心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

2013年

2013年01月02日 | ほんのすこし
毎年 年頭におみくじを引くのだが、今年は 行けない。
元旦は 母と温泉に入り 新年気分を味わった。温泉のタオルをもらいたいなと思っていたが、午前11時でもう用意したタオル400枚は無くなってしまったと温泉の方が話していた。すでに朝9時ころには260枚が出てしまっていたとか。
元旦0時からオープンするぬまだての湯っこに 夜中にやってくる人がこんなにもいるとは思わなかった。来年は もっと早く行こう。

温泉に浸かり いつもより多い人出で少々ぬるく感じながら 今年はどんな年になるのかなと考えていた。昨年 あまりにも色々なことがありすぎて あっという間に一年が過ぎてしまったから、今年は少しのんびりとした気分を味わいたいなと思った。
でも のんびりってどうかな・・・あまりにも色々なことがありすぎて 自分が何をしたいのかさえ考える余裕がなかったではないか。今年はせめて やってみたいことに手を出してみたら?と自分に問いかける。

2012年はオリンピックもあった。あの大震災から一年経ち、自分の中で薄れていく思いに被災地の方々はいかほどかと なんと自己本位な自分だろうと見聞きするたびに 胸が痛んだ。自分の目の前に事が見えないと意識は薄れてしまう。友人の中で 被災地に行き そこで知り合った方と今もつながっている人もいる。思ったことを行動に移せる人がすごいと感じた。わたしはただ思うだけで 行動が伴わない。それを痛感したこの二年間だった。

母と弟が入退院を繰り返して 一年が終えたという気もする。その間に弟は50代で逝ってしまった。何をしても何を見ても 母とふたり思いだす。弟の仕草や言葉、母と語り合うことで彼を思い出す。思いだしてあげることはいいことだよ と 誰かが言っていた。
今も時折 ふっと母の台所に立って 何か作っているような気がするときがある。

母の二回にわたる手術も無事終え、今は傷跡が癒えるのを待つのみだ。徐々にふさがっていく傷跡を見るたびに 人間の再生能力のすごさを感じる。80歳で手術はもうこりごり。後は絶対何があっても(病気)手術はしないからね、覚えておいてくれ と釘を刺された。

2012年は 辛いことをたくさん乗り越えてきたから、2013年は 昇るだけだ(笑)
といっても 宝くじは全然だめだったけど。母は今度からは宝くじやめて スクラッチにする!と宣言していたが、わたしは夢を見たいので また買うだろうなぁ(笑)

ということで ここに来てくださっている皆さんにとって 今年は Happyなことがたくさんありますように♪


ハッピーになれそうな予感のする象さんを。

アクリル画の一部も

2013年01月01日 | ほんのすこし
先に紹介したInstagramのアプリ。
以前描いたアクリル画の一部を写して加工すると こんな風に。

スマホをいじるのが 楽しくなった。単純なわたし。
スマホを持ったときから 初めてのアプリのダウンロード。なんだかダウンロードするのが怖かったので 恐る恐る娘にやってもらったのだ。
無料アプリって 無料って・・・後が怖い気がしてね。

ただほど怖いものはないって言うでしょ。それが頭にこびりついているから。

何年も前 突然どこからか使ってもいないアダルトサイト使用料の支払い要求ハガキが来たときは ちょいパニックになったしね。
まぁ 事なきを得たんだけど。
そういうことがあって 無料という言葉にはだまされないぞ!なんて気持ちで(笑)

でも今回 ダウンロードして良かった 良かった。
スマホは携帯より画像が大きいので 写真を写すのに重宝だと それだけの気分だったのが、一挙に画像を楽しみたいという気持ちに。
ただ画像が真四角にしかできないのが残念だなぁ・・・

まぁ無料だし(笑)

ってことで あんなとこ こんなとこと 撮りまくりそうな正月です♪

ヨイトマケの唄

2013年01月01日 | ほんのすこし
久々に じっくりと紅白歌合戦を聞きました。
母とふたりで 紙に赤と白を書き 自分が気にいった方を選ぶという感じで 最初の組から始めましたが・・・最初のNYCと浜崎あゆみで すでに母は
「何も気に入らないからって×をつけなくてもいいのに」と自分のやったことを悔やみ(良い方に○だけつければいいのにということらしい)、わたしが○だけつけていたのを見て やる気がなくなってしまったらしい。なんてことはない 書くのがめんどうになっただけだとわたしは内心思っていましたが(笑)

そんな感じで それぞれの組ごとに○をつけていったわけです。こういうことをすると見るほうにも力が入ってきて しっかり見ようという気持ちになります。今回は 本当にじっくり見聞きしました。母はいっぱしの評論家になっています。主に衣装についての難癖が多かったのですが。
その一つが水森かおりさんの衣装。
母はこの方の声も歌も好きなのですが、どうも紅白の時の衣装については異論があるようで。歌い終わってからも ぶつぶつ。
「なんだこれは イチゴのかき氷みたいなの着て。来年が心配だ。こんなに(衣装に)金かけて。普通に歌ってても上手いのに なんで(こんな衣装にするの)?」と 繰り返し言っていました。
好きだから 水森さんの今後が心配でならないらしく、衣装代が半端じゃないだろうから、来年もさらにすごいのを用意しないといけなくなると思ったのでしょう。
さぁ 来年はどうするんでしょうねぇ、水森さん。

大好きな嵐が登場するまでは 帰らないぞと思いながら見ていたのですが、今回 初登場だという美輪明宏さんが出てきたときには 驚きました。母はもっと驚いたみたいで
「あの黄色い髪して出てきたらどうしようと思ったけど」とつぶやいていました。

ヨイトマケの唄を歌う美輪明宏さん。
圧巻でした。
真剣さと 唄にかける思いが 画面の向こうから響いてきました。

真っ暗な画面が数秒続き 美輪さんの声が聞こえてきます。「父ちゃんのためなら エンヤコラ」「母ちゃんのためなら エンヤコラ」・・・
その声が凄かったです。そしてもちろん歌も。身動きできませんでした。

歌を聞きながら 幼かったころを思い出していました。あの頃は 日本が貧しさから這い上がって成長していた時代だったけど、それでも裕福な家庭の子は数えるほどで ほとんどが物をあまり持っていなかったから「持っていない」ことに悔しさや卑屈さを感じることはなかったように思います。そして 父と母がわたしたちのために 働いてくれていたことも蘇ってきました。母は父が勤める会社の社長のお宅の家事を手伝っていました。
給料日には 給料袋を見せて わたしと弟がいる前で 何枚かの袋にお金を分けて入れていました。
「これは お前たちの学校にかかるお金。これは 食事分。これは 電気代。・・・」
あっという間に 目の前のお金が振り分けられて 残ったのは小銭。その小銭を大事そうにふたりに分けてくれました。だから わたしたちは母に「ねぇ 今日のお給料 はしたはあった?」と聞いたものでした。10円あれば 貸し本を借りることができます。わたしはそれを楽しみにしていました。

そんな遠い時代のこと、父母が一生懸命働いてくれた時代のこと。
美輪さんの歌は 懐かしさとともに 忘れていた何かを思い出させてくれたように思います。

今年の紅白。
美輪明宏さんの歌を聞けただけでも 最高でした。

母が
「背景に何も無いっていうのもいいもんだねぇ・・・」と。
どの方も 背景や舞台に趣向を凝らして 見せ場を作っていた中で 美輪さんの時だけ 暗く 逆にそれが黒い衣装の美輪さんにスポットが当たり とても効果的でした。シンプル イズ ベスト・・・それが見事に凝縮された時間でした。

よいとまけ。〈建築場所の地固めのため、数人がかりで重い槌を滑車で上げ下ろしすること〉
生活のために女ながらに男に交じり 大変な仕事をしている母のことを他の子たちがはやしたてる。母の職業を笑う子どもたち。じっと耐える・・・

歌の背景にあるそんなシーンが目に浮かんできます。
亡くなった父がよく言っていました。
「○子、人間は 職業に貴賎なしだよ。いいか、貴賎はないんだよ」と。
そのせいか わたしは周りの子たちの親がどんな職業についているのかなんてことに無頓着でした。そんなある日、同級生の家に数人で遊びに行ったことがありました。その子のお母さんが皆のお父さんは何をしているかと尋ねました。父は今でいう営業でしたが、そのときは営業という言葉も知らず、汽車に乗って大きなカバンをかついでお菓子(サンプル)を持ってお店に行ってると話したように思います。その子の家は立派な家でした。広くて アパート住まいの自分には羨ましいほど広い家に感じました。
次の日 その子がわたしに
「あのね お母さんがね、○子ちゃんはあと連れてこないでって言うから。ごめんね」と言いました。
わたしは一瞬 意味がわかりませんでした。でも なんとなくその子のお母さんの態度を見て感じていたことが これだったのかと思いました。

学校では図書館に通い 毎日本を借りるのを楽しみにしていたわたし。その日も何冊か本を借りて帰り、母が帰るのを待っていました。字面を追いながら 頭の中では別のことを考えていました。
「世の中には 広くて大きな家に住む家族もいる。アパート暮らしの家族もいる。あの子のお母さんは毎日何をしているんだろう。うちの母さんは 毎日朝から晩まで働いているけど。父の仕事って そんなにダメなのかなぁ。」

またある日、町でもかなりのお金持ちの家の息子とわたしは同級生でしたが、そのお母さんはとてもフレンドリーでした。わたしの母にも気軽に話しかけ お互いの子どものことを話したり わたしにも話しかけてくれる そんなお母さんでした。

わたしは 家につれてくるなと言ったお母さんとその男の子のお母さんのことをよく思い出します。先のお母さんの顔は一度見ただけなので忘れましたが、男の子のお母さんは何度か見かけ 声をかけてくれたりしました。人間って いろいろだなぁといつも思います。
父が言ったように「職業に貴賎なしだよなあ」と心に言い聞かせている自分がいます。
ヨイトマケで働くお母さんの姿を思い出しながら その後の人生を頑張り通して生きたであろう主人公のような人がこの世には沢山沢山 存在しているだろうと 歌を聞きながら 考えていました。

この歌 これから聴き続けたい歌の一つになりました。