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せんだいSD550  山岳移動運用 

津波記録DVD

2012年06月16日 | 東北大震災


 これまで先人たちは、津波の恐ろしさを石碑や絵図に残して伝承してきたわけです。この石碑より海側には家を作るな、と。岩手県宮古市のある地区は1896年と1933年の2度の三陸大津波に襲われ、昭和大津波の後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになり、今回被害を免れたのだとか。宮城県内にも主なものだけで20ほどの津波石碑があるとの話ですが、残念ながら言い伝えは守られませんでした。

 明治三陸津波の絵図をみると、それは恐ろしい光景が描かれています。沿岸部では、ときどきこれらの絵図の展示会などを開いて、具体的にイメージしてもらうよう啓蒙していたようです。でも、絵図そのものにインパクトはありますが、先祖が描いた古い絵としてとしての記憶しか残らないのかもしれません。


 今回の大津波では、地震から津波到達まで30~40分程あったこと、日中で明るかったこと、ビデオ機器の普及、報道各社が空から撮影したこと、などで、大量の映像が残されました。個々人が撮影した貴重な映像なども日の目をみるようになってきたようです。

 震災直後から出版されていた写真集に加え、1年が過ぎたころからDVDを数多く見かけるようになりました。他県ではどうかわかりませんが、宮城県内では普通に書店に並んでいます。ほとんどが地元テレビ局の編集発売によるもので、いくつか購入してみました。

 内容は、地域ごとの震災・津波映像、津波の難をぎりぎりで逃れた人たちの証言、各地の津波到達データなど。地震による停電のため、テレビを見られなかった人のために、発生直後からのニュース映像が収録されたものや報道されなかった映像、地元の人がとらえた様々なビデオ動画が収録されたものもあります。


仙台放送、気仙沼ケーブルネット、東北放送のDVD



 その中のひとつに、南三陸町に到来した巨大津波の一部始終をとらえた映像がありました。海面がみるみる上昇し、ついに堤防を乗り越えたかと思うと、ものの数分で民家の2階まで押し寄せ、さらに数分後には屋根まで水没、もはや町は見えません。かろうじて5階建て病院の上部が残るのみです。気が付くと、町全体が大海原と化し、初めからそこに海があったかような異様な光景に。ここまでものの十数分。そして今度は一気に引き波が始まる。海がまたしても移動し底が現れてみると・・・、つい先ほどまであった町並みは跡形もなく・・・。

 これは報道カメラマンではなく、町の人が高台から撮影したもののようで、所々に溜息や叫び声が混じり、その場の空気感まで伝わってきます。この撮影者が、ビデオカメラを持って避難したこと、そしてそのカメラがちゃんと充電されていて数十分の動画撮影ができたこと、しかも冷静なカメラワークを可能とするだけの経験があったこと、などによりこれだけの映像が残されたということでしょう。


 これら津波の実像を見るにつけ、あらためて、その圧倒的な破壊力、恐ろしさが実感されます。先祖の言い伝えはダテではないのだ、ということも。そして人の営みのはかなさも・・・。このまま安穏としてよいのだろうか、などと自分の身の振りまで考えさせられてしまいました。想像を絶する自然の脅威。映像の力は大きいです。




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