AID STATION

今を精一杯生きたい

萩往還同窓会

2015年12月24日 19時39分31秒 | 日記

昨日はクラブの忘年会。

そこに河野さんと田代さんと吉松さんが参加していた。

彼らを見てある記憶がよみがえってきた・・・・・今から11年前(2004年)・・・初めて萩往還マラニック250kmに参加したときのことを。

そのとき一緒に撮った写真が右の写真。

この時は吉松さんだけが完踏して、残りの3名はリタイアした。

その後、3回4人一緒に250kmに参加したが、4人とも完踏できたのは2007年の1回だけ。

初挑戦の時は、私はまだヘッドライト、タイツを持っていなかった。写真のように下は半パンツの上にウィンドブレーカ、上も綿のシャツにウィンドブレーカ(写真では脱いでいる)だった。

夜は寒く昼は暑いと聞いていたので、夜はウィンドブレーカでしのぎ、昼はブレーカは脱いで半袖半パンで走るつもりだった。

ところが、予想に反して天気は夜から2日間大雨。

私のブレーカは耐水性ではなかった。全身びしょ濡れ。バッグの中もびっしょり。

さらに最悪なことに、おにぎりをビニルパックに入れてゴムで止めただけでバッグに入れていた。

大雨で雨がビニルパックに入ったようで、おにぎりは溶けておかゆ状態。

バッグに入れていたものはすべておかゆに沈んでいた。

地図はボロボロに破れ見れない。オーディオラジオは故障。カメラも破壊。

午後3時(140km地点)にやっとコンビニがあった。傘を買うとか、着替えを買うとかすればよかったのに、何故か「ここまで濡れたら、もうとことん濡れていこう」と考えてしまった。

あまりのきつさに怒りを覚え、反骨精神で頭はいっぱいだった。冷静な判断ができる精神状態ではなかった。2日目の夜、あまりの寒さにとうとうダウンした。

・・・・250km初挑戦は160kmで終わった・・・

もう、4人一緒に萩往還に行くことはないだろうが、これからも4人集まったら絶対萩往還の話になるだろう。

記念に当時の写真の順番で並んで写真を撮った(下の写真)。11年も経つと風貌はかなり変わってしまったが、4人が集まると、当時の話で盛り上がり、気持ちは11年前のまま。

話をしていると気持ちが若返り、足にパワーが蘇る。萩往還の苦しさ・きつさ・喜びを分かち合った仲間・・・・・できたら、ミニ萩往還でもしたいですね。

コメント
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