今春「橘湾岸スーパーマラニック320km」の開催が発表された。制限時間58時間(午前7時スタートの場合)というのを聞いて驚いた・・・できるわけがない。よほどのスピードランナーでないと無理だろうと思った。
●320kmという距離: 320kmというのは九州縦断の距離(高速道路で鹿児島→八幡間)に匹敵します。私はこれまで九州縦断を7回してきました(4回成功)。67時間ぐらいかかりますし、仮眠もビジネスに泊まったり、銭湯で仮眠したり、だいたい9時間ぐらい休んでいました。それを58時間で走るとなると、9時間も早く走らなければなりません。当然、仮眠の時間も数時間しか取れなくなります。数時間の仮眠で320km走れるわけがありません。「個人のマラニックとレースでは気合が違う」とは言いますが、これはあまりに違い過ぎます。このレースはもう体力の限界に挑戦するような「サバイバルレース」です。
●ワンステージ走: 全国には400km、500kmのマラニックもありますが、たいてい300kmを越すと、数回、宿泊所に泊まって、数日かけて走る「ステージ走」で行われます。今回は一気に320km走るという「ワンステージ走」です。
以前からワンステージ走の限界は何キロだろうとラン友と話すことがありましたが、橘湾岸276kmを完踏してからは「276kmが限界だろう」と言っています。320kmは276kmより44km長いだけですが、276km走ったあとの44kmは、普通の44kmとはまったく違います。足だけではなく膝、腰、首、肩など全身の筋肉に異常な収縮が起こり、さらに内臓にも異常が、めまい、胃痛などを引き起こしてきます。どう考えても、320kmはワンステージで走る距離ではありません。
●春の217kmレースの後: 320kmの参加資格はさほどきびしくはなく、同大会の217kmと100kmを完踏すれば参加資格を得ることができます。私は春に217kmを完踏して参加資格をとりました。しかし、217kmのゴール後、両大腿部の筋肉痛が強烈になり、歩くのもままならない状態になり、「これからさらに100km走るのは無理だ、320kmは走れない」と思いました。
そのため320kmの受付が始まっても、参加をためらっていたのですが、320kmは2年に1回の開催。次の開催は2年後、私は70歳になっています。それを考えると、今やっておかないと後で後悔するのではと考え、ダメもとで挑戦だけはしようと、締切り間際に申込みました。
参加する以上は絶対完踏をしたいと思い、夏から320km対策のマラニックを数回実行。6月「甘木キリンビールマラニック」、7月「湯山温泉マラニック」、8月「南九州周回マラニック322km」、9月「福岡アサヒビールマラニック」。
とくに、南九州周回マラニックで脚のトラブルもなく322km完踏できたのが自信になりました。
11月1日早朝、長崎市内の出島表門橋公園に選手が集まった。320kmには58名がエントリー、名前をみると、萩往還250kmの常連さんが多い。スタートは7、9、11、13時に分かれ、走力によって決められます。私は7時一番スタート。7時スタートは38名。気温14度、晴れ、絶好のマラニック日和り。
今回はいろいろと作戦を考えました。春の217kmの教訓から、後半に余力を残すために、小浜(217km)までの前半はゆっくり行く「前半ゆっくり作戦」。さらに小浜での仮眠を3時間とれるように17時に到着する「3時間睡眠作戦」。ところが・・・・
●「前半ゆっくり作戦」: スタートしてすぐに稲佐山山頂(7km)でチェック。ここまでの道は自由に決めていいようになっているので、以前見つけた最短・急上り坂コースを行くことに。案の定、稲佐山には1番でゴール、こうなると調子に乗りスピードが益々アップ。鳴見ダム(33km)までトップで走行。伊王島を終え、100km地点を12時間52分で通過。川原関門(143km)は春の大会で最大の難関とされ午前4時の関門に多くの選手がアウトになった。今回は関門時間が7時に延長されたので、午前5時ぐらいに通過予定にしていたのだが3時半に到着した。急がなくてもいいのに、なぜか急いでしまう。案の定、茂木(160km)から脚のこわばりが強くなり、歩きが多くなってきた。結局、小浜温泉(217km・仮眠所)には予定より1時間も遅く到着してしまった・・・ゆっくり作戦失敗。
●「3時間睡眠作戦」: 再スタートの20時まで3時間ゆっくり寝る予定だったが、1時間遅く着いてしまい、さらに予想以上のからだの損傷があり、体調を整えるために、全身を拭いてケアして、上下着替えて、食事をしていたら、結局、20時までに1時間しか寝ることができなかった・・・「3時間睡眠作戦」も失敗に終わった。
23時までに再スタートすればいいので、もう少し寝ていてもいいのだが、過去のデータで20時以降に再スタートした選手は完踏率が悪いため、無理してでも20時にスタートしたかった。
●「歩け歩け作戦」: 小浜・南本町公民館(217km)再スタートは20時から23時まで自由にできる。320kmと276kmの選手が一緒にスタートする。
20時に再スタートしたが、選手は100名ほどしかいない。すでに半分の選手がリタイアしていた。てれっとのメンバーは7名中5名が再スタートにいた。ゴールできたのはそのうち4名だった(写真の5名)。
残り103kmは時間が21時間もあるので走らなくても早歩きだけでも十分間に合う計算だ。そこで、最後まで脚をもたせるために、走るのは下りだけにして、早歩きで進む「歩け歩け作戦」で行くことに・・・・ところが、そううまくはいかなかった。
歩くと決めると、やたら自販機に寄ったり、椅子に座って靴を直したり、汗を拭いたりして休憩するようになってきた。20kmを4時間で行く予定だったが、なんと4時間を大きくオーバーしてしまい、このペースでは関門に引っかかる可能性がでてきた。結局、遅れた時間を取り戻すために、いつものように走らざるを得なくなった。歩かずに普通に小走りでもしておけばよかったと反省・・・・「歩け歩け作戦」も失敗。
●睡魔と幻覚: 2回目の夜を迎え、深夜0時を過ぎるとさすがに眠い。寝ているのか真っ暗な所を歩いているのか区別がつかなくなってきた。気がつくと立ったまま寝ている。この100kmコースは今までに7回走って周知のコースなのだが、見る景色がいつもと違って見える。雑木林が大きなビルに見えたり、高架が突然目の前に現れたりして、道を間違えているのではと何度も地図を開いたりして、なかなか先に進めない。
途中のバス停のベンチには多くの選手が寝ていた。私も寝たかったが、関門に間に合わなくなるのではと思うと寝れなかった。走っては止まりの繰り返しでなんとか島原城(275km)に7時15分に到着。ここのギリギリタイムは8時。45分の余裕があるが、進むスピードはかなり落ちているので安心はできない。少なくとも仮眠をするような時間の余裕は完全になくなってしまった。
●腰痛・めまい: 島原城から眉山ロードの上り坂(7km)、雲仙温泉までの上り坂(10km)とすごい上り坂が続く。上り坂を前屈みで進んでいたら、腰を伸ばすと腰に痛みが出るようになった。エイドでビールを飲むと、やや腰痛が和らぐが、30分もするとまた痛くなる。さらにまた飲むと和らぐのだが、これを繰り返していたら、酔っぱらって眠くなりそうなので飲むのはやめた。
雲仙温泉エイド(304km)に着いたのは14時。残り16km下りのみ、3時間。普通なら楽勝なのだが、下りは振動が腰に響くので痛くて走れない。さらに悪いことに、休もうと腰をかがめた瞬間、強烈なめまいが起こり、すってんころりん。数回転倒した。腰をかがめるとめまい、伸ばすと腰痛でどうしようもなくなってきた。しばらく横になりたいのだが制限時間が気になって休めない。腰を手で支えて、めまいが起こらないように頭を起こして早歩き(写真)。
●最終関門: 最終関門はゴール6km手前の小浜木場集会所(314km)。ここまできて関門アウトにはなりたくない。他の選手は下りをドンドン走って行くが、走ることができず、とにかく休まず必死に進んだ。
最終関門が見えた時は思わず「ヤッター」と叫んだ。関門35分前に着いた。エイドの人に「完踏したですね、すごい、おめでとうございます」と言われた。目もうつろで相手が誰だかわからなかったが、近づいて顔をみたらXL姉さんだった(写真)。
最終関門はクリアできたが、やはり最終ゴールテープを17時前に切りたい。残り6kmも早歩きで進んだ。下りを終え、ゴールの南本町公民館が見えてきた。ゴール手前には多くの人たちが出迎えてくれた。みんなが見ているので無理して走った。「もう少しだよ」「よくやった」「おめでとう」。ハイタッチをすると腰痛がひどくなるが笑顔で答えた。
●ゴール: 16時35分、到着。320kmは終わった、もう走らなくていい。両手を膝についてしばらく動けなかった。
ゴールゲートに立って記念撮影、まっすぐ立とうと思うのだが、腰が伸ばせない(写真)。周りからの拍手、ラン友との握手で涙が出てきた。渡されたビールを一気に飲み干した。もう最高の気分。
57時間35分!320kmは54名出走し26名完踏、完踏率48%。20位(26名中)完踏者では私が最高年齢だった。
前代未聞のワンステージ320kmマラニック。絶対無理だと思っていたが、完踏できた。それもたった1時間の仮眠だけで、57時間半という時間で・・・なにもかもが信じられない。運が良かったとしか思えない。おそらくもう一回個人で走ったとしても、こんな記録は絶対出ないだろう、いや完踏すらできないだろう。
これで大会本部から「ハイパー金龍ランナー」の称号をいただけました。320kmは2年後にまた開催されますが、こんなきついレースはもう出るつもりもありません・・・と言いながら、無意識に再来年の11月のカレンダーを調べている自分がいるんですね。
★320km完踏してわかったこと
①睡眠: 普通に走行していると、小浜にも20時ギリギリに着いてしまい、仮眠する暇はない。後半の103kmで時々数十分寝るしかない。ある程度、スピードをあげないと、仮眠する時間がとれなくなる。
②コースアウト: やはり、深夜は道を間違えやすい。伊王島を出てから国道に入るまでの道は要注意。権現山、椛島灯台も要注意。
③筋肉痛: 腰、脚、肩に痛みが出る。そのときの対策を考えておくこと
④飲食: 脱水に要注意。胃がもたれて食欲がないときでも、塩分を必ずとる(ポカリ・OS1)。水分だけの給水は要注意。
*最後に、こんな大変なレースを開催された大会関係者に感謝です。エイドの準備は相当大変だったと思います。とても気持ちよく走れました。エイドでの会話が疲れたこころを癒してくれました。ほんとうにありがとうございました。
★長崎橘湾岸スーパーマラニック320km~写真アルバム
http://ultramaranic.sakura.ne.jp/xa19tatibana3203.html