プロレス
私など子供の頃は、丁度庶民の家庭にテレビが普及し始めたのと相俟って、プロレスのテレビ中継が大人気だった。米国人レスラーを圧倒する力道山の空手チョップは、太平洋戦争に敗れた国民の悔しさを幾分かでも癒すことに繋がったのかもしれない。友達の家のテレビの前で、その家のお婆チャンがプロレスに大興奮していた姿がいまだに目に焼きついている。
プロレスにも水戸黄門と相通じるような偉大なマンネリズムがあって、力道山とタッグを組んだ日本人レスラーが、外人レスラーコンビに延々と痛めつけられる。力道山にタッチも叶わないままボコボコにされる。そこに僅かな隙にタッチを交わした力道山の登場である。観衆の興奮は最高潮に達する。ノーノーといいながら腰を引いてロープ沿いに逃げ惑う外人レスラーに、力道山の伝家の宝刀「空手チョップ」が炸裂する。そして観衆は溜飲を下げるのである。力道山は庶民の英雄であった。
その後、アントニオ猪木さんや馬場さんの活躍もあって、それなりの人気を維持して来たものの、どうしてもショーとしてのイメージ強く、格闘技としての迫力に欠ける部分があったのであろう、K-1などノックアウトを勝負の決着とするガチンコ勝負の興行が台頭した。
14日のスポーツ紙1面は、プロレスラーであり実業家であった三沢光晴さんのプロレス試合中の死を報じていた(テレビ報道による)。GHCタッグ選手権で相手選手にバックドロップをかけられ、リングで頭を強打したことによる(6月14日読売新聞)とのことである。プロレスはいかに暗黙の協定による一定のルールの下に行われたとしても、危険なショーであることに変わりはない。より過激さを求めるファンの期待感もその危険を増幅させたのかもしれない。
プロレスにしても柔道も同じだけれど、受身の格闘技である。投げられることを前提に、受身の練習は欠かすことはない。さらにショーとなればいかに華麗に投げられるかを競うようなもので、時代劇の切られ役の殺陣の見事さがなければ、主役は成り立たないのと同様である。そのプロレスラーが確かな受身を取れなかったということは、46歳という三沢さんの年齢からくる万分の1秒の反射神経の衰えが原因だったのだろうか。
私が高校1年の時、柔道部の先輩が昇段試験で、対戦相手が死亡する不幸な事故に遭遇した。相手が払い腰を掛けたのに対して、先輩が踏ん張ったところ相手は前につぶれて頭を強打した。死亡した対戦相手は倒れたあと、意識がなくなる前に「体が動かない」と漏らしたそうで、今回の三沢さんの場合と同様に思える。打ち所が悪く頚椎に重大な損傷を受けたのである。
格闘技に限らずどんなスポーツでも、事故と隣り合わせであることは違いなく、特にプロ選手ともなれば、常にその覚悟の下に戦っていることは想像に難くない。しかし、「ローマはなぜ滅んだか」ではないが、民衆が国に過大の期待を掛けると同様、衣食足りて強烈な刺激を求める風潮は慎まなければならない。
三沢さんのご冥福をお祈りします。
私など子供の頃は、丁度庶民の家庭にテレビが普及し始めたのと相俟って、プロレスのテレビ中継が大人気だった。米国人レスラーを圧倒する力道山の空手チョップは、太平洋戦争に敗れた国民の悔しさを幾分かでも癒すことに繋がったのかもしれない。友達の家のテレビの前で、その家のお婆チャンがプロレスに大興奮していた姿がいまだに目に焼きついている。
プロレスにも水戸黄門と相通じるような偉大なマンネリズムがあって、力道山とタッグを組んだ日本人レスラーが、外人レスラーコンビに延々と痛めつけられる。力道山にタッチも叶わないままボコボコにされる。そこに僅かな隙にタッチを交わした力道山の登場である。観衆の興奮は最高潮に達する。ノーノーといいながら腰を引いてロープ沿いに逃げ惑う外人レスラーに、力道山の伝家の宝刀「空手チョップ」が炸裂する。そして観衆は溜飲を下げるのである。力道山は庶民の英雄であった。
その後、アントニオ猪木さんや馬場さんの活躍もあって、それなりの人気を維持して来たものの、どうしてもショーとしてのイメージ強く、格闘技としての迫力に欠ける部分があったのであろう、K-1などノックアウトを勝負の決着とするガチンコ勝負の興行が台頭した。
14日のスポーツ紙1面は、プロレスラーであり実業家であった三沢光晴さんのプロレス試合中の死を報じていた(テレビ報道による)。GHCタッグ選手権で相手選手にバックドロップをかけられ、リングで頭を強打したことによる(6月14日読売新聞)とのことである。プロレスはいかに暗黙の協定による一定のルールの下に行われたとしても、危険なショーであることに変わりはない。より過激さを求めるファンの期待感もその危険を増幅させたのかもしれない。
プロレスにしても柔道も同じだけれど、受身の格闘技である。投げられることを前提に、受身の練習は欠かすことはない。さらにショーとなればいかに華麗に投げられるかを競うようなもので、時代劇の切られ役の殺陣の見事さがなければ、主役は成り立たないのと同様である。そのプロレスラーが確かな受身を取れなかったということは、46歳という三沢さんの年齢からくる万分の1秒の反射神経の衰えが原因だったのだろうか。
私が高校1年の時、柔道部の先輩が昇段試験で、対戦相手が死亡する不幸な事故に遭遇した。相手が払い腰を掛けたのに対して、先輩が踏ん張ったところ相手は前につぶれて頭を強打した。死亡した対戦相手は倒れたあと、意識がなくなる前に「体が動かない」と漏らしたそうで、今回の三沢さんの場合と同様に思える。打ち所が悪く頚椎に重大な損傷を受けたのである。
格闘技に限らずどんなスポーツでも、事故と隣り合わせであることは違いなく、特にプロ選手ともなれば、常にその覚悟の下に戦っていることは想像に難くない。しかし、「ローマはなぜ滅んだか」ではないが、民衆が国に過大の期待を掛けると同様、衣食足りて強烈な刺激を求める風潮は慎まなければならない。
三沢さんのご冥福をお祈りします。