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2024日本の課題・世界の問題 第7回

2024年01月19日 | ブログ
日中国交正常化

 本稿昨年末の「中国共産党 第8回」に『・・・ならば日本は何のために、共産党政権の中国と国交をむすばなければならなかったのか。この問題について、当時の日本の政治家も、後世の専門家も、誰一人として明確な答えを出していない。田中角栄を含む当時の日本の政治家や外務官僚はただ「日中友好」のムードに流されて、なんとなく、中国と国交正常化して良かったと思っていただけだろう。今から見れば、1972年の日中国交正常化の正体は、まさに中共政権による、中共政権のための国交正常化であった。その時から約半世紀にわたる、中国共産党による、日本の利用と、日本叩きの始まりに過ぎなかった。』と、石平氏の著作から引用して記述した。

 ただ、私は1972年、すなわち日中国交正常化を当時の田中角栄首相、大平正芳外務大臣が訪中して成した時すでに25歳であり、一部であれこの国の情報を聞き及んでいた筈である。思えば田中さんが総理に成られる前の政権は佐藤栄作さんで、その政権で田中さんは自民党幹事長をされていたと思う。当時のテレビ等に出演するジャーナリストでは、細川隆元さんや藤原弘達さんが有名で、現在の自民党広報似非ジャーナリストやテレビで見掛けるショボイ評論家などとはスケールが違っていた。

 藤原弘達さんが隣町に来られて講演をされた際に、直接聞いた話は、角栄さんが自民党幹事長の頃だったか。藤原氏の著作である「創価学会を斬る」の出版刺し止めを、角栄氏が直接要求してきたという話だった。その際藤原氏は、角栄氏に対して、「この国の総理総裁を目指している男が、言論の自由を封じるような行動をとって恥ずかしくないか」と返すと、角栄氏は青くなって額に汗していたと語り、皆さんにも見せてやりたかったと述べていた。

 創価学会、公明党は親中であり、その創価学会が角栄氏に都合の悪い出版物の発刊停止を依頼したという事は、すでに中共の日本浸透政策は、佐藤政権の自民党の幹事長にまで及んでいたということか。

 先々代(短期の石橋政権と池田政権を挟む)の総理総裁であった当時の岸信介氏は、一番の台湾派と聞いており、岸さんが預金する銀行から預金の全額を卸したら、その銀行は倒産する、などの噂を聞いていた。岸さんは自民党でも一番右寄りの政治家と目されており、池田元総理の流れを汲む大平さんなどとは距離があった。岸内閣時代、安保反対の大騒動がこの国にあったこともあり、当時の世相として、台湾派に負のイメージが残っていた。それらのイメージ醸成に、中共の工作がどこまで関与していたかなど分からないが、結果として中共との国交を後押しする世論があったように思える。

 石平氏はその著作で、『田中角栄を含む当時の日本の政治家や外務官僚はただ「日中友好」のムードに流されて、なんとなく、中国と国交正常化して良かったと思っていただけだろう。』という関係者に阿った印象を述べられているが、角栄氏がムードに流されてだったとは、今更ながら私には思えないのである。





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