト音楽院ドルトムント校を卒業。2011年、クロアチア共和国ザグレブ市から同国の音楽文化を広めた功績で市民表彰を受けている。

 楽器の胴の中のレッテルには「ヘルマン・リッターモデルの製造を許可 フィリップ・ケラー 1902年製 バイエルン王国宮廷御用達商人」などと記されていた。平凡社の「音楽大事典」によると「1872~75年ドイツのH・リッターが考案したヴィオラの改良種。ワーグナーやR・シュトラウスもこの楽器を賞したが、大型で扱いに不便なため一般化しなかった」。

 製作者リッターはドイツを代表するヴィオラ奏者でヴュルツブルク王立音楽院教授だった。さらにリッターが「ヴィオラ・アルタ物語」を書き残していることも分かり、在庫があった米NYの書店から取り寄せた。その音色に魅せられた筆者は2005年、日本初のヴィオラ・アルタ独奏演奏会を開催する。それ以来「ヴィオラ奏者」ではなく「ヴィオラ・アルタ奏者」を名乗っているそうだ。

 その後、インターネットを通じてヴィオラ・アルタの歴史を研究しているというオーストリア人カール・スミスと知り合いになる。この楽器は一時期大量生産されたが、現存するのは極めて少ないらしい。彼も「オリジナルは博物館でしか見たことがなく、使っているのはレプリカ」という。筆者はリッター教授の足跡をたどるとともに、スミスとの二重奏のコンサートを開くため2010年ヨーロッパに向かう。

 リッターが開発したヴィオラ・アルタはワーグナーに高く認められた。ワーグナーは「過去のヴィオラの欠点を覆い隠し、その音は称賛に値する」という手紙をリッターに送っている。さらにバイロイト歌劇場のオーケストラ用にヴィオラ・アルタ6丁を購入、その首席奏者にリッターを指名した。筆者によるとヴィオラ・アルタの響きはパイプオルガンの響きに似る。それほど共鳴するということだろう。そして「ワーグナーも弦楽器でありながらパイプオルガンのような荘厳な響きを持つ音を求めたのではないか」と推測する。

 パイプオルガンには様々な楽器の音色に似た音を選ぶことができる「ストップ」という機能がついている。筆者はヨーロッパ旅行の最終盤になって、ドイツの古い大聖堂で「ヴィオラ・アルタ」のストップを持つパイプオルガンに巡り合う。「妙なるベルカント(人の美しい歌声)の響きは、リッター教授が目指した〝未来のヴィオラ〟の音として白亜の教会を満たしていった」。

 そのヴィオラ・アルタがその後、なぜ姿を消したのか。筆者は「ワーグナーによって『ドイツの正統を担う楽器』と太鼓判を押されたことで、かえって戦後、思わぬ不遇な運命を辿ることになったのではないか」とみる。ヴィオラ・アルタの悲運の歴史は、決して「大型で扱いに不便」だったからだけではなかったようだ。

 第2次世界大戦中、ワーグナーの音楽はヒトラーによってナチスのプロパガンダに利用された。このためイスラエル国内やユダヤ人の間ではワーグナーへの拒否反応が極めて強く、演奏はタブー視されている。ただ2011年夏、ワーグナーの聖地バイロイトで初めてイスラエル室内管弦楽団がワーグナーの「ジークフリート牧歌」を演奏した。そのライブ輸入盤も販売されているようだが、まさに画期的といえよう。

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<コバノミツバツツジ(小葉の三つ葉躑躅)>最も早く咲くから〝イチバンツツジ〟とも

2013年04月09日 | 花の四季

【里山の春を彩る紫花、主に中部以西に自生】

 ミツバツツジは本州の中部から関東地方にかけて多いが、このコバノミツバツツジは主に中部地方から九州地方の山地や里山に分布する。枝先に3枚の葉が出るのに先立って紅紫色の花を付ける。「小葉」の名の通り、葉がミツバツツジより少し小さく、雄しべの本数はミツバツツジの5本に対し、長短5本ずつ計10本あるのが特徴。名付け親は日本植物学の父、牧野富太郎博士という。

 日本は野生ツツジの〝宝庫〟といわれる。レンゲツツジ、ミヤマキリシマ、クルメツツジ……。種類は約50種にも上るそうだ。その中でコバノミツバツツジはミツバツツジとともに最も早く咲く。このため、飛騨地方など一部地域では〝イチバン(一番)ツツジ〟とも呼ばれる。岐阜県高山市周辺はコバノミツバツツジの分布の北限といわれ、毎年「春の高山祭」(4月14~15日)の頃、城山公園などを彩る。

 大群落として有名なのが阪神タイガースの必勝祈願の神社としても知られる兵庫県西宮市の広田神社外苑。総株数は2万株ともいわれ県の天然記念物に指定されている。戦前は群落の規模ももっと大きく20万株にも達したらしい。昭和初期にそれを目にした牧野富太郎博士は「ただ三ツ葉千万人をおびき寄せ」と詠んで絶賛したという。広田神社では4月13~14日に「つつじまつり」が開かれる。

 京都・槙尾の西明寺裏山も名所の1つ。毎年4月中旬になると、コバノミツバツツジが山桜と同時に咲き誇り、山肌を紅紫に染め上げる。兵庫県丹波市の丹波の森公苑やたつの市の東山公園も例年4月上~中旬が見頃。国内有数の群生地、愛知県豊川市の冨士神社~善住禅寺周辺ではちょうどコバノミツバツツジまつりを開催中。日進市の北高上(きたこうじょう)緑地でも第1回のまつりを6日から14日までの日程で開いている。

 「市の花」に制定しているのは高山市のほか兵庫県芦屋市、京都府宮津市など。芦屋市は背後の六甲山地に多く自生していることから1970年、市花に選定した。芦屋ではマンホールの蓋のデザインにもコバノミツバツツジをあしらっている。宮津市では天橋立を望む獅子崎稲荷神社や滝上山に群生する。正式にはコバノミツバツツジだが、市民に広く親しまれている「ミツバツツジ」として市の花にしたという。

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<第1回里山コンサート> 古民家舞台に、童謡や唱歌を一緒に歌う!

2013年04月08日 | 音楽

【奈良県立大和民俗公園内で市民の手作り歌祭り】

 奈良県立大和民俗公園(大和郡山市)内の古民家で7日、「第1回里山コンサート」が開かれた。主催はギターとハーモニカのアンサンブル「池尻彰とゆかいな仲間たち」。豊かな自然の中にある古民家を舞台に、童謡や唱歌を次世代に伝えていきたいと企画した。雨交じりの強風というあいにくの天候だったが、約50人が駆け付けて2時間余の温かい手作りコンサートを楽しんだ。

   

 ゆかいな仲間たちは2年半ほど前、たまたま公園内で知り合い音楽の輪が広がってグループを結成、以来、毎週1回集まって歌ってきたという。この日の会場は国の重要文化財に指定されている「旧岩本家住宅」。19世紀前半の建築という茅葺きの入母屋造りで、元は宇陀郡室生村(現宇陀市)の旧伊勢街道沿いにあった。黒光りする太い梁。その下の土間が演奏場所、座敷が観客席になっていた。

 知り合いの音楽仲間たちにも呼び掛けたのだろう、出演者はバラエティーに富んだ。「ひまなスターズ」というグループや生田流琴の大師範・西岡清子さん、ギターとアコーディオンのデュオ……。着物姿の西岡さんは「荒城の月」「花影」など6曲を演奏、「ひまなスターズ」は「遠い世界に」「みかんの花咲く丘」などのほか自作「関西が好き日本が好き」という曲も披露した。

 最後にゆかいな仲間たちが登場。9人のうち2人が女性で、1番の若手で40歳すぎという。来場者には事前に歌詞を書いた歌集が配られており、伴奏に合わせてみんなで口ずさんだ。「故郷の廃家」「花」「朧月夜」。メンバー紹介を挟んで、また「浜辺の歌」「北国の春」「山小舎の灯」「故郷」……。

 縁側では地元の朝採り野菜なども売られていた。5月5日にはこの古民家の前で「生駒ハーモニカ同好会」のハーモニカライブが開かれるそうだ。移築され保存展示されてきた建築史の〝生き証人〟のような建物だが、こういう形で今に生かされていることにきっと喜んでいるに違いない。

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<カタクリ(片栗)> 〝春の妖精〟林野の下に清楚な花の群落

2013年04月07日 | 花の四季

【万葉集にはカタカゴ(堅香子)として登場】

 ユリ科で、九州を除く全国の山地や丘陵地に群生する。花期は3~5月。落葉の間から花茎を伸ばし、陽光が差すと紅紫色の6枚の花弁を反り返らせて咲く。その可憐な姿からニリンソウなどとともに〝春の妖精(スプリング・エフェメラル)〟と呼ばれる。その蜜を求めて〝春の女神〟ギフチョウが舞う。

 カタクリは芽が出て花が咲くまでに7~10年の長期間を要する。地上に顔を出すのは春のわずか2カ月間ほど。その間に光合成を行って栄養分を球根の鱗茎に蓄え、その後は翌年の春まで眠り続ける。漢字の「片栗」は鱗茎の形が栗の片割れに似ていることに由来するという。その鱗茎を砕き水にさらして片栗粉を作る。ただ最近はカタクリに代わって、澱粉の性質がよく似たジャガイモから作られる。

 古名は「カタカゴ(堅香子)」。万葉集にも大伴家持が詠んだ歌が残る。「もののふの八十(やそ)をとめらが汲みまがふ 寺井の上の堅香子の花」。カタクリを市や町の花に定めた自治体は多い。栃木・佐野、長野・大町、新潟・魚沼、兵庫・丹波、岡山・美作……。その中で富山県高岡市だけは「カタカゴ」の名で指定している。高岡には家持が越中国司として5年間滞在した。

 カタクリは多くの都道府県で絶滅危惧または準絶滅危惧種に指定されている。国内の群生地でたまに白い花が見つかるが、これはアルビノ(色素不足)によるらしい。自生種とは別に北米で生まれた園芸種の白花カタクリ(品種名「ホワイトビューティ」)も流通している。黄花西洋カタクリ(パゴダ)や紫・薄黄色の2色咲き(佐保姫)など変わり種のカタクリも出回り始めた。

 全国の群生地では花期シーズン「かたくり祭り」が開かれる。仙台市の大国神社山野草公園、福井・大野市の矢ばなの里、茨城・筑波山頂などで現在開催中。兵庫・丹波市氷上町のかたくりの里は7日に開く。青森・湯の島、長野・岡谷市の出早公園、広島・府中市などでは4月中旬から下旬にかけて開催の予定。関西でも葛城山や金剛山の群生地がまもなく見頃を迎える。「片栗の花むらさきを秘め通す」(井沢正江)。(写真は愛知県在住のE・Sさん提供)

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<松花堂庭園> 咲き誇る椿約200種 満開の桜と〝競演〟!

2013年04月06日 | 花の四季

【第25回つばき展開幕、切り花・生け花・盆栽・アレンジメントも】

 京都・洛南の名園「八幡市立松花堂庭園」で5日、「第25回つばき展」が始まった。園内には約200種類の椿があり〝椿の松花堂〟とも呼ばれる。満開の桜の下で、椿も今がちょうど見頃。所々に置かれた椿の1輪挿しなども彩りを添え、園内はまさに〝椿尽くし〟という感じだった。

  

 椿はもともと日本・中国原産だが、ヨーロッパに紹介された18世紀以降、欧米で椿ブームが起き多くの園芸品種が作られた。その種類は現在、世界で7000種ともいわれる。美術館別館1階の切り花コーナーには〝椿寺〟浄安寺(久御山町)の特選椿など約280種が展示されていた。色・形さまざまな花容の椿が、1輪ずつ竹筒に挿されてずらりと並ぶ。その光景は壮観そのもの。改めて椿の品種の多さに驚かされた。海外で作られたのだろう、カタカナ書きの品種名も目立った。

  

 

 別館1階には椿を使った生け花コーナー、2階には大きなアレンジメント作品や椿の造花、椿にちなむ短歌や書なども展示されていた。入り口そばの苗木販売コーナー横の枝垂れ桜は満開のピンク色が青空に映え、その前で記念写真を撮る人も多かった。芝生広場に設えられた盆栽・鉢植えコーナーでは見事な枝ぶりの名椿が咲き誇っていた。

 庭園散策の締めくくりは園内でもとりわけ多くの椿が植えられた椿薗。「京雅」「蝶の花形」「天人松島」「岩根絞(しぼり)」……。みんな上品な名前をもらっている。その中で少し変わった椿があった。「孔雀椿」(写真上段㊨)。花がみんな下向きに咲き、木全体が枝垂れているのだ。その枝ぶりが孔雀の羽根に似ているから、ということだろう。つばき展は7日まで。

  

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<庭園福祉活動>個人庭園を公開 寄付金を東日本大震災の義援金に!

2013年04月05日 | 花の四季

【奈良市あやめ池で、クリスマスローズ200株が満開】

 クリスマスローズが咲き誇る奈良市の民家でこのほど2日間にわたって「ガーデン・オープン・チャリティ」(個人庭園一般公開)が行われた。〝庭園福祉活動〟という言葉をそのとき初めて知った。庭を有料で公開し、寄付金を福祉に役立ててもらう。英国で古くから行われ定着しているイベントで、それが日本をはじめ各国に広がっているようだ。

 

 今回一般公開されたのは近鉄あやめ池駅から程近いあやめ池北3丁目の西川順子さん宅。ハンギング・バスケット教室を主宰しているというだけあって、玄関周りにもパンジーをはじめ色とりどりの花が飾られていた。入り口で寄付金(観覧料)500円を払って時計回りで庭を1周した。鉢植えやハンギングのクリスマスローズが所狭しと並ぶ。その数、約200株。ムスカリをコケで高く仕立てた珍しい鉢植えも。観覧者にはハーブティーのサービスもあった。

 

  

 公開は今回で4年目。庭園福祉活動を展開している「N.G.Sジャパン」に協力する形で始めた。寄付金は特定非営利活動(NPO)法人「国境なき子どもたち」を通じて東日本大震災への義援金となる。ティーコーナーには西川さん宅の一般公開による活動報告書が貼られていた。それによると寄付合計金額は過去3年間で16万5780円に上る。今年は4月27日にも公開の予定で、その頃にはスイセンやチューリップなど珍しい原種の花も観賞できるはずという。

 庭を自由に観賞してもらうオープン・ガーデンは、英国で1927年「ナショナル・ガーデン・スキーム(NGS)」という団体ができてから英国内各地で行われてきた。年間3700以上の庭園が毎年公開されているという。いつ・どこで・どんな庭が公開されるかを紹介した専門のガイドブックまで発行されているそうだ。

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<アンビリバボー> 仰天! 電話ボックスの中に大量の金魚

2013年04月04日 | アンビリバボー

【大和郡山お城まつりの「時代行列」当日、郡山城跡に出現】

 奈良県大和郡山市で開催中の「お城まつり」(12日まで)で、メーン行事の1つ「時代行列」が行われた3月31日、郡山城跡の一角に「アンビリバボー!」な光景が出現した。なんと電話ボックスの中で大量の金魚が泳いでいたのだ。さすが、全国に誇る金魚のまち! その周りには多くの人が群がり、覗き込んだり写真に収めたりしていた。でも、なぜ電話ボックスが金魚の大水槽に?

    

 「第53回お城まつり」というゲートをくぐって満開の桜をめでながら進む。追手門の手前まで来ると、そこにそれがあった。遠目には何の変哲もない電話ボックスだが、近づくと下から泡が噴き出し、無数の赤い金魚が元気に泳いでいた。金魚すくいでよく見かける〝小赤〟だろうか? 電話は設置されたままで、受話器が台から浮き上がって浮遊していた。

 

 「テレ金2013」というタイトルが付いた説明板によると、企画したのは京都造形芸術大学の学生6人でつくる〝金魚部〟で、メディアアーティスト銅金裕司氏をコラボレーターとして迎えて製作した。今回の展示は1日限りで、郡山金魚資料館や大和郡山青年会議所などの協力もあって実現したそうだ。

 この「テレ金」、金魚を通じて地域と自然を考える「K-Poolプロジェクト」の一環。その志は高い。「日本伝統文化としての金魚の復興、そして使い捨てとしての金魚経済・産業の見直しを掲げ、関西から日本へ、さらに世界で金魚一大ブームを興すことを指針としている」。これまでに金魚をモチーフにした作家約20人のアート作品を展示する〝大金魚博覧会〟や大和郡山を舞台にした映画の上映支援などに取り組んできたという。

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<ひいらぎゆき展>少女漫画から戦国武将、動物・昆虫の細密画まで約40点

2013年04月03日 | 美術

【けいはんな記念公園・水景園で初の個展、7日まで】

 けいはんな記念公園(京都府精華町)水景園内の「ギャラリー月の庭」で2日「ひいらぎゆき展 2013春」(7日まで)が始まった。ひいらぎさんは石川県金沢市出身のイラストレーター兼デザイナーで、今回が初めての個展。会場には少女漫画や戦国武将、恐竜などのイラストから鳥・昆虫・犬・猫などを描いたカラフルな細密画まで、幅広いジャンルの作品約40点が並ぶ。

   

 ひいらぎさんは金沢デザイン専門学校のヴィジュアルアート科を卒業後「イラスト工房ひいらぎ」を設立。現在、金沢の北国新聞文化センターで「イラスト入門教室」の講師を務める傍ら、タオルや衣装デザインも手掛けている。この間、朔野安子や波津彬子ら人気漫画家のアシスタントも務め、研鑽を積んできた。

 「今回の展示作品はどれも愛情をたっぷり注いで描いた作品ばかり」とひいらぎさん。その中で、少女漫画などの作品もさることながら昆虫などの細密画が目を引いた。「アゲハチョウ」の翅は光を反射する鱗粉まで見えるような繊細・微妙な色彩が美しい。見学中の女性も「まあ、きれい!」と感嘆の声を上げていた。「カワセミ」は狙い定めた魚に向かって今まさに水中に突入する瞬間を描いた。鳥の写真もよく撮るという男性カメラマンは「羽の表現がすごい!」とうなっていた。「ヘラクレスカブトムシ」も単なる標本画にとどまらず生きているかのようだった。

   

 「コピック」というマーカーを中心に様々な画材を使って描くという。水の動きやイラストの背景には効果的な白の文様が描かれているが、「いろいろ試して『修正液』にたどり着いた」とのこと。会場ではひいらぎさんデザインのタオルやハンカチ、ポストカードなども展示・販売中。「漫画家を目指したり、同人誌を作ったり、漫画家アシスタントをしたりしてきたが、今回の個展を新しいスタートとして一層精進したい」。こう抱負を話していた。

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<大和神社・ちゃんちゃん祭り> 古都奈良の〝祭り初め〟 200人余の大行列!

2013年04月02日 | 祭り

【山の辺の道・中山のお旅所まで「ドンドン」「チャンチャン」と】

 「祭り初めはちゃんちゃん祭り、祭り納めはおん祭り」。奈良では古くからこういわれてきた。その「ちゃんちゃん祭り」が1日行われた。天理市の大和(おおやまと)神社を出発した大行列は約1時間かけて、小高い所にあるお旅所・大和稚宮(おおやまとわかみや)神社へ。鉦鼓(しょうこ)の「チャンチャン」の響きが、菜の花の咲くのどかな山里に春到来を告げた。

 

 大和神社は「旧官幣大社」の社格を持ち、一時は伊勢神宮に次ぐ広大な社領を有していたという。戦艦大和には祭神の分霊が祀られていた。戦後は大和が撃沈された4月7日(昭和20年)に毎年、犠牲となった英霊の慰霊祭が行われる。境内の一角には「戦艦大和 ゆかりの神社」の石碑が立ち、戦艦大和の模型などを飾った展示室も設けられていた。

 長い参道脇には数十店の露店が並び、行列が出発する1時間前の午後1時頃になると見物人も急増。その露店を頭人児(とうにんご)と呼ばれる稚児2人が回って、年季の入った〝龍頭〟の口をカタカタ開け閉めしていた。商売繁盛を祈願しているようで、露天商も手慣れた様子で売り物の菓子などを包んで渡していた。

 

 

 祭りを支えるのは9つの町(頭屋)の氏子たち。行列の参加者は200人余で長さは200mを超えた。鉦鼓や太鼓、天狗の面を着けた猿田彦を先頭に錦旗、小幣、神輿、各町内の旗などが続く。かわいいポニーを含め馬も6頭参加していた。神社を出た行列は集落内の「上ツ道」を南に進み、神輿は途中の「腰掛け石」で一休み。その後、国道を渡って田園の中の長い坂道を上ってお旅所に向かった。

 お旅所は「中山大塚古墳」のすぐそばにあり、到着すると各町ごとに旗を立て会食が始まった。酒やビールが酌み交わされ次第ににぎやかに。一方、隣の神前では神職や各町の責任者が参列し、厳かにお旅所祭が執り行われた。その奥では馬たちがしきりに草を食んでいた。

 

 立て看板「大和神社御旅所の由来」によると、「橘花神事のちゃんちゃん祭りに天皇(または勅使)が参列、1400年前に始まる。その以前橘花祭りは今から約2000年前に始まる」。実に長い伝統を誇る祭りだが、ここでも人手不足に直面しているようだ。「最近は若手がだんだん少なくなってきて……」。行列の途中、年配の氏子の1人がこうこぼしていた。

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<大和郡山お城まつり> 満開の桜の下、勇壮な時代行列とかわいい〝白狐お渡り〟

2013年04月01日 | 祭り

【源義経・静御前・武田信玄・筒井順慶・豊臣秀長……】

 奈良県大和郡山市で31日、「お城まつり」(4月12日まで)のメーン行事の1つ「時代行列」と源九郎稲荷神社の「白狐お渡り」が行われた。さくら名所100選の郡山城跡の桜もちょうど今が見頃。甲冑に身を包んだ戦国武将らの行列に、白狐に扮したかわいい子どもたちが続き、沿道を埋めた観客から盛んな声援が送られた。

 

 

 時代行列はふれ太鼓に先導されて進んだ。先頭は鎌倉時代の名僧、叡尊上人。地元出身で西大寺の復興などに尽力した。この後、源義経・静御前や武田信玄をはじめ、筒井順慶・豊臣秀長・柳沢吉里ら歴代藩主が続き、馬上での勇壮な姿を披露した。真っ赤な甲冑姿の大阪城甲冑隊も参加して華麗な時代絵巻を盛り上げた。

 中でも人気を集めたのがこの後に続いた「白狐お渡り」。狐のお面をかぶった白衣姿の子どもたちが「白狐踊り」をしながら練り歩く。アマチュアカメラマンもその光景をカメラに収めようと、しきりにシャッターを押していた。源九郎稲荷神社は歌舞伎・文楽「義経千本桜」でおなじみの源九郎狐(白狐)を神の使いとして祀り、「げんくろうさん」と親しまれている。その神社まで戻ると〝大役〟を果たした子どもたちにはお菓子などが配られていた。

 

 

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