JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

エネループ プロ

2012年05月18日 | 移動運用装備


 ヨドバシカメラ仙台店が新ビルに移ったというので、行ってみました。売り場は3階構造になっていて、恐ろしく広いです。そして人の多さに圧倒されそうになりました。ハムフェア3年分が一度に来たようなすごい活気。正直、疲れました。

 いろいろ売り場を見て歩いて、目に留まったのが、電池売り場のエネループ。見慣れた白いパッケージ以外に、何種類か別のエネループが陳列されていました。しばらく見ぬ間に、様々なタイプが登場していたようです。知りませんでした。何も買わないで帰るのも何なので、買ってみました。「エネループ プロ」。ついでに専用充電器も。

 従来のエネループとの違いは、1)容量が1900mAh→2400mAhに増量したこと、2)繰り返し使用回数が1500回→500回に減少したこと、3)寸法が少し大きくなったらしいこと、の3点。容量をとるか使用回数をとるか、ということになりますが、無線運用では、とにかく容量アップは魅力ですね。充放電も500回できれば十分では?パッケージはブラックになり、いかにもパワフルという感じはあります。


専用充電器 1本ずつ充電状態を表示してくれます



 買ってきてそのまま使えるというふれこみですが、一応、専用充電器でフル充電してみました。この状態で電圧を測ると、1.356V。ニッケル水素なので1.2Vかと思っていたらけっこう高めです。


乾電池ケース(右)

 さっそく、ハンディ機DJ-S57の乾電池ケースに6本装着。サイズが少し大きくなったようで、従来品よりキツメではありますが、問題なく装着することができました。6本で電圧は8.136V。

 先日の栗駒山。2m運用にて、実際に使ってみました。従来のエネループだと、5W運用を続けて、3時間程で電池切れとなります。今回は、2時間弱の運用で、リグの電池残量表示がちょうど半分のレベル3となりました(DJ-S57は6レベルの残量表示ができます)。送信時間によりますが、普通にQSOして5Wで4時間近く持つのでは?との印象です。帰宅してから、この状態で電圧を測ってみると7.61V。単体では1.268V。なかなかのスタミナと言えます。


5W 2時間弱運用での状態 まだまだいけそうです



 いつだったか、純正のリチウムバッテリーで運用中、電池が切れそうになり、満充電した別のリチウムバッテリーに交換したら、相手局から急に信号が強くなったとのレポートをいただいたことがあります。リチウム電池といえども、使用中の電圧はかなり降下していくのだと思われます。その点、エネループは最後まで1.2V以上をキープしてくれるという点で、やはり無線には適しているのでは? 機会をみて、リチウムバッテリーの電圧降下についても測ってみて比較したいと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特小実験155km交信

2012年05月15日 | 奥山 移動運用


 昨年12月、仙台市の泉ケ岳と福島県田村市の移ケ岳との間、102kmの交信以来、しばらく途絶えていた特小トランシーバーによる交信実験。先週は、石巻市の硯上山と福島市の吾妻小富士134kmに挑戦したのですが、交信ならず、でした。

 今回、宮城県栗原市の栗駒山と福島県二本松市の麓山(はやま)との間、155kmの交信実験。

 栗駒山は標高1627m。宮城県の北端に位置し、東北全体の中でも、ほぼ中央にあります。2年前、この山頂で8エリア、襟裳岬アポイ岳の移動局と交信したことがあります(2mにて)。一方、相手局の麓山は標高870mの独立峰。富士山が見える北限の山のようで、移ケ岳と並んで、FBなロケーションのようです。カシミール3Dによると、距離155.8km、「見えます」判定。途中、泉ケ岳をかすめるのが気になるところです。


中間のピークが泉ヶ岳

 この日は、宮城、山形、秋田、岩手各県ともおおむね晴れの予報となっていました。栗駒山はこの4県境に位置します。夜間通行止めのゲートが開く9時を待って、登山口のいわかがみ平へ。上空は晴れているものの、風が強く、山頂あたりはガスがかかって、激しく流れていく様子が見てとれました。「山頂での無線運用はできないかもしれない」そんな不安がよぎりつつも、何組かのパーティの後に続き、雪渓を登り始めました。40分程登ると、ガスの中に突入。身の危険を感じるほどの突風に。実験開始時刻の午前11時にはまだ1時間早いものの、風を避けられる斜面に移動して、430メインで呼んでみたところ、すぐに相手局から応答あり。もう少しで麓山山頂とのこと。到着を待って実験を開始しました。当局の標高は山頂よりかなり下の1380m地点。


一瞬 姿を見せてくれた栗駒山山頂


 まずは430MHz。相手局0.3W、当局0.5Wで59-59。問題のない伝搬を確認し、特小実験開始。さっそく、こちらから何度かロングに呼びかけてみました。が、なかなか応答がありません。少し動き回ったり、アンテナを水平にしたり垂直にしたりを繰り返し、やっと相手局の変調を断片的にとらえることができました。こちらから31のレポート。何かを話しているのはわかるのですが、半分了解不能。その内、「31・・・確認・・・しました。こちら・・・51」。かろうじてレポート交換でき、10時11分交信成立。と言っても、きわめて不安定な信号で、会話が成り立つという感じではありません。いったん、実験を終了し、もう少し標高を稼ぐことにしました。


使用リグ アルインコDJ-R20D

 15分程登り、1408m小ピークの手前で風を避けながら、再度、実験開始。標高は1400m地点。こちらから呼びかけると、今度は麓山局からの明瞭な変調にすぐに手ごたえを感じました。先ほどとは明らかに違いますが、Sメーターはまったく振れず、リグを顔に近づけると了解度が下がってしまいます。音量を上げ、受信時は離して聞く、送信時は口元に近づける、そんな運用。またアンテナは、垂直でも水平でもなく、斜め40度あたりが最も良好でした。レポートは51-41。この状態で約1時間、安定して交信を続けることができました。

 はじめの1380m地点では、途中にある泉ケ岳が障害物となっていたと思われます。1400m地点に上がって、ほぼその影響から抜け出た、といった印象でした。特小10mWのQSOはいつもスリリングで、電波の通り道をうまく捉えないと交信できません。反射や山岳回折もあるにはあると思いますが、遠距離交信となれば、今回の実験でも「見通し」であるかどうかが絶対条件、そんな印象を持ちました。1627mの山頂であれば、なお安定した交信ができたと思われます。いづれにしても、特小トランシーバー10mW、155km交信成功。麓山局に感謝です。


 特小実験後、2mにてQRV。この日は、新潟でコンテストがあり、何局か応答させていただきました。新潟市、燕市、新発田市、長岡市など。また会津美里町の局ともQSOいただきました。交信距離180km~240kmほど。飯豊や吾妻連峰を超え、0エリア方向の伝搬も悪くないようです。


2/3λヘンテナ  リグDJ-S57 5W

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧雄勝町大須地区

2012年05月06日 | 東北大震災


 今は石巻市となった旧雄勝町。硯石(スレート)の産地として有名で、東京駅のレンガ駅舎の屋根にもこの辺りのスレート石が使われています。町の中心部に硯の展示館がありましたが、津波で壊滅状態となりました。

 震災前、何度か雄勝町大須集落の民宿に泊まったことがあります。大須は、湾内ではなく、外海に面していて、日の出を見ることができるのです。民宿の屋号も日の出荘。海の真ん前というロケーションが気に入り、何度かお世話になりました。

 何度目だったか忘れましたが、集落を散策していると、小学1~2年ほどの女の子が人なつこく話しかけてきて、「家で昆布作ってるよ」といって、案内してくれました。

「工場なの?」
「うん」

 付いていくと、そこは民家の敷地にある作業小屋で、中では父親らしき人がとろろ昆布作りの最中でした。乾燥させた昆布を、専用の機械にかけると、面白いように絹状のとろろ昆布が出来上がります。出来立ての昆布を食べてみたくなり、「いいですか?」と尋ねると、この人も人なつこい表情で、「食べてみて」と言ってくれました。

 これが縁となり、とろろ昆布は毎年、このAさんから直接買うようになりました。店ではないのですが、電話で注文して送ってもらうこともあります。

 震災後、数ケ月してやっと電話がつながり、状況をお聞きすると、「数軒が波に持っていかれたが、大須は大丈夫」とのことでした。その数軒の内の1軒が民宿日の出荘だったのだそうです。「道路が復旧したら行ってみたい」と告げると、「いや、がけ崩れもあって、しばらく危ないから後でいい。落ち着いたら昆布は送る」とのことでした。

 それから1年、やっと今回、大須を訪れる機会を得ました。跡形もなくなった町の中心部を過ぎ、かつて立派なスレート家屋が建ち並んでいた明神地区も土台のみを残して、何もありませんでした。大須地区へは細い車道を山越えします。所々崖崩れがあり、応急的に復旧されていました。

 たどり着いた小さな集落は、依然と変わりなく細い路地に密集したままの家並みを留めておりました。ちょうどお祭りの日で法印神楽が奉納され、子どもたちで賑わっていました。港まで降りてみると、日の出荘のあった場所は、舟置場に変わり、漁協の建物は鉄骨だけ残して、残骸をさらしていました。大須は、湾ではなく外海に面していたこと、集落が雛段状にせり上がっていること、などから大きな被害は免れたようです。


大須の家並み

祭りのハイライト法印神楽(重要無形民俗文化財)


 Aさんとも再会を果たすことができました。道路の寸断で震災直後から「陸の孤島」になり、避難所に住民が食料を持ち寄って何とかしのいだのだとか。「やっと祭りができるようになった」と嬉しそうに話していました。とろろ昆布の生産も再開したそうです。少しずつでもこの雄勝の地に活気が戻ることを願うばかりです。



大須への途中にある桑浜小学校(廃校) 天然スレート葺き



<硯上山(けんじょうさん)>

 この日のもう一つの目的は、雄勝町のシンボル的存在でもある硯上山(標高520m)での無線運用。この日は、福島の局との特小実験を兼ねて登りました。相手局の移動地は吾妻小富士1707m。カシミール3Dでは見通し距離134km。成功すれば、当局にとって新記録樹立となったはずでしたが・・・。残念ながら、交信成立とはなりませんでした。とぎれとぎれに相手局の変調は届いていたのですが、双方の風が強く了解度が著しく下がったこと、吾妻小富士側の濃霧の影響等々で、交信できないまま、信号自体が入らなくなってしまいました。超ローパワー10mWの世界は容易ではないです。


硯上山山頂


山頂より雄勝湾と中心部


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山村集落めぐり

2012年05月04日 | 運用スタイルなど


 蔵王温泉の翌日、この日もほぼ快晴。2年前に訪れた椹平(くぬぎだいら)の棚田を思い出し、また行ってみることにしました。ルートは、以前から気になっていた県道18号線。山辺町から朝日町に抜ける山道で、いくつかの集落が点在しています。国土地理院2万5千分の一地図を眺めながら、山中にあるこの集落はどんな所だろう、などと想像をめぐらせ、実際に訪ね歩くのも、山登りとはまた違った楽しさがあります。山村集落めぐり。普通の田舎歩き。無線とは特に関係はありませんが、見晴らしの良い自分だけの場所を見つけてQRV・・・などというのも悪くないかなと思います。

 さて、入口となる山辺町の北垣集落あたりは、桜と共に、さくらんぼも花盛り。雪が多かった分、何もかも一気に開花したようです。県道18号に入ると、急に山道の雰囲気に変わりますが、道路自体は想像していたよりも立派な2車線が続いていました。いくつか小さな集落を過ぎ、標高を上げると山形盆地が眼下に見えてきます。そして峠にあたる鳥海トンネルの手前、最奥部に相の沢集落がありました。何で生計を立てているのか、県道をはさんで7~8軒の民家が人の気配もなく、小さな畑と共にひっそりと佇んでおりました。


県道18号と相の沢集落

大蕨の棚田

 古びたトンネルを抜け、朝日町側へ下ると、大蕨(おおわらび)集落が現れてきました。ここも棚田が見事です。急こう配の山を切り開き、どこから水を引くのか不思議なくらいの高さまで棚田がせり上がっています。そこにへばりつくように点在する民家。棚田と共にある暮らしが一目瞭然なのです。さらに進むと沢沿いに送橋、古槇集落。そして四の沢集落へ。一気に眺望が開け、朝日連峰の主峰大朝日岳が目に飛び込んできました。北に月山と葉山。なかなかの展望地。


古槇集落

八天橋からの最上川


 国道276号との交差点を直進。ここからは2年前と同じで、一本松公園まで登ると、前回と変わらぬ椹平の棚田が広がっていました。真下に見える能中集落、そして最上川を挟んで町の中心地、宮宿、そこかしこに桜が咲き誇り、まさに桃源郷。棚田は全部で190枚程。開発されたのは、昭和10年代だそうで、それまで桑畑だったところを、子どもから老人まで村人総出で何年もの苦闘の末に、開田したものだそうです。水は手堀の水路から引いているとも聞きました。単に美しいだけではないんですね。


椹平  一本松公園より

能中集落


 山村に暮らし続けるのは並大抵のことではなく、事実、多くの人々が平地の町へと移っていきました。その結果、廃村になってしまった集落も一つや二つではないと聞きます。今ある山村集落はどこも美しく、こんな素晴らしい所があったのだな、といつも思ってしまいます。風景だけでなく、人々の汗の結晶、凝縮した暮らしの知恵、技術、それらすべてに何か心惹かれてしまうのかもしれません。そして、消えゆく集落。もともと何を由来として暮らすようになったのか?川魚漁であったり、炭焼き、林業、養蚕であったり、あるいは鉱山・・・。昔、賑やかに暮らせた村が、どうして今は暮らせないのか、何が継承され、何がすたれたのか、村を離れたことで豊かになれたのか、そもそも豊かさとは・・・。棚田を眺めながら、いろいろなことが脳裏をかけめぐりました。

 ひとつ、ほっとする話も聞きました。近年、椹平の棚田の米をぜひ食べたいという人が増えているのだそうです。ネットで知られるところとなったようです。土地も集落もそれぞれの道を辿りながら、これからまた新たな展開に出会うことになるかもしれません。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の熊野岳

2012年05月03日 | 奥山 移動運用


 好天に恵まれた連休前半。エコーラインの除雪が完了し、全線開通したとのニュースを聞いて、蔵王熊野岳(1840m)に登ってみました。今シーズン初めての山岳移動運用。このところ多忙で休みも取れない状態が続いているので、今回は、蔵王温泉に一泊、しばし気分転換してきました。

 刈田岳駐車場に8時30分到着。すでに20台ほどの先客がおりました。登山者はちらほら、ほとんどが観光客。この時期のお釜はまだ氷の下で、エメラルドグリーンは望むべくもないのですが・・・。





 15分ほど登ると、お釜の全容が見えてきました。氷が張っていますが、少し溶けかかって、面白い姿を見せてくれました。

 今日はほぼ快晴。到着した山頂からは正面に朝日連峰、飯豊連峰の白い山並み、その先に吾妻、安達太良、北に目を転じれば月山、鳥海山と360度の大展望。風はあるものの、寒さはまったく感じません。


 さっそく、無線の準備。今回もハンディ機DJ-S57とHB9CV(145MHz)。南西方向に向けてCQを出したところ、福島県郡山市、白河市、続いて新潟市江南区、中央区、長岡市各局などなど。時折、風切り音が入って了解度が下がっている様子。そのうち、どこからともなく混信が入り何度かQSYしながらの運用。宮城、山形、福島各局と約1時間20分、Xを待たせながら14局とQSO。


HB9CVヘアピンマッチ

DJ-S57 145MHz


 撤収間際、バンド内をワッチしたところ、埼玉県三郷市の記念局のCQが聞こえてきました。こちらには52で入感。問題なく交信できそうな信号。さっそく呼んでみたところ、応答ないまま、またCQが始まってしまいます。パイルでもないのに・・・。何度呼んでも同じ。スケルチを深めに設定しているとか?失礼。単なる当局のパワー不足です。たぶん。

 さらに下山開始直後、ロッドアンテナRH770に替えてワッチしていたところ、福島県桧枝岐村の山頂移動局のCQが聞こえてきました。41~51で入感。動くと了解できなくなりそうな信号。ダメ元でコールしたところ、今度はすぐに応答あり、尾瀬沼近くの大杉岳山頂1910mから2.5W送信とのことでした。53-51でレポート交換。アンテナは、当局と同じRH770をお使いのようでした。下山後、カシミール3Dで確認したところ、距離は約162Km、途中、会津駒ヶ岳が遮って見通しとはなりません。反射や拡散を繰り返し、息も絶え絶えの信号だったのでしょう。いづれにしても、下山中の微妙なタイミングで、今シーズン初めての山頂同士、それもかなりスリリングなQSOを楽しみ、少しだけ手ごたえを感じることができました。


大杉岳ー熊野岳 


 下山後の蔵王温泉街。さすが連休だけあって、観光客でにぎわっていました。夕食まで時間があったので、近くの鴫の谷地沼を散策。ここは、ほとんど人もなく、ひっそりと静まり返っておりました。今年は4月中旬まで雪が残っていたそうで、いつもなら水芭蕉が満開のはずですが、やっと咲き始めたばかりのようでした。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする