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九州横断ランの歴史

2010年06月08日 13時04分14秒 | インポート

「九州横断ラン」を調べていて、おもしろいことがわかった。

Kigi 35年前に「九州横断マラソン」というのがあったそうです。スタートは延岡、高千穂から矢部を経由して熊本の小川町がゴール。143km。ただし、3日間かけて走りぬくということだったらしい。

調べてみると、ナント!昭和49年から平成3年まで15回も開催されている。大会名は「九州横断マラソン」。参加者も多い時で70名。熊本走ろう会の人達が中心になって行っていたようだ。15年前からもう開催されていない。

この話は釘さんから聞いたことがある。釘さん曰く、「3日間かけて走るので、宿をどこにするか探していたがいろいろ意見が多くまとめるのが大変。それにみんなゆっくり走るので自分のペースに合わない」。なるほど、釘さんの「独走癖」はこのころからあったことがわかった。

九州横断は他にも熊本CTCがやっていたようだ。てれっとメンバーでこれにたずさわった人は奥田先生と田代さんだけか?

今から20年前の話。こちらは別府~やまなみハイウェー~宮地~熊本(藤崎宮)140kmマラニックで一気に走り抜くレースだったようだ。ちゃんとした大会だったようで、優勝者は16時間ぐらいだったと聞く。すごい。

しかし、これも15年前から開催されていない。

おそらく、やっている時は中心となっていた人達が30~40~50歳代でばりばり走っていたのだろう。ところが中心人物がみな60歳越えて、やろうという人がいなくなったと思う。

ところで、熊本走ろう会の足跡を調べたら、すごいことがわかった。九州横断の他にもいろいろしていた。

平成2年:「有明海横断マラソン150km」(熊本→島原→千々岩→長崎)

平成6年:「九州縦断マラソン200km」(鹿児島→水俣→熊本)

平成6年:「九州縦断マラソン200km」(北九州→飯塚→久留米→熊本)

平成8年:「熊本県一周北コース150km」(荒尾→菊地→阿蘇→熊本)

今から15年前ごろのことだ。今70歳ぐらいの人達がやったのではなかろうか。

しかし、やろうと考えていることが、今の私とほとんど同じである。見てびっくりしたのと、いつの時代にもこういう馬鹿なことをしようという奴はいるなと、1人で笑ってしまった。

有明海横断は今年やろうと考えていた。私のネーミングは「九州横断西部編」。

「熊本県一周北コース」もおもしろそう。私は熊本→阿蘇山一周→熊本の「熊本・阿蘇一周マラニック140km」を考えている。

「熊本走ろう会」は20年前はすごいランナーの集まりだったのだということがわかりました。

*写真は30年前の九州横断マラソンの写真。70名が走っている。すごい、

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この記事は見たことあります。 (走るウルトラ飲兵衛)
2010-06-09 12:42:08
この記事は見たことあります。
先頭に写ってるのは、見野さんではなかったかな?
ウルトラの原点らしいですよ。
見野さんのホームページにも書いてありますよ。
知り合った当初は、いつも読んで話を聞きに一緒に飲んだりしました。
見野さんは大先輩です。

http://www.inf.ne.jp/mino/ultra/12kyushu/12kyushu.htm
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九州横断マラソンは熊本走ろう会の人達が始めたよ... (上野)
2010-06-09 14:58:54
九州横断マラソンは熊本走ろう会の人達が始めたようですね。
その第12回目に見野さんが参加したのかな?
その時の新聞のようです。
先頭が見野さんですか、55歳。今と全然違いますね、若い!
今70歳台のランナーはすごい人が多いですね。
見習わなくては!
返信する
九州横断の延岡 高千穂 矢部 小川の150キロ... (奥田)
2010-06-09 15:53:19
九州横断の延岡 高千穂 矢部 小川の150キロ(二泊三日)は小川の柔道部の顧問の先生が部員の生徒の鍛錬のため始められたものです・・・

我がクラブの長老の古里名誉会長・田川先生・牧野先生たちがその先駆者です!
この長距離走はお盆すぎの金・土・日にかけて行われるため仕事が現役の方はなかなか参加できず 私はお盆休みを1週間ずらして参加(もう25年ほど前!?)

またヤマナミ縦走140キロは熊本CTCの主催で20数年前から毎年 5月の連休に開催 スタートは別府の海地獄・・・夜中の12時・・・ゴールは熊本の藤崎宮・・・制限時間24時間・・・
私は5回挑戦して3回目にやっと完走! 全国から50~60名の参加がありましたが
そのころはコンビ二など24時間営業の店など皆無でエイドサポートもいい加減でした

ただ50キロ地点の飯田高原にはctcの仲間がすでに民宿をしていて 57号線沿いにテントを張り 焚き火をして「うどんの炊き出し」をしてくれ あとのエイドは20~30キロおきという”サバイバルレースで半数ほどはリタイヤー・・・
このレースには萩往還の仕掛け人”小野”さんも常連で参加され ここから萩往還が始まった・・・と思います!??!我がクラブからは田代・田畑・荒巻らが挑戦!
何故 中止になったか・・・?は6月27日の暑気払いの際に・・・!
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すごい歴史がありますね。 (上野)
2010-06-10 07:00:54
すごい歴史がありますね。
会報に載せましょう。
なぜ中止に?
参加者がいなくなった?
だれもゴールできなくなった?
世話人がだれもいなくなった?
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私も、S52年(第3回か4回)に参加しました。 (新木(県大RC))
2010-06-10 20:57:05
私も、S52年(第3回か4回)に参加しました。
当時は、走ろう会10名、高校生15名程度の参加者数だったと記憶してます。
何故中止になったかは、分かりませんが、宿泊先の問題ではないかと思ってます。
当時は、山口先生、加地会長が計画されていたと思います。1日目の宿泊先が旭化成
(山口先生の息子が旭化成柔道部だったから?)、2日目、3日目(加地会長の計ら
い?)高千穂、矢部の公民館だったと記憶してます。
開催時期についてですが、私が参加していた頃は、夏休みが始まって直ぐの頃だった
と思います。
朝、3時にスタートして11時か12時にはゴールしていました。
フリー走も1日何回か有ったように記憶してます・・・・。
30年以上も前の事なので記憶が定かではありませんが、懐かしく思いコメントしま
した。

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ありがとうございます。第3回大会に参加とはすご... (上野)
2010-06-10 22:01:08
ありがとうございます。第3回大会に参加とはすごいですね。当時ではすごいマラソンだったのではないでしょうか。
みなさんの話からかなり、当時の様子がわかってきました。私なりにまとめてみました。
●小川町の柔道部の先生が生徒の鍛錬のために九州横断に近いランを考えたのがすべてのきっかけ。
●熊本走ろう会(加地先生)や古里名誉会長らが延岡→56km→高千穂(公民館で宿泊)→42km→矢部(公民館で宿泊)→45km→小川、の2泊3日150kmの九州横断を始める。
●開催日は7月下旬~8月お盆の後
●第1回は昭和49年、平成4年まで15回開催
●午前3時スタート、昼にはゴール
●集団走、自由走、休憩を繰り返して進んだ
●参加者は始めは熊本走ろう会の人と柔道部の高校生の20名弱。次第に全国から集まるようになり、第12回大会では74人の参加。
ということのようですね・当時の記録を簡単に見ることができませんので、みなさんの体験談が貴重な資料になります。
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第10回に参加しました! (匿名)
2016-02-25 17:28:41
はじめまして。。。有る企画の為、九州横断マラソンを参考にしたく、検索しました。

山口勇先生はじめ、極少人数の方で多数の老若男女の参加者を受け入れられていたため、15回で終了されたと思います。初めは柔道部の強化だったそうです。

健康で感動の有る企画を考えたいと思います。
ありがとうございました。
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Unknown (上野)
2016-02-26 06:50:29
ご覧いただきありがとうございます。
なんらかのお役に立てば幸いです。
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