日本裁判官ネットワークブログ
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先日,支援制度で受任した当番弁護士の事件が略式命令で終結しました。
私としては,公判請求されれば,実刑は免れないと,本人や家族に話していただけに,ほっとした次第です。

もっとも,事故の被害者や保険会社に示談交渉を持ちかけたり,何度も接見して,記憶にないことは認めないよう励ますなどしたくらいで,私の弁護活動はあまり役立ったとは思えませんが。

被疑者弁護は,公判段階の弁護活動と比較して,定型性に乏しく,何が役に立つかわからないが,ともかく動いてみるという側面が強い,と感じました。

たとえば,示談交渉は結局断られたのですが,それですっかりあきらめていたところ,検察官から,その示談交渉の経緯を文書で提出してもらえば,考慮します,と教示され,そういうこともあるのか,と思い直したこともありました。

被疑者弁護には,経験が大切と感じた次第です。

                     てもかく体力頼みの「花」

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裁判員制度導入を控えて,いわゆるNITA型研修なるものが各地の弁護士会で行われ,その内容が報道されたりしている。NITAとは,全米法廷技術研究所の略称で,陪審制の国アメリカにおいて公判弁護技術を指導するノウハウを蓄積しており,その研修を受けた弁護士が講師となって,各地の研修を指導している。
私は,昨年夏(当時は47歳だった)に,この研修を受講する機会があったのだが,昨年1月に早稲田大学で大々的に行われた研修を傍聴しているので,要領は分かっていたものの,いざやると見るとは大違いで,真夏の東京で大汗をかいてしまった。
まず冒頭陳述であるが,グループ内の最後の演者になったので,法廷内で動きをつけろという応用問題を出されてそっちに気が行ってつい力が入ってしまい,メリハリをつけろと駄目出しをくらい(すみませんね,ハリばっかりでメリがなくって),登場人物にキャラクターを与える工夫が足りないとも言われた。
主尋問では,ベテラン弁護士ほど誘導尋問が癖になっていて,結構高名な弁護人でも異議を連発されて立ち往生していた。私も,「その場所で何か印象的な出来事はありましたか」という,ごまかしの誘導尋問(「何か」を入れているから,一瞬誘導でないように目くらましできる)を確信犯的にしたら,後の講評でしっかり指摘された(だって「その場所で何がありましたか」だけじゃ実質的に尋問が進まないだろう,と言い訳)。また,規則199条の12で現場見取図を使う前提として,「この図面が何を示しているか分かりますか」という尋問が抜けていると痛いところをつかれた。主尋問は立ち位置を含めて尋問者自身の存在感を消して,正面の証人に裁判員の注意を集中させることが大事というので,立ち位置を裁判員の視界に入らない位置にとったのだが,「先生は何をやっても人の目を惹きますね。もっと気配を消してください。」と酷評された(透明人間にでもなるしかないか)。
弁論では,自由で独創的なのはいいが(そういうことはやり過ぎるくらい得意である。),裁判員に反感・反論をもたれかねない部分を指摘された。自分としては,量刑面を含めて裁判員の生活感覚に訴えかける弁論を心がけているのだが,その単純でない難しさを感じさせられた。
この研修でもっとも良かったのは,自分が実際にやった尋問や弁論に対して,その場で論評してもらうのに加え,その後に別室でSDカードに録画したものを再生しながら別の講師から更に論評を受けたことであった。大体自分の尋問や弁論をビデオに撮ってまで見るナルシストはそういないだろうが,この経験は大いに勉強になった。私の場合,右手を回転するように動かしてリズムを取りながら喋るのが癖になっているのだが,録画を見るとその動きが単調に映るのが実感でき,基本は中央定位置に静止して,各裁判員とアイコンタクトを取り,所々に動きを入れてメリハリをつけた方が印象的であることが実感できた。
私は,日本の裁判員裁判における弁護人に,NITA方式の研修が必ずしも必須だとは思わないし,そもそも形よりも訴える中身の工夫にもっと力を入れた方がよいのではないかと思ってはいるのだが(もちろん日弁連ではそういう工夫や研修もしており,今年3月のライブ研修での情状弁護の方法論などは大変有益と思うのだが,どうしてもNITA方式の方が目立ってしまう),このような研修を受けた人たちが各地で色々な影響を与えていくことは,日本の刑事弁護技術の向上のために良いことだと考えている。
私は,NITA方式のようにノーペーパーにこだわることは日本の文化の中でさほど意味がないと考えているので(季刊刑事弁護55号の拙稿「『ボンクラ弁護人』の最終弁論」ご参照),原稿の棒読みこそしないものの,簡易なレジュメの配布とそれを拡大したペーパーをイーゼルで展示する方式を活用したいと思い,既にイーゼルも購入済である(さてはパワーポイントが使えないだけだな,と言われそうだが,側面のディスプレイや手元の小型画面に表示されるパワーポイントよりも,裁判員の正面に立てられるイーゼルが効果的ではないかと考えている。)。
(くまちん)


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1 「ウリ」というのはわが家のメス猫の名である。まもなく14歳になる。わが家にはムサシというオス犬とウリがいる。子供たちが名づけた。

2 私たちは松江市に4年住んでいた。そして夫婦ともに神戸管内に転勤となり,妻は姫路支部に,私は社(やしろ)支部に赴任したが,長女の高校受験期だったため,姫路の高校と私の郷里の岡山の高校のどちらを受験するかしばし検討した。そして進学校である県立高校に入学可能性の高いと思われた岡山の高校を受験することになり,結局同市内の進学校である私立高校に入学した。
 そして岡山市内に一軒家を借家し,妻と子供2人はその借家に住み,妻は姫路支部まで新幹線通勤した。私は姫路の宿舎に単身赴任し,社支部まで片道30キロをマイカー通勤した。

3 借家して間もなくの平成7年5月ころ,借家の庭に生後3か月前後と思われる子猫が現れた。ある朝「ニャ-,ニャ-」と可愛いい声で鳴いていたそうである。首輪はなかったが,穏やかな顔付きで,人を警戒する様子もなく,野良猫ではなさそうであった。飼い主の転居に際して飼い猫が捨てられたのかなという雰囲気で,子供たちは「飼いたい」と言った。私は週日は留守であることもあって,すぐにはOKしなかった。子供たちは,毎日軒下に牛乳を入れた食器を置いてやったそうである。数日後大雨が降ったが,猫は軒下で粘っていた。子供たちはダンボール箱にタオルケットを敷いて,雨のかからない軒下に置いてやった。そして1週間が経過した。子供たちは意を決した顔付きで,「お父さん,猫を飼ってもいい?」と言った。さすがに私たちは拒否できなかった。猫と子供たちの粘り勝ちというところである。

4 その日から,猫の住み家の箱は廊下の片隅に移動した。子猫は嬉しそうに家の中を走り回っていたそうである。子供たちは「ウリ」と名付けた。その意味は分からない。聞いたようにも思うが,忘れたのかも知れない。
 ウリは今でこそ,わが家の主のような顔をしているが,飼い猫となった当初はとても神経を使っていたようである。わが家は4人家族で,私は週末帰省であったが,週日最初に帰宅するのは小学5年生の次女であった。玄関の戸が開く音が聞こえると,ウリは2階から階段をピュ-と飛ぶように降りてきて,玄関にちょこんと座って,「ニャ-,ニャ-」と鳴いて毎日出迎えたというのである。やっと安住の地を得たので,追い出されないように,気を遣っているのだろうと,家族で笑いあった。

5 この猫と,その1年後にわが家の住人となった犬と,それ以外にもリスやうさぎなど,考えてみると結構いろいろな動物たちが,子供たちの精神的な成長に大きく関わったということになる。悲しい別れもあって,子供たちは何度か大泣きをしたり,墓を作ったりした。(ムサシ)


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