思うことを。
色々と本を読む。これでもか?!という感覚の中で本を読む。義務感というものはない。今は読むことを欲している感覚。図書室で「自己実現という罠」という本を見つけた。何故かめちゃめちゃ興味を持った。
読み始めるとなかなか面白い。申し訳ないが「本」としては面白くない。文章とか表現の仕方は私的にはうーんという感じだった。これは好みの問題かもしれない。社会学系の人の書く文章なんだろうなという感じ。内容というか視点は非常に面白い。
キャリア教育に関する話から始まって「働くことの意味」まで。ざっくり概要を。日本では「お金のために働いている」というとかなり批判される。そういう風土がある。生活をするためには「お金」が必要になる。そこを前面に出すことで「あいつはお金に汚い」みたいな言い方をされる。仕事に対する「やりがい」や「働くことで輝く」というような考え方が主流になる。いやいや、実際にそういう幻想を追い求めることが今の「ブラック企業」と言われる働き方の根底にあるのではないか?という感じ。
「お客様のために」という耳障りの良い表現の下で「満足してもらうための自己犠牲」が当然だという感覚になる。サービス残業などが批判される中で「お客様のために時間外にやらなければいけない」というような考え方がある。それが日本における美徳。「お金にならないからやりません」ということを口にしようものなら「なんてやつだ」と批判される。まさに(笑)教育関係の仕事は特にあると思う。「生徒のために」という大義名分の下、「生徒のために働くのが当然だ」と求められる。時間外だからという主張をしようものなら保護者から「何でやってもらえないんだ」というクレームがつく。
このことについて触れてあった。雇う側の都合の良いように扱う。ここはなかなかだと思う。「やりがい」という綺麗事を掲げることで「やるのが当たり前」だと本人も思ってしまう。「外的要因」である「給料」に目を向けるのではなく「やりがい」「感謝」という「内的要因」を前面に押し出して「低価格での労働力」を確保する。
そういう部分は現実としてあるのだと思う。トップ企業の経営者の理念はこういう部分が前面に押し出されている。ホリエモンは違うので何かいえば炎上する。「お金のために働く」なんて下賤だ、と。何が正しいかは分かりません。世論に迎合していくのかどうか。「見て見ぬ振り」をしている部分が大きくないか?!という気はする。
「やりがい」という美徳に頼ることで自分自身も保てるのだと思う。時間を切り売りして働いている。それだけでは楽しくない。「お客さんが喜んでくれるから」という部分で自分自身を納得させるというのもあると思う。時間外労働を正当化するためには「誰もが納得する理由」が必要になる。
一番興味深かったのが著者が「大学講師」だったこと。助教ではなく「講師」だった。この立場は非常に難しい。きちんと雇われているわけではない。ある意味著者の「想い」を正当化するためにあれこれデータを集めているのではないかという気さえする。講師で賃金が上がらない。その中で「学生のために」という大義名分でかなりの時間を奪われる。時間外労働は当たり前。やっても賃金に反映されない。今の現状はおかしくないか?という主張をしているのではないかという感じがした。穿った見方だと思うけど(笑)。
何が正しいか。これはやはり分からない。それぞれの立場から考えることで「善」と「悪」は決まっていく。雇用すると方としては「コストカット」という意味で「上手く働かせたい」と考える。「社会貢献だ」という考え方を押し出せば「自分は社会のために役立っている」という内発的動機づけになる。無意識のうちに自分の行為が正当化される。お金にならないけど働いているというのは「社会のために」「お客様のために」という理由があるから仕方ないんだと。
「好きなことを仕事にする」というのをキャリア教育では推し進める。私はそんなことしていないと思うが視点が違えばキャリア教育は「悪」なのかもしれない。難しい。
私は比較的好きにやらせてもらっている。「お金」がメインの働く動機ではない。綺麗事と言われるかもしれないが。給料がいくらかは知らない。生活ができているから良いのかなという感覚。競技と関わることができるというのが今の自分のモチベーションなのかもしれない。それがなくなったは労働意欲は激減する可能性はある。ここは今の段階では分からないが。
「選手のために」という想いもある。が、今考えている事がきちんと形になるかというのを求めているところもあると思う。興味関心があって勉強していることを生かしていけるという意味では幸せなのかもしれない。「ブラック部活」だと言われる。まさに(笑)。これほど理不尽なことはこの世に存在しないのではないかと思う(笑)。が、私個人としては「趣味の延長」という感覚。苦にはならない。だからといって全ての人にこの環境で部活動の顧問をやるのが当然だとは言わらない。理不尽すぎるから。
結局、人は自分の置かれた場所によって考え方が変わる。それだけは確かだなと感じた。繰り返しになるが「善」「悪」を一概には言えない。誰かにとってプラスだとしても誰かにとってはマイナスになることも多くある。
働くこと。そこに関して考えることはある。それぞれにとって何が大切なのか。正解はない。
まとまらない(笑)とりあえず書いておく。
色々と本を読む。これでもか?!という感覚の中で本を読む。義務感というものはない。今は読むことを欲している感覚。図書室で「自己実現という罠」という本を見つけた。何故かめちゃめちゃ興味を持った。
読み始めるとなかなか面白い。申し訳ないが「本」としては面白くない。文章とか表現の仕方は私的にはうーんという感じだった。これは好みの問題かもしれない。社会学系の人の書く文章なんだろうなという感じ。内容というか視点は非常に面白い。
キャリア教育に関する話から始まって「働くことの意味」まで。ざっくり概要を。日本では「お金のために働いている」というとかなり批判される。そういう風土がある。生活をするためには「お金」が必要になる。そこを前面に出すことで「あいつはお金に汚い」みたいな言い方をされる。仕事に対する「やりがい」や「働くことで輝く」というような考え方が主流になる。いやいや、実際にそういう幻想を追い求めることが今の「ブラック企業」と言われる働き方の根底にあるのではないか?という感じ。
「お客様のために」という耳障りの良い表現の下で「満足してもらうための自己犠牲」が当然だという感覚になる。サービス残業などが批判される中で「お客様のために時間外にやらなければいけない」というような考え方がある。それが日本における美徳。「お金にならないからやりません」ということを口にしようものなら「なんてやつだ」と批判される。まさに(笑)教育関係の仕事は特にあると思う。「生徒のために」という大義名分の下、「生徒のために働くのが当然だ」と求められる。時間外だからという主張をしようものなら保護者から「何でやってもらえないんだ」というクレームがつく。
このことについて触れてあった。雇う側の都合の良いように扱う。ここはなかなかだと思う。「やりがい」という綺麗事を掲げることで「やるのが当たり前」だと本人も思ってしまう。「外的要因」である「給料」に目を向けるのではなく「やりがい」「感謝」という「内的要因」を前面に押し出して「低価格での労働力」を確保する。
そういう部分は現実としてあるのだと思う。トップ企業の経営者の理念はこういう部分が前面に押し出されている。ホリエモンは違うので何かいえば炎上する。「お金のために働く」なんて下賤だ、と。何が正しいかは分かりません。世論に迎合していくのかどうか。「見て見ぬ振り」をしている部分が大きくないか?!という気はする。
「やりがい」という美徳に頼ることで自分自身も保てるのだと思う。時間を切り売りして働いている。それだけでは楽しくない。「お客さんが喜んでくれるから」という部分で自分自身を納得させるというのもあると思う。時間外労働を正当化するためには「誰もが納得する理由」が必要になる。
一番興味深かったのが著者が「大学講師」だったこと。助教ではなく「講師」だった。この立場は非常に難しい。きちんと雇われているわけではない。ある意味著者の「想い」を正当化するためにあれこれデータを集めているのではないかという気さえする。講師で賃金が上がらない。その中で「学生のために」という大義名分でかなりの時間を奪われる。時間外労働は当たり前。やっても賃金に反映されない。今の現状はおかしくないか?という主張をしているのではないかという感じがした。穿った見方だと思うけど(笑)。
何が正しいか。これはやはり分からない。それぞれの立場から考えることで「善」と「悪」は決まっていく。雇用すると方としては「コストカット」という意味で「上手く働かせたい」と考える。「社会貢献だ」という考え方を押し出せば「自分は社会のために役立っている」という内発的動機づけになる。無意識のうちに自分の行為が正当化される。お金にならないけど働いているというのは「社会のために」「お客様のために」という理由があるから仕方ないんだと。
「好きなことを仕事にする」というのをキャリア教育では推し進める。私はそんなことしていないと思うが視点が違えばキャリア教育は「悪」なのかもしれない。難しい。
私は比較的好きにやらせてもらっている。「お金」がメインの働く動機ではない。綺麗事と言われるかもしれないが。給料がいくらかは知らない。生活ができているから良いのかなという感覚。競技と関わることができるというのが今の自分のモチベーションなのかもしれない。それがなくなったは労働意欲は激減する可能性はある。ここは今の段階では分からないが。
「選手のために」という想いもある。が、今考えている事がきちんと形になるかというのを求めているところもあると思う。興味関心があって勉強していることを生かしていけるという意味では幸せなのかもしれない。「ブラック部活」だと言われる。まさに(笑)。これほど理不尽なことはこの世に存在しないのではないかと思う(笑)。が、私個人としては「趣味の延長」という感覚。苦にはならない。だからといって全ての人にこの環境で部活動の顧問をやるのが当然だとは言わらない。理不尽すぎるから。
結局、人は自分の置かれた場所によって考え方が変わる。それだけは確かだなと感じた。繰り返しになるが「善」「悪」を一概には言えない。誰かにとってプラスだとしても誰かにとってはマイナスになることも多くある。
働くこと。そこに関して考えることはある。それぞれにとって何が大切なのか。正解はない。
まとまらない(笑)とりあえず書いておく。