思うことを。
前の記事にも書いた。競技の指導に関する根本的な部分は師匠から学んだ。経験則から抜け出して「競技指導の基礎」を学ぶ。これができるかどうかは大きなことだと思う。以前も書いたが女子の指導の中で12秒14・15・17・30・36の5人の選手と一緒に競技をやってきた。これだけ過疎化している県内でこれだけの選手と一緒にできたのは私の自慢になる。もともと、そこまでの選手ではなかったがきちんと練習をする中で強くなっていった。
一人だけが強くなったというのではない。こうやって複数の選手が高いスピードを出して走れるようになったというのはそれなりの理由があると思っている。しかし、それが本当に正しい練習なのかというのはわからない。他にも強くするための練習はあるのだと思う。師匠から教わったことをもとに自分自身の中で作ってきた練習スタイル。とにかく「遊んでいる」としか言えない(笑)。正しいかどうか。それをどのように判断するのか。
逆に「正しくないな」と思う練習はたくさんある。単純に真似をして「やるだけ」の練習はかなり効率が悪い。10人いて1人に合うかどうかの練習になる。1人は「たまたま」であってそれが次も同じようにできるとは限らない。指導する人間が「意図」を持って指導できていないメニューに関しては意味がないのではないかと思っている。ある時にkbi先生が「あんたの練習は説明できるか?」と問われたことがある。それは私の指導に関してはなく他の指導者の指導を見ていて「意味がないのでは」と感じての話だったと思う。やっている練習に対して「なんのためにやるのか」をきちんと説明できるようになる。それは必須だと思う。
そう考えると指導者が「意味を説明できる」練習であればそれはすべて「正しい」といえるのではないか。技術的な話だけではない。それを選手に説明するかどうかは別にして「これをやることでこのような効果がある」「ここには明確な狙いがある」と示せる練習であればそれは選手にとって必ずプラスになるのではないか。多くの場面で「やっているだけ」の練習を見かける。練習や動きが「雑」な練習は好まない。これは私の性格的なものかもしれないが。
自分自身の性格は「雑」だと思う。競技面に関してはかなり几帳面(笑)。必要なものを整理整頓して組み合わせる。組み立てる。この手のことは労を惜しまない。それどころか「必要」と感じたらどこまででも見に行く。ネット社会なので「強豪校がやっている練習」などはどこにでも転がっている。それだけでは選手は育てられない。
gt先生が「近くで細かく見る」ことについてあれこれ言っていた。ざっくり見るのではなく近くでじっくり見る。その中で気づくことがある。見なければ分からない。基本はそこだと思う。だから私は常にグランドで見る。補強などに関しても妥協はしない。正確な動きができるようにする。ここも外せない。パワーで誤魔化すのではなくきちんとした動きをする。誤魔化していた部分がきちんと出来ればもっと力が上がることになる。
誰が何をもって「正しい」とするのか。それは分からない。私は今自分がやっていることが「ただしい」と信じてやっている。それが正解なのかどうかは分からない。全く疑わずにやるというのはなかなかできない。常に「これでいいのか?」と自問自答している。そうでなければ練習の改善はできないと思っている。流行りの練習はやらない。その代わり遊ぶ。遊び感覚の中で練習をしていく。ここが正しいのかも分からない。
うん。相変わらずまとまりのない内容。それでも思うことを記していく。それだけは続けたい。自問自答しながらやる。
前の記事にも書いた。競技の指導に関する根本的な部分は師匠から学んだ。経験則から抜け出して「競技指導の基礎」を学ぶ。これができるかどうかは大きなことだと思う。以前も書いたが女子の指導の中で12秒14・15・17・30・36の5人の選手と一緒に競技をやってきた。これだけ過疎化している県内でこれだけの選手と一緒にできたのは私の自慢になる。もともと、そこまでの選手ではなかったがきちんと練習をする中で強くなっていった。
一人だけが強くなったというのではない。こうやって複数の選手が高いスピードを出して走れるようになったというのはそれなりの理由があると思っている。しかし、それが本当に正しい練習なのかというのはわからない。他にも強くするための練習はあるのだと思う。師匠から教わったことをもとに自分自身の中で作ってきた練習スタイル。とにかく「遊んでいる」としか言えない(笑)。正しいかどうか。それをどのように判断するのか。
逆に「正しくないな」と思う練習はたくさんある。単純に真似をして「やるだけ」の練習はかなり効率が悪い。10人いて1人に合うかどうかの練習になる。1人は「たまたま」であってそれが次も同じようにできるとは限らない。指導する人間が「意図」を持って指導できていないメニューに関しては意味がないのではないかと思っている。ある時にkbi先生が「あんたの練習は説明できるか?」と問われたことがある。それは私の指導に関してはなく他の指導者の指導を見ていて「意味がないのでは」と感じての話だったと思う。やっている練習に対して「なんのためにやるのか」をきちんと説明できるようになる。それは必須だと思う。
そう考えると指導者が「意味を説明できる」練習であればそれはすべて「正しい」といえるのではないか。技術的な話だけではない。それを選手に説明するかどうかは別にして「これをやることでこのような効果がある」「ここには明確な狙いがある」と示せる練習であればそれは選手にとって必ずプラスになるのではないか。多くの場面で「やっているだけ」の練習を見かける。練習や動きが「雑」な練習は好まない。これは私の性格的なものかもしれないが。
自分自身の性格は「雑」だと思う。競技面に関してはかなり几帳面(笑)。必要なものを整理整頓して組み合わせる。組み立てる。この手のことは労を惜しまない。それどころか「必要」と感じたらどこまででも見に行く。ネット社会なので「強豪校がやっている練習」などはどこにでも転がっている。それだけでは選手は育てられない。
gt先生が「近くで細かく見る」ことについてあれこれ言っていた。ざっくり見るのではなく近くでじっくり見る。その中で気づくことがある。見なければ分からない。基本はそこだと思う。だから私は常にグランドで見る。補強などに関しても妥協はしない。正確な動きができるようにする。ここも外せない。パワーで誤魔化すのではなくきちんとした動きをする。誤魔化していた部分がきちんと出来ればもっと力が上がることになる。
誰が何をもって「正しい」とするのか。それは分からない。私は今自分がやっていることが「ただしい」と信じてやっている。それが正解なのかどうかは分からない。全く疑わずにやるというのはなかなかできない。常に「これでいいのか?」と自問自答している。そうでなければ練習の改善はできないと思っている。流行りの練習はやらない。その代わり遊ぶ。遊び感覚の中で練習をしていく。ここが正しいのかも分からない。
うん。相変わらずまとまりのない内容。それでも思うことを記していく。それだけは続けたい。自問自答しながらやる。