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2024日本の課題・世界の問題 第8回

2024年01月22日 | ブログ
中東

 米調査会社「ユーラシア・グループ」の予測報告書で2024年の「10大リスク」の2番目にランクインされていたのは、「瀬戸際の中東」;ガザでの戦闘は紛争の第一段階。

 本稿では3番目だった『ロシアの侵略によるウクライナでの戦争』を優先したが、わが国では、ウクライナ戦争への関心の方が強いと感じたためである。ほとんどの石油資源を中東に依存するわが国にとっても、中東問題は非常に重要である。ただ中東の問題は複雑で、多くの日本人はその問題の本質まで正しく理解されている人は少ないのではないか。理解していないのは実は私だけかも知れないけれど。

 文藝春秋二月号に、「外事警察秘録特別編」として、前国家安全保障局長の北村滋(しげる)氏の「ガザは21世紀の硫黄島だ」とのレポートがあり、その中に「パレスチナ問題の起源」の項があり、イスラエル・パレスチナの歴史的経緯が述べられている。以下『 』は、当レポートからの引用である。

 『1947年、国連総会がパレスチナ(ヨルダン川と地中海・エジプトに挟まれた地域)をアラブ国家とユダヤ国家に分割する決議を採択し、翌年5月14日、イスラエルが建国を宣言すると、時をおかずしてアラブ5か国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラク)がイスラエルに侵攻する。これが第一次中東戦争だ。49年7月までに、休戦協定が結ばれ、イスラエルがパレスチナの大部分を獲得したが、ガザ地区はエジプト領となり、ヨルダン川西岸地区はヨルダン領となった。

 1956年7月、エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化すると、同年10月、スエズ運河の株式を保有していた英、仏が、エジプトと対立していたイスラエルと共謀し、エジプトに侵攻した。これが第二次中東戦争だ。しかし、米ソ両超大国を含む国際社会から非難され、英、仏はスエズ運河から撤退。その後イスラエルも撤退し、エジプトは、「アラブの盟主」としての地位を確立する。・・・

 1957年、アラファト(パレスチナ国初代大統領1929-2004)がシリアの支援で「ファタハ」(アラビア語で「征服」又は「勝利」を意味する)を設立。主にヨルダンを拠点にイスラエルに対する武装闘争を繰り返した。66年には、同国とイスラエルとの国境に地雷を仕掛けてイスラエル兵士を殺害するなどの事件(サム事件)を引き起こしている。

 1967年、エジプトが、第二次中東戦争後シナイ半島駐留していた国連緊急軍を撤退させ、同国の地上部隊を進出させると、イスラエルはアラブ各国の空軍基地を奇襲し、シナイ半島を奪取(6月5日~10日)した。この結果、イスラエルがシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原(シリア)を占領し、戦争は6日間で終了した。これが「6日戦争」と呼ばれる第三次中東戦争だ。』以下次稿




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