「鎌倉個道」

鎌倉の歴史、草花、食物

扇ケ谷への道 その二

2008-07-12 10:52:00 | Weblog
■阿佛尼

阿佛尼は「十六夜日記」の作家としてつとに有名である。
藤原定家の子藤原為家の室で、冷泉為相の母であるが、
為家のために異母兄弟との相続争いを訴えた人として有名である。
鎌倉幕府までの紀行文「十六夜日記」が歴史に残っている。
この地が母・阿佛尼の墓とするならば、
小高い場所にある子・冷泉為相(ためすけ)の墓を望む位置である。

■隠里稲荷

阿佛の墓の隣は「隠里稲荷」である。
源頼朝の夢枕に立った白髭の老人が稲荷の化身だったという。

■浄光明寺の裏山

JR横須賀線の線路を挟んだ向かいの山なみ。
浄光明寺の奥山につながっている。
そこには冷泉為相が祀られている。
水戸黄門こと徳川光圀が墓石を寄進している。

■海蔵寺への道

海蔵寺への緩やかな登り坂である。
左手を行くと化粧坂(けはいざか)経由で源氏山につながっている。

■海蔵寺山門

谷戸の奥に海蔵寺(かいぞうじ)がある。
「花の寺」として四季折々尋ねる人が多い。
途中の住宅の緑が美しさに協力する姿も佳い。

■海蔵寺庭園

日傘の奥が海蔵寺の庭園である。
ここでパンフレット代金を支払って
「十六井」を見るのがコースになる。
今日はパスさせてもらった。

■海蔵寺本堂

海蔵寺本堂の額の文字はなかなか雄渾なものだ。
奥の庭には池があり茶室のような建物もある。
この寺を極めるには無窮の時間が必要なようだ。

■海蔵寺のノウゼンカズラ

ノウゼンカズラが美しい。
「花の寺」の面目躍如というところ。

■海蔵寺の桔梗

さらに海蔵寺の桔梗の美しさも筆舌に尽くしがたい。

■海蔵寺の鐘楼

海蔵寺の鐘楼はなかなか絵になる。
日傘を点景にして静かに心のひだを刻んでいる。

■海蔵寺井戸

山門脇の小さな水たまりは鎌倉十井の一つ
「底脱の井」(そこぬけ)である。
里の少女の桶の底が抜けて悟りを開いたという話。
なかなか洒脱なエピソードがついている。

■岩船地蔵

源頼朝・政子夫妻の長女「大姫」を祀る。
20年ほど前までは村の盆踊り屋台のような雰囲気だった。
今では六角形の瀟洒なお堂が建ち
ときにお参りして行く人も多いと聞く。
海蔵寺の地蔵堂になっている。

■扇が谷のやぐら
扇ガ谷地域にもやぐらが多くある。

相馬次郎師常の墓と書かれている。
「八坂神社」の神輿はここに置かれていたらしい。


相馬次郎師常
鎌倉町青年団の歴史碑。

■扇川のヒオウギ

扇川にホタルをという願いを込めた運動をしているようだ。
川の周囲には植物が多い。
ヒオウギが美しく咲いている。

■亀谷坂分岐

海蔵寺までの道を戻る。
横須賀線を潜るこの分岐から左へ行くと地蔵堂がある。
さらに左は「亀谷坂」、右「浄光明寺」である。
海蔵寺へ行かなかった人力車もこの鉄橋を潜る。

■扇が谷の路地

鎌倉の路地は秘密めいた場所が多くて楽しい。
亀谷坂から写真の場所に到着するといつも迷う。
左に行けば「浄光明寺」
踏切を渡れば「英勝寺」
真っすぐ歩けば最初にアケビが実る姿が見られる。

■扇が谷上杉

路地の奥に鎌倉町青年団の歴史碑がある。
「扇谷上杉管領屋敷跡」とある。
大船駅近くの長尾台は、
上杉謙信(長尾景虎)の末裔たちが栄えた場所なのだろう。

■扇が谷の路地2

さらに進む。
今度は左が壽福寺踏切
直進すれば今小路で
鶴岡八幡宮や鏑木清方記念館に続く道だ。
小さな流れは季節に応じた灌木が目を楽しませる。

■八坂神社の高札

再び八坂神社に戻る。
お祭りの神輿が出る様子はない。
六角形の神輿を見るという課題は来年に持ち越すことにする。

■踏切を渡れば別世界

鎌倉駅西口に向かう道路の脇をすり抜ける。
「今小路踏切」と書かれた無人の遮断機つき踏切を渡る。

今小路は鎌倉時代からあったという古道。
踏切を渡れば別世界だが、
余韻に浸りながら「八坂神社」の祭礼探しの旅を終わる。

□参考
■八坂神社(扇ガ谷)の高札には次のように書かれている。
(筆者注:原文は古文調であるが現代仮名遣いに改めた)
 建久3年 相馬次郎師常 
 己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。
 その後 現在の地に奉遷する。
 世に相馬天王と称するはこの故である。
 神幸式は5日12日の両日に行われていたが
 今では12日のみとなった。
 中世 御幸祭の神輿荒ぶるとて
 師常館の岩窟に納め新たに調達したと伝えられる。
 独特の六角神輿は宗社である
 京都祇園 八坂神社の形を伝承したものである。

 享和元年、慶応元年に社殿の改築が行われた。
 明治6年 村社に列格される。

 さらに「元神輿之碑」は大正12年の関東大震災で
 壊滅した元神輿を昭和8年焚いて
 その浄灰をここに納めた記念の碑である。















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扇ケ谷への道 その一

2008-07-12 10:06:00 | Weblog
鎌倉歩きをしていると歴史を伝える高札をよくみる。
扇ケ谷の「壽福寺」のそばに「八坂神社」があり
7月12日が祭礼だと書かれていた。
時間も何もわからないが取りあえず行ってみようということになる。

鎌倉駅西口を出るとすぐ前に「源氏山」の山並みが見える。
数日ぶりの猛暑である。


ウオーナーの碑が目印の時計塔は待ち合わせに適当だ。
最近では人力車がこんなところで客待ちをしている。


■市役所前の信号を右へ

真っ直ぐ行く道は「市役所通り」で
トンネルを2つ越えると笛田・梶原地区。
左右の道は歴史のある古道である。
すれ違うのが大変だが自動車はひっきりなしだ。

■八坂神社
最初に目にするのは「巽神社(たつみじんじゃ)」
次が「八坂神社」である。
御幣はきれいになっているが人影は見えない。


珍しい「元神輿之碑」があった。
神輿はそれまで何度か壊れたことがあった。
ところが関東大震災で全く使えなくなったようだ。
数年がかりで再興して「六角形の神輿」が完成した。

氏子たちは元の神輿の骨組を荼毘に付した。
燃え尽きたあとの灰をこの地に埋めたのだ。
神輿に生命が宿っていることを伝えたかったのだろう。

壽福寺境内で土地の古老らしき人に出会った。
 「人手がないのだろう、
  最近は神輿をかついだり担がなかったり。
 今年もやるかどうかわからない」

■寿福寺

壽福寺(じゅふくじ)は鎌倉五山第3位。
日本にお茶を持ってきた栄西(えいさい、ようさいと呼ぶ人もいる)が開山。
開放的な場所だが中ほどの門から先はめったに入れない。

■寿福寺参道
壽福寺参道の模様の素晴らしさは鎌倉一かもしれない。


■英勝寺
さらに進むと英勝寺(えいしょうじ)である。
太田道潅ゆかりの寺でもともとは尼寺だった。
一時手放したが戻ってきた山門の修復工事が始まっている。


英勝寺垣とでも呼びたくなるような白壁が続く。

この奥には「化粧坂」「海蔵寺」などが続いている。

■英勝寺の門

花の寺「英勝寺」の門である。
この時期の花を知らせる案内板がかけられている。

続きは「その二」で。





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