震災からちょうど1ヶ月の4月11日、我が家にもやっと都市ガスが通り、風呂に入れるようになりました。4月7日の最大余震で再び停止になったところもあり、全面復旧は今月いっぱいかかるそうです。
当地は、もともと宮城県沖地震が20年以内に99%発生するということでもあり、2年前に栗駒山の地震もありましたので、精神的にも物的にも備えは進んでいた方だと思います。我が家もここ数年、家具の固定とか水の備蓄とかをしてきたのですが、思いのほか早く、しかも予想を超える巨大地震に見舞われてしまいました。今思うと、あれをしておけば良かった、これをしておけば良かったということは多々あります。今回の災害を通して、有効であったもの、こんなものがあれば良かったと思ったものなどを途中経過でまとめてみました。
《家具固定》
我が家は鉄筋コンクリートの集合住宅の3階で、床はフローリング、天井はコンクリート(一部板天井)、壁は壁紙が貼ってあるだけというごく一般的な作りです。大型の書棚、タンス、食器棚は床との間にはさむ隙間マット、天井との間に突っ張り棒、さらに壁との間にガムロック(粘着固定具)と、3重に固定しておきました。
書棚の中で本が崩れていましたが、棚そのものは動いた形跡はありませんでした。食器棚の中に滑り止めシートを敷いてその上に食器を重ねていたためか、中の食器も無事でした。ただ、台所の吊り棚に置いてあった醤油差しが倒れて、垂れてしまいました。しばらく醤油のにおいが充満。液体モノは要注意です。
冷蔵庫は、大型のガムロックで壁に固定しておきました。ドアが開いたり、中のものが飛び出したりということはありませんでした。他のお宅では冷蔵庫が倒れたり、倒れなくとも中が散乱したそうです。
電子レンジ、テレビについては、ベルト式のガムロックで壁に固定。こちらも無事でした。
無線機は、机自体に粘着ゲルマットを敷いた上で、FT450とIC910の下にもゲルマットを敷いて乗せていました。無線機は無事でしたが、その上に置いていた時計とローテーターのコントローラーが床に落ちました(幸い故障なし)。アンテナは被害なし。
全体として、すべての固定具がそれなりの性能を発揮してくれたと思います。
〈網状の滑り止めマット〉
食器の下などに敷いておいたのですが、たいへん効果ありました。サイドボードの上とかスピーカーの下とか、いろいろ使えます。ロール状で売っています。安いしお勧めです。
(ガムロック)
我が家のメインの粘着固定具。少し高価ですが、ネジが効かない石膏ボードにも有効で取り付けが簡単です。様々なタイプがあるのですが、その中でT型やL型は内部応力が働くため、剥がれが発生しやすいです。我が家では十数個使っており、自然に剥がれていることが何度かありました。使うならT型やL型とベルトで連結するタイプ(内部応力なし)を組み合わせた方が安全です。これに限らず、固定具は付けて終わりではなく、時々点検が必要と感じました。
《照明器具》
強い地震が来ると自動的に点灯する装置(コンセントに常時差し込んで蓄電しておくタイプ)が3個、もともと備え付けられています。震度5程度の余震の度に点灯してくれます(昼でも)。この他、居間にLEDランタン1台。各自にマグライト1本ずつ。トイレなど家中どこに行くにも真っ暗なので、各自1本用意しておいてよかったです。ロウソクは余震で倒れそうになって危ないという話しを聞きました。街全体が停電なので、とにかく真っ暗で、夜の行動はできません。夕食も明るいうちに準備を済ませて、食べてしまう。夜は何もすることなし、早めに寝る。数日の原始生活を体験しました。
《調理、水、食糧》
普段から鍋料理に使っているカセットガスコンロ1台。カセットボンベは15本くらい買い置きがありました。都市ガス再開まで持つかどうか不安だったので、電気が復旧してから卓上型IH調理器を購入しました。ボンベ不足の心配がなくなり、大活躍してくれました。ただ、動作音(ファンの音)が思いのほか大きく、災害時以外は余り使いたくないです。
水はペットボトルの保存水を備蓄していました。その後は、マンションの貯水タンク(1Fに設置)の蛇口から給水を受けました。3階でよかったです。上の階のお宅は水を運ぶのにたいへんとのことでした。洗い水を省くため、食器にラップを敷いて、汚さないように使いました。水洗トイレは風呂の残り湯。もし風呂桶が空だったらキツかったと思います。
地震後3日くらいは助けが来ないので、その分の食糧を備蓄しておくように、などと行政のパンフに書いてありますが、3日分くらいならどの家庭でも冷蔵後に入っていると思います。今回、想定外だったのは、宮城県丸ごと一気にモノ不足になって、買うに買えない。何も売っていないという状態。震災後、1〜2週目あたりは本当にどうなるのだろうと心細くなりました。精神安定のためにも、長期戦に備えた米の備蓄は必要と思いました。そのうち、宅配便が動き出して、県外の親戚からたくさん送ってもらいました。ありがたかったです。広域災害では経済そのものがストップするということを想定しておく必要があると思いました。
《暖房》
3月なので鉄筋とは言え、寒かったです。普段はエアコンとパネルヒーターなので電気に頼っています。5年前の灯油が少し残っていたのを使い切り、その後はカセットコンロや登山用のコンロで暖をとりました。電気に頼りすぎるのはよくありませんね。たとえ普段は使わなくとも他の暖房手段を確保しておくことをお勧めします。
《情報 電池》
はじめの3日間、唯一の情報源はラジオでした。ほぼつけっぱなし状態でしたが、電池交換しないでも大丈夫でした。テレビが見られるようになってからも、朝晩、ラジオを聞くことが多くなりました。いまだ電池交換せずに済んでいます。すごい省エネです。ラジオのありがた味が身にしみました。でも震災直後こそ映像で状況を確認したいというのが本音で、ワンセグテレビ(携帯電話に付いているのではなく、電池で動作する単体のもの)があればと思いました。
いづれにしても電池があっての話なので、普段から備蓄の必要を感じました。半分はアルカリ電池、半分はエネループなどの充電式で良いのではと思います。持ち合わせはありませんでしたが、携帯電話用の手回し充電器とかソーラー充電器なども良いでは?
ファックス電話は停電だと電話機能も使えない。以前のいわゆる黒電話を捨てずにおけばよかったと後悔しました。
《地震前兆》
これだけの巨大地震なのだから、何か前兆があったのではないか、異変は無かったのか。モグラやミミズがはい出してきたとか、変わった雲が数日前から出現していたとか、特殊な電波伝搬がみられた、とか・・・。困ったことに、何の前兆も異変も感じませんでした。満月でもなかったし、月が赤くもありませんでした。ただ、後で聞いた話を一つ。その人は渓流釣りの名人と言われる人なのですが、地震の前日、いつもの岩手県宮古市の川に釣りに出かけたところ、一匹も釣れず、そんなことは人生で一度も無かったことだったそうで、何か異変を感じて帰ってきたら、翌日、地震に見舞われたのだそうです。自分のまわりで、それらしい話はこれだけです。こういう大きな地震の後には、そう言えばこんなことが・・・と後付けの話がぞろぞろと出てくるのが常ですが・・・。
仙台の中心部は、ほぼ震災前の状態に戻りつつあります。地下鉄やJRは一部のみ運行ですが、モノ不足はだいぶ解消され、ガソリンスタンドの行列もなくなりました。
桜も満開になりました。鶯もにぎやかにさえずっています。窓から見える風景は震災前と何も変わらず、3月11日以降に起こった出来事は何だったのだろうとの思いにかられてしまいます。でも、目の前を流れる広瀬川の下流、たった3~4キロ先には、見渡す限りの無惨な光景・・・それが現実です。
M8クラスの余震の可能性もあるとのこと、しばらくは警戒モードを続行することにします。