水曜日。少しずつ記憶があいまいになっていきます。これはよくない。本当はもっとタイムリーに記録していかなければいけないのですが。夜は気が付いたら寝ています。何とか起きておきたいなと思いながらも・・・。
この日は夕方から用事があるので最後まで練習が見れない状況でした。そうであればそれまでに何をするのかという部分が重要になる。できるだけ時間を確保しながらでしょうか。走練習を中心にするときには「補強系を減らす」ようにしたいなと思っています。補強に時間を割くと走る時間が不足するからです。この日は意図的に補強も実施。サーキット系を入れました。
補強は「短期的な取り組みでは変わらない」と思っています。数日間やったからといって劇的に成果が出るものではない。時間をかけてしっかりとやっていく。そしてその補強の成果が「取り組みの意識」に比例すると思っています。これはずっと言い続けている部分です。どこのチームでも「補強」をしています。それがどのような形で出てくるか。「本格的に基礎筋力を上げる」という意識があるかどうか。「補強が必要」というのはどの指導者もある程度理解していると思います。その「必要度」は違ってくる部分はあります。
私は「基礎筋力」は重要だと思っています。ここ最近は「応用」的な補強が増えていました。そのため「ベーシックなもの」が不足していました。「やり方によって効果が異なる」という部分が大きくなる補強もあります。本来狙っている部分とは異なる補強をしてしまう部分。こうなると「補強はやっている」のに「身体ができない」という「結果」になっていきます。時間はかけていますが成果は出にくいという「結果」です。必要な部分に必要な筋肉がつかなければそれは「練習」として効果はないという判断をするべきなのかなと感じています。
かなり補強をやってきました。しかし、「結果」につながってきていない。そうであれば見直しをするべきだと考えています。あるタイミングで師匠と話をしました。これは以前から私が言い続けていた部分です。日本のトップ選手が「もっと上の記録を狙うため」に練習のパターンを変えることがあります。「誰も到達したことのない部分」を目指すにあたって「誰もやっていないこと」をやる必要があると考える。それにより「動きが崩れて戻らなくなる」というのを何度も見てきました。
「走れるようになってきた」というのは、そこまでの練習パターンが「正しい」という判断をするべきだと思います。しかし、ある一定水準を超えると「新しいこと」や「より高度なこと」を求めてしまう。これまでやってきたことを否定するわけではないと思いますが「ベーシックな部分」が疎かになることで「走れなくなる」のだと思います。
実際、そのことを「全否定」してきたのですが、気が付くと自分自身がその状況に陥っていた気がします。「より良い練習を目指す」ということを考えすぎて実際に「基礎的なこと」が抜けていた。結果、上手くいかない。当然の話です。「不易」と「流行」という言葉は私の中で大きな意味を持ちます。すべてのことにおいて「不易」「流行」という視点で物事をとらえるように心がけてきました。が、。気が付けば「不易」が疎かになっている。これでは上手くいきません。情けない話です。
そういう部分もあって「原点に帰る」というのを重視しようと思いました。凝り固まって「基本」というつもりはありません。しかし、「基礎になる部分」を忘れていたら「土台」がしっかりとしない。それにより「不安定さ」が生まれ力が上がらない。考えれば当然の話だったのですが。「より良い練習を目指す」ということが先に立っていて「基礎の徹底」が抜けてしまうと上手くいかない。当然の話ですが。
最近、練習時間が足りなくなるということが増えていました。途中でカットする。もちろん、効率が悪いというのもあったのですが「あれもこれも」ということで消化不良のまま練習が進んでいた部分があると思います。技術的なことも補強もということで結局「走る」ことが減ってしまっていた。悪循環ですね。正直、「技術的にめちゃくちゃ」でも「速ければそれでいい」という部分があります。実際、その手の選手は何人もいます。「そういう指導はしたくない」と思うがあまり、過剰に「違うこと」をやりたくなっていたのかもしれません。ダメですね~。
練習内容について書こうと思っていたのですがいつのまにか「補強」や「考え方」に内容が変わっています(笑)。とりあえず、長くなりそうなのでいったん区切っておきます。目の前にいる選手をどうするかだけを考え続けたいと思います。