■阿佛尼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/7b/2962c8cf35664297277868f22ca4c02c.jpg)
阿佛尼は「十六夜日記」の作家としてつとに有名である。
藤原定家の子藤原為家の室で、冷泉為相の母であるが、
為家のために異母兄弟との相続争いを訴えた人として有名である。
鎌倉幕府までの紀行文「十六夜日記」が歴史に残っている。
この地が母・阿佛尼の墓とするならば、
小高い場所にある子・冷泉為相(ためすけ)の墓を望む位置である。
■隠里稲荷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ba/26b37a225fdea0f71533ade318546413.jpg)
阿佛の墓の隣は「隠里稲荷」である。
源頼朝の夢枕に立った白髭の老人が稲荷の化身だったという。
■浄光明寺の裏山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e2/48cac8ecb749d881e44c6c95c472b1c7.jpg)
JR横須賀線の線路を挟んだ向かいの山なみ。
浄光明寺の奥山につながっている。
そこには冷泉為相が祀られている。
水戸黄門こと徳川光圀が墓石を寄進している。
■海蔵寺への道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/75/f018cfd5c861e0e30140c15be134a49a.jpg)
海蔵寺への緩やかな登り坂である。
左手を行くと化粧坂(けはいざか)経由で源氏山につながっている。
■海蔵寺山門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/54/e6a316e9778597e1adc3fd7de1f27ad7.jpg)
谷戸の奥に海蔵寺(かいぞうじ)がある。
「花の寺」として四季折々尋ねる人が多い。
途中の住宅の緑が美しさに協力する姿も佳い。
■海蔵寺庭園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/10/e3ed46f81432256093bf9d55a978f94a.jpg)
日傘の奥が海蔵寺の庭園である。
ここでパンフレット代金を支払って
「十六井」を見るのがコースになる。
今日はパスさせてもらった。
■海蔵寺本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/01/324e234a8543b5574e8af709731153ca.jpg)
海蔵寺本堂の額の文字はなかなか雄渾なものだ。
奥の庭には池があり茶室のような建物もある。
この寺を極めるには無窮の時間が必要なようだ。
■海蔵寺のノウゼンカズラ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/67/6e80b430766044327202705aab03bd84.jpg)
ノウゼンカズラが美しい。
「花の寺」の面目躍如というところ。
■海蔵寺の桔梗
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/ee/5f4527c6e4b392eab8ed1895ea4345b5.jpg)
さらに海蔵寺の桔梗の美しさも筆舌に尽くしがたい。
■海蔵寺の鐘楼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/36/28e64557cdac5c687533c0945ca2b588.jpg)
海蔵寺の鐘楼はなかなか絵になる。
日傘を点景にして静かに心のひだを刻んでいる。
■海蔵寺井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/cb/b834df5eb3c71fb7fd1fc91aef280391.jpg)
山門脇の小さな水たまりは鎌倉十井の一つ
「底脱の井」(そこぬけ)である。
里の少女の桶の底が抜けて悟りを開いたという話。
なかなか洒脱なエピソードがついている。
■岩船地蔵
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/dd/34841a92edc155b59ec4526de62d957b.jpg)
源頼朝・政子夫妻の長女「大姫」を祀る。
20年ほど前までは村の盆踊り屋台のような雰囲気だった。
今では六角形の瀟洒なお堂が建ち
ときにお参りして行く人も多いと聞く。
海蔵寺の地蔵堂になっている。
■扇が谷のやぐら
扇ガ谷地域にもやぐらが多くある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a1/883a0d6ea637481eeba6dc2d04e8af66.jpg)
相馬次郎師常の墓と書かれている。
「八坂神社」の神輿はここに置かれていたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ad/ef9e5cf5020f571cc7ae67ffde1b63d9.jpg)
相馬次郎師常
鎌倉町青年団の歴史碑。
■扇川のヒオウギ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/c2/9948d5a2c00db84b7e4b9e33bcc3da31.jpg)
扇川にホタルをという願いを込めた運動をしているようだ。
川の周囲には植物が多い。
ヒオウギが美しく咲いている。
■亀谷坂分岐
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0d/2d84570053be7f84e91117ed1a91ab05.jpg)
海蔵寺までの道を戻る。
横須賀線を潜るこの分岐から左へ行くと地蔵堂がある。
さらに左は「亀谷坂」、右「浄光明寺」である。
海蔵寺へ行かなかった人力車もこの鉄橋を潜る。
■扇が谷の路地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/dd/68b1d687861308b56b33efd797d0cb0d.jpg)
鎌倉の路地は秘密めいた場所が多くて楽しい。
亀谷坂から写真の場所に到着するといつも迷う。
左に行けば「浄光明寺」
踏切を渡れば「英勝寺」
真っすぐ歩けば最初にアケビが実る姿が見られる。
■扇が谷上杉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a7/224b9cf27d1af8a960acba465ed14bcc.jpg)
路地の奥に鎌倉町青年団の歴史碑がある。
「扇谷上杉管領屋敷跡」とある。
大船駅近くの長尾台は、
上杉謙信(長尾景虎)の末裔たちが栄えた場所なのだろう。
■扇が谷の路地2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/b0/83a62f7095a2258ed36606cfdf15e830.jpg)
さらに進む。
今度は左が壽福寺踏切
直進すれば今小路で
鶴岡八幡宮や鏑木清方記念館に続く道だ。
小さな流れは季節に応じた灌木が目を楽しませる。
■八坂神社の高札
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e0/6c9ca882d1d6e33df86f2dd861678ec3.jpg)
再び八坂神社に戻る。
お祭りの神輿が出る様子はない。
六角形の神輿を見るという課題は来年に持ち越すことにする。
■踏切を渡れば別世界
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/2a/ffd4129d4787b7ebf3c05d2ef39f5b75.jpg)
鎌倉駅西口に向かう道路の脇をすり抜ける。
「今小路踏切」と書かれた無人の遮断機つき踏切を渡る。
今小路は鎌倉時代からあったという古道。
踏切を渡れば別世界だが、
余韻に浸りながら「八坂神社」の祭礼探しの旅を終わる。
□参考
■八坂神社(扇ガ谷)の高札には次のように書かれている。
(筆者注:原文は古文調であるが現代仮名遣いに改めた)
建久3年 相馬次郎師常
己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。
その後 現在の地に奉遷する。
世に相馬天王と称するはこの故である。
神幸式は5日12日の両日に行われていたが
今では12日のみとなった。
中世 御幸祭の神輿荒ぶるとて
師常館の岩窟に納め新たに調達したと伝えられる。
独特の六角神輿は宗社である
京都祇園 八坂神社の形を伝承したものである。
享和元年、慶応元年に社殿の改築が行われた。
明治6年 村社に列格される。
さらに「元神輿之碑」は大正12年の関東大震災で
壊滅した元神輿を昭和8年焚いて
その浄灰をここに納めた記念の碑である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/7b/2962c8cf35664297277868f22ca4c02c.jpg)
阿佛尼は「十六夜日記」の作家としてつとに有名である。
藤原定家の子藤原為家の室で、冷泉為相の母であるが、
為家のために異母兄弟との相続争いを訴えた人として有名である。
鎌倉幕府までの紀行文「十六夜日記」が歴史に残っている。
この地が母・阿佛尼の墓とするならば、
小高い場所にある子・冷泉為相(ためすけ)の墓を望む位置である。
■隠里稲荷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ba/26b37a225fdea0f71533ade318546413.jpg)
阿佛の墓の隣は「隠里稲荷」である。
源頼朝の夢枕に立った白髭の老人が稲荷の化身だったという。
■浄光明寺の裏山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e2/48cac8ecb749d881e44c6c95c472b1c7.jpg)
JR横須賀線の線路を挟んだ向かいの山なみ。
浄光明寺の奥山につながっている。
そこには冷泉為相が祀られている。
水戸黄門こと徳川光圀が墓石を寄進している。
■海蔵寺への道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/75/f018cfd5c861e0e30140c15be134a49a.jpg)
海蔵寺への緩やかな登り坂である。
左手を行くと化粧坂(けはいざか)経由で源氏山につながっている。
■海蔵寺山門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/54/e6a316e9778597e1adc3fd7de1f27ad7.jpg)
谷戸の奥に海蔵寺(かいぞうじ)がある。
「花の寺」として四季折々尋ねる人が多い。
途中の住宅の緑が美しさに協力する姿も佳い。
■海蔵寺庭園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/10/e3ed46f81432256093bf9d55a978f94a.jpg)
日傘の奥が海蔵寺の庭園である。
ここでパンフレット代金を支払って
「十六井」を見るのがコースになる。
今日はパスさせてもらった。
■海蔵寺本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/01/324e234a8543b5574e8af709731153ca.jpg)
海蔵寺本堂の額の文字はなかなか雄渾なものだ。
奥の庭には池があり茶室のような建物もある。
この寺を極めるには無窮の時間が必要なようだ。
■海蔵寺のノウゼンカズラ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/67/6e80b430766044327202705aab03bd84.jpg)
ノウゼンカズラが美しい。
「花の寺」の面目躍如というところ。
■海蔵寺の桔梗
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/ee/5f4527c6e4b392eab8ed1895ea4345b5.jpg)
さらに海蔵寺の桔梗の美しさも筆舌に尽くしがたい。
■海蔵寺の鐘楼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/36/28e64557cdac5c687533c0945ca2b588.jpg)
海蔵寺の鐘楼はなかなか絵になる。
日傘を点景にして静かに心のひだを刻んでいる。
■海蔵寺井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/cb/b834df5eb3c71fb7fd1fc91aef280391.jpg)
山門脇の小さな水たまりは鎌倉十井の一つ
「底脱の井」(そこぬけ)である。
里の少女の桶の底が抜けて悟りを開いたという話。
なかなか洒脱なエピソードがついている。
■岩船地蔵
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/dd/34841a92edc155b59ec4526de62d957b.jpg)
源頼朝・政子夫妻の長女「大姫」を祀る。
20年ほど前までは村の盆踊り屋台のような雰囲気だった。
今では六角形の瀟洒なお堂が建ち
ときにお参りして行く人も多いと聞く。
海蔵寺の地蔵堂になっている。
■扇が谷のやぐら
扇ガ谷地域にもやぐらが多くある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a1/883a0d6ea637481eeba6dc2d04e8af66.jpg)
相馬次郎師常の墓と書かれている。
「八坂神社」の神輿はここに置かれていたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ad/ef9e5cf5020f571cc7ae67ffde1b63d9.jpg)
相馬次郎師常
鎌倉町青年団の歴史碑。
■扇川のヒオウギ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/c2/9948d5a2c00db84b7e4b9e33bcc3da31.jpg)
扇川にホタルをという願いを込めた運動をしているようだ。
川の周囲には植物が多い。
ヒオウギが美しく咲いている。
■亀谷坂分岐
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0d/2d84570053be7f84e91117ed1a91ab05.jpg)
海蔵寺までの道を戻る。
横須賀線を潜るこの分岐から左へ行くと地蔵堂がある。
さらに左は「亀谷坂」、右「浄光明寺」である。
海蔵寺へ行かなかった人力車もこの鉄橋を潜る。
■扇が谷の路地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/dd/68b1d687861308b56b33efd797d0cb0d.jpg)
鎌倉の路地は秘密めいた場所が多くて楽しい。
亀谷坂から写真の場所に到着するといつも迷う。
左に行けば「浄光明寺」
踏切を渡れば「英勝寺」
真っすぐ歩けば最初にアケビが実る姿が見られる。
■扇が谷上杉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a7/224b9cf27d1af8a960acba465ed14bcc.jpg)
路地の奥に鎌倉町青年団の歴史碑がある。
「扇谷上杉管領屋敷跡」とある。
大船駅近くの長尾台は、
上杉謙信(長尾景虎)の末裔たちが栄えた場所なのだろう。
■扇が谷の路地2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/b0/83a62f7095a2258ed36606cfdf15e830.jpg)
さらに進む。
今度は左が壽福寺踏切
直進すれば今小路で
鶴岡八幡宮や鏑木清方記念館に続く道だ。
小さな流れは季節に応じた灌木が目を楽しませる。
■八坂神社の高札
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e0/6c9ca882d1d6e33df86f2dd861678ec3.jpg)
再び八坂神社に戻る。
お祭りの神輿が出る様子はない。
六角形の神輿を見るという課題は来年に持ち越すことにする。
■踏切を渡れば別世界
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/2a/ffd4129d4787b7ebf3c05d2ef39f5b75.jpg)
鎌倉駅西口に向かう道路の脇をすり抜ける。
「今小路踏切」と書かれた無人の遮断機つき踏切を渡る。
今小路は鎌倉時代からあったという古道。
踏切を渡れば別世界だが、
余韻に浸りながら「八坂神社」の祭礼探しの旅を終わる。
□参考
■八坂神社(扇ガ谷)の高札には次のように書かれている。
(筆者注:原文は古文調であるが現代仮名遣いに改めた)
建久3年 相馬次郎師常
己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。
その後 現在の地に奉遷する。
世に相馬天王と称するはこの故である。
神幸式は5日12日の両日に行われていたが
今では12日のみとなった。
中世 御幸祭の神輿荒ぶるとて
師常館の岩窟に納め新たに調達したと伝えられる。
独特の六角神輿は宗社である
京都祇園 八坂神社の形を伝承したものである。
享和元年、慶応元年に社殿の改築が行われた。
明治6年 村社に列格される。
さらに「元神輿之碑」は大正12年の関東大震災で
壊滅した元神輿を昭和8年焚いて
その浄灰をここに納めた記念の碑である。