JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

旧雄勝町大須地区

2012年05月06日 | 東北大震災


 今は石巻市となった旧雄勝町。硯石(スレート)の産地として有名で、東京駅のレンガ駅舎の屋根にもこの辺りのスレート石が使われています。町の中心部に硯の展示館がありましたが、津波で壊滅状態となりました。

 震災前、何度か雄勝町大須集落の民宿に泊まったことがあります。大須は、湾内ではなく、外海に面していて、日の出を見ることができるのです。民宿の屋号も日の出荘。海の真ん前というロケーションが気に入り、何度かお世話になりました。

 何度目だったか忘れましたが、集落を散策していると、小学1~2年ほどの女の子が人なつこく話しかけてきて、「家で昆布作ってるよ」といって、案内してくれました。

「工場なの?」
「うん」

 付いていくと、そこは民家の敷地にある作業小屋で、中では父親らしき人がとろろ昆布作りの最中でした。乾燥させた昆布を、専用の機械にかけると、面白いように絹状のとろろ昆布が出来上がります。出来立ての昆布を食べてみたくなり、「いいですか?」と尋ねると、この人も人なつこい表情で、「食べてみて」と言ってくれました。

 これが縁となり、とろろ昆布は毎年、このAさんから直接買うようになりました。店ではないのですが、電話で注文して送ってもらうこともあります。

 震災後、数ケ月してやっと電話がつながり、状況をお聞きすると、「数軒が波に持っていかれたが、大須は大丈夫」とのことでした。その数軒の内の1軒が民宿日の出荘だったのだそうです。「道路が復旧したら行ってみたい」と告げると、「いや、がけ崩れもあって、しばらく危ないから後でいい。落ち着いたら昆布は送る」とのことでした。

 それから1年、やっと今回、大須を訪れる機会を得ました。跡形もなくなった町の中心部を過ぎ、かつて立派なスレート家屋が建ち並んでいた明神地区も土台のみを残して、何もありませんでした。大須地区へは細い車道を山越えします。所々崖崩れがあり、応急的に復旧されていました。

 たどり着いた小さな集落は、依然と変わりなく細い路地に密集したままの家並みを留めておりました。ちょうどお祭りの日で法印神楽が奉納され、子どもたちで賑わっていました。港まで降りてみると、日の出荘のあった場所は、舟置場に変わり、漁協の建物は鉄骨だけ残して、残骸をさらしていました。大須は、湾ではなく外海に面していたこと、集落が雛段状にせり上がっていること、などから大きな被害は免れたようです。


大須の家並み

祭りのハイライト法印神楽(重要無形民俗文化財)


 Aさんとも再会を果たすことができました。道路の寸断で震災直後から「陸の孤島」になり、避難所に住民が食料を持ち寄って何とかしのいだのだとか。「やっと祭りができるようになった」と嬉しそうに話していました。とろろ昆布の生産も再開したそうです。少しずつでもこの雄勝の地に活気が戻ることを願うばかりです。



大須への途中にある桑浜小学校(廃校) 天然スレート葺き



<硯上山(けんじょうさん)>

 この日のもう一つの目的は、雄勝町のシンボル的存在でもある硯上山(標高520m)での無線運用。この日は、福島の局との特小実験を兼ねて登りました。相手局の移動地は吾妻小富士1707m。カシミール3Dでは見通し距離134km。成功すれば、当局にとって新記録樹立となったはずでしたが・・・。残念ながら、交信成立とはなりませんでした。とぎれとぎれに相手局の変調は届いていたのですが、双方の風が強く了解度が著しく下がったこと、吾妻小富士側の濃霧の影響等々で、交信できないまま、信号自体が入らなくなってしまいました。超ローパワー10mWの世界は容易ではないです。


硯上山山頂


山頂より雄勝湾と中心部


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