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2003年 第6回

2023年01月16日 | ブログ
容疑者起訴                                
                                                                   
 昨年7月、選挙遊説中の元内閣総理大臣を手製の銃で、公衆の面前で射殺した容疑者が、その責任能力の半年間の審議を経て、起訴されることが確定した。ただ、裁判関係の専門家によれば、その裁判が始まるのは来年までずれ込む見込みだという。

 起訴まで半年、さらに裁判が始まるのに1年掛かるというのは、司法が事件の風化を望んでいるのではないかとの臆測さえ生んでいる。

 テレビの報道番組も新聞の社説も、どのような事情があるにせよ暴力は許せないと強調するが、拘置されていた容疑者に、多額の現金や食べ物までが差し入れされてきた、一部民意の同情と好感に抗しているところもあるように感じる。

 容疑者は元々、死刑覚悟で事に臨んでおり、変な情状酌量など期待はしていないと思う。しかし、判決までの時が長ければ長いほど、生に対する本能的希求が生じるかもしれない。罪に対して生殺しの状態を続けた方が、司法からすれば、見せしめ感が高まることもあろう。

 テレビや新聞の「暴力否定」は当然のようでありながら、実はその前提を敢えて見逃していないか。司法が人々や組織・集団の違法な行動を、きちんと取り締まることができていてこその私刑の禁止ではなかったのか。司法に訴えても、すでに政治家に手をまわした組織が、その取り締まりに手を抜いていたとしたら。個人は悲しみ、苦しみを訴える場所を失う。「安倍氏を誰が殺したか」という命題で考えると、殺された自身も含めてお仲間の政治家一同による不作為による結果と思えるのである。容疑者一人の恨みではない。多くの信者の家族の訴えようのない苦しみ、恨みが積み上がって噴出したものだ。

 それでも関係した議員たちは、何事もなかったように党の要職さえ辞めようとしない。不作為の罪を認めると、次の選挙が危ない。たとえ票を減らしても落選はしたくない。

 一方ジャーナリストの一人は、「統一教会の信者への過剰・悪質な献金要請行動を、社会問題化せず見過ごしてきたわれわれも大いに反省しなくてはならない」などともっともらしいコメントをテレビで発していたが、こちらは政治家ではないので、選挙の洗礼は受けない気楽さがある。安倍氏のスシ友とまで言われた名のある似非ジャーナリスト氏は、当初、政治家は宗教団体から要請があれば、その会合へのメッセージくらい誰でも出しますよ。とその癒着ぶりを当然のことのように肯定していた。このような人物も、結果として安倍氏の殺害に関与した実質容疑者の一人ではないか。

 兎に角、この国の三権のリーダーたち、そして報道関係者、企業のトップたち。総じて知的水準が低下しまくっていることが、このような状況を産んできている。選挙に強いことが政治家の正義であり、儲けることが第一の企業経営者は、相手が無法国家であれ、独裁国家であれ、儲けるために奔走し、自国などどうなろうと知ったことではない。テレビに出ることが目的化したジャーナリスト。皆、何かがおかしい。無責任なのだ。それがこのような哀しい容疑者を産んでしまった。



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