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今を精一杯生きたい

てれ還になった

2015年12月09日 10時16分00秒 | 日記

2008年11月に「てれっと55」というグループを作った。同年代でマラソンを争うという企画。5名の平均年齢が55歳だったので「てれっと55会」とした。20大会ぐらい実施した。しかし、年々故障者が出てきて、ここ数年はもう競うことはなくなった。

今年で、参加者の平均年齢が60.4歳と、とうとう60歳を越えた。「てれ還」となった。結成時のブログがあった・・・読むと、懐かしい・・・以下です・・・

****** 結成日 2008.11.12 *****

以前、5人(橋本、上野、池上、有働、牛)で「さくら」で飲んでいて、みんなが同年代なのに気づいた。昭和26、27,28,30年生まれ。57,56,55,53歳(平均55歳)。

さらに、みんなの最近のフルの記録も3時間半から3時間50分の間。そこで酒も入って「今年の青島で競争しようではないか」ということになった。あとで松原さんも参加。

一応「参加条件はここ数年フル3時間半を切っていないこと。サブ3非経験者。団塊の世代より数年若い人まで」が条件なので、松原さんにはハンディ10分・・・・6人で競争することになった。

ランで人と争うのは好きではないが、今回は大会のあと、レースを振り返りながらビールを飲んで楽しもうという趣旨である。これなら大賛成。

私はどんケツ候補だが、最近ハーフでベストが出たので、本番どういう走りになるか自分でもわからない。ひょっとしたらひょっとするかも。あと1ヶ月。だれが1位になってもおかしくない。ことしの青太は楽しみです。

***第1回レースの模様(青島太平洋マラソン)2008.12月 ****

「てれっと55フル競争」・・・6人の中年男がさほど速くもないのに、マラソンを競争しようと言い出した。その時だれも断らなかった。負けるとわかっている勝負などだれもしない。みんな自分が勝つと思っていたようだ・・・酒の力は怖い・・・そしてとうとうその日が来た。

12月14日青島太平洋マラソン。6人の中には体調が悪いものが半数。しかし、勝負は勝負。期待と不安を持ってスタートに並んだ。

スタート直後は、前にならんだ松原、上野選手がまず先頭に出た。

5kmあたりでスピードに勝る池上選手が上野選手を抜き2位へ。相変わらずのロケットスタートである。そのままの勢いで松原選手も抜き、差をどんどん広げて断トツとなる。

17kmの折り返しでの順位は池上、松原、上野、有働、橋本、牛。

上野以下はそれぞれ数十mづつ離れており、相手の出方を見るかのようにゆっくり走行。

20kmから有働選手がスピードを上げてきた。26kmで上野選手を抜き3位へ浮上。逆に30kmあたりから断トツだった池上選手のスピードが急にダウン。とうとう松原選手に抜かれてしまう。

有働選手の勢いは衰えず、35km過ぎでスピードが落ちてきた池上選手も抜き2位へ浮上。

37kmでの順位は松原、有働、池上、上野、牛、橋本。

これで優勝は松原、有働の二人にしぼられた。松原選手には10分のハンディがあるため、有働選手は松原選手を目で確認できるくらいの差までに追い上げれば勝てる。

逃げる松原・・・追う有働!

松原選手3時間23分でゴール。ハンディがあるので有働選手が3時間32分でゴールすれば有働選手の優勝だが・・・3時間23分経過するも、有働選手の姿は見えず。

この瞬間、松原選手の優勝が決定。有働選手は3時間37分のベスト記録更新、池上・上野は40分台、牛は50分台、橋本選手は膝痛で4時間切れず。

松原選手には副賞としてハンディを加えます。おめでとうございました。

*****    以上です

★ 「楽団ひとり」 演奏  一人5重録音

Johnny B Goode 、1958年チャックベリーの作品

 https://www.youtube.com/watch?v=K0NUpyzqhZQ

コメント (4)
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