ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

C91

2006年07月10日 | アマチュア無線
CR7BN(5May69)20mCW、当時ニューカマーの1stアフリカは15mでCR6(アンゴラ)が定番だったが、この頃は秋田でチョンガーのアパート住まい。洗濯干し場に給電点地上高30cmの12AVQバーチカルアンテナは飛ばなくて、結果は皮肉にもCR6より難易度数段上位のこれだった。
そんなモザンビックから5/29~7/13の予定でアメリカ人のK5LBUグループによるDXペデションが今盛んに行なわれている。
ポルトガル領時代には東アフリカで最もハム(白人)の多い雑魚カントリーだったが、独立後の1975年12月に新政府が全てのハムの活動を禁止、それ以降内戦なども続き現在も国際赤十字関係のボランテアなどが特別の許可を得てごく稀に運用されるだけで貴重な珍カントリーとなってしまった。
今回も主に夜間に17や20mでC91EEとC91TLが聴こえていたが、信号が弱くて自分のアンテナハムぺりではGain不足と猛烈なパイルアップで3回ほど挑戦したがとても歯がたたなかった。午後の早い時間にもごく僅かの日と僅かな時間帯にリポートがあって、自分の設備と条件で出来るとすればこの時間帯と予測した。
今日は料理当番、鍋を弱火で煮込む工程に入ったのでシャック(無線室)へ入る。
18075KHzでC91TKがUP1指定でCQの連発、2回に一回位応答があり夜間帯のパイルアップからはとても信じられない状況だ。これなら100Wで十分、07:14zに一発で応答がありお互いにRST=559を交換した。
430MHzのローカル連絡周波数でDHS局(モービル)とUKK局がラグチュウ(話)に興じていたので、UKK局にQSP(無線用略語で告知)UKK局にも一発で応答があった。

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1 コメント

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QSL (パパ)
2006-07-12 10:03:58
1970頃だろうか。C91IZとかとQSOをした事が有る。まともなアンテナも無くダイポールを借家の屋根に上げていた頃です。弱く聞えるCWでやったが、その後はQRTが長く続いた。カードも出さずにいたが、5.6年後にSAEを本国に出したが返事は無し。再開後のC91とのQSOで得たカードは嬉しかった思いが有ります。1カントリーの重みを実感して来た頃の話です。
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