先住民族関連ニュース

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「胆振地域のアイヌ文化を体験!写真撮影イベント開催!」

2024-06-29 | アイヌ民族関連

北海道2024年6月28日 16時40分

北海道胆振総合振興局では、ウポポイ(民族共生象徴空間)開業4周年を記念して、フォトラリー「いぶりのイコロ」を実施します!

○撮影スポット

 撮影の対象を次の4つに区分しています。

・区分1:ウポポイ

・区分2:ウポポイ内で開催するイベント

・区分3:ウポポイ以外のアイヌ文化関連施設

・区分4:ウポポイ以外で開催するイベント

 上記対象の写真を撮り、画像をフォトラリー専用の応募フォームから応募してください。

 各区分1カ所につき1ポイント、最大4ポイントで、1ポイントから応募することができます!
(例:区分2:2カ所撮影=1ポイント、

区分4:1カ所撮影=1ポイント 計2ポイント)

 ご参加いただいた方の中から抽選で、胆振地域のアイヌ文化の魅力がたくさん詰まった景品をプレゼントします! ぜひこの機会に、胆振地域のアイヌ文化の多彩な魅力を再発見してみましょう! 

※景品、撮影の対象や応募フォームについては、下記リンク(胆振総合振興局保健環境部環境生活課ホームページ)からご確認ください。

○実施期間

令和6年(2024年)7月1日(月) ~ 9月30日(月)まで

※応募期限は、令和6年(2024年)10月7日(月)まで

○応募に係る注意事項

  • 応募の際は、必ずメールアドレスを記載してください。
    メールアドレスを記載していない応募は無効とさせていただきます。
  • 以下の事項に当てはまる場合、応募は無効とさせていただきます。
    ・実施期間外で撮影した場合
    ・応募者本人が撮影していないフリー素材等を使用している場合
    ・公序良俗に反するもの、その他法令に違反するとみなされる場合
    ・大幅な加工処理が行われている場合
    ・著作権や肖像権などの第三者の権利を侵害する写真及び恐れがある場合
  • 未成年の方は保護者の同意を得たうえでご応募ください。
  • 写真の著作権は応募者に帰属しますが、使用権は主催者に帰属し、胆振総合振興局公式SNSやホームページ等に使用する場合があります。
    写真の利用に際しては、サイズ変更やトリミングなどの加工が行われる場合があります。
  • その他注意事項は、ホームページに掲載の実施要領・関連施設・イベント等一覧をご確認ください。

○お問い合わせ先

胆振総合振興局 保健環境部 環境生活課

〒051-8558 室蘭市海岸町1丁目4番1号むろらん広域センタービル

TEL : 0143-24-0780 

FAX : 0143-22-5170

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000416.000088209.html


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半世紀前にアイヌの風習を記録 英語版1967年2月号より

2024-06-29 | アイヌ民族関連

ナショナルジオグラフィック2024.06.28

ナショナル ジオグラフィック英語版1967年2月号より(写真:EIJI MIYAZAWA)

[画像のクリックで拡大表示]

 馬と一緒に写っているのは、アイヌの女性と、彼女の2歳の孫娘。孫の父親はアイヌだが、母親は和人(アイヌ以外の日本人)だ。「和人と結婚するアイヌの人々が増え、世代間の隔たりが広がっている」と、1967(昭和42)年2月号の特集「消えゆくアイヌ」は伝えている。

 特集の筆者は、修道女で人類学者のメアリー・イネズ・ヒルガー。もともと北米や南米の先住民に関する調査をしていたヒルガーは1965年、70代でナショナル ジオグラフィック協会の支援を受け、北海道苫小牧市を拠点に平取町の二風谷(にぶたに)などを訪れ、8カ月かけてアイヌの風習を記録した。その成果は同特集のほか、1冊の本としても出版された。

 アイヌの人々は米国から自分たちの伝統を記録しに来たヒルガーを歓迎し、普段は部外者に見せないという神聖な治療の儀式も見せてくれた。あと1世代か2世代のうちに、この儀式が忘れ去られてしまうという懸念もあったからだ。

 女性が口の周りに入れている伝統の入れ墨についても、ヒルガーは意見を聞いた。ある女性は「17歳のときに嫌々入れられたけれど、今はよかったと思っている。入れてすぐに夫が見つかったから」と話した。しかし別の女性は、ほかの子が施術中に血を流して激痛に苦しんでいる姿を見て、入れ墨を断固拒否したという。「それでも夫は見つかりましたよ」

この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2024年7月号に掲載されたものです。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/mag/19/121300002/061300082/


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知里幸恵ゆかりの施設訪問 マンロー博士の孫アイリーンさん  登別

2024-06-29 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2024.06.28

登別市登別本町の「知里幸恵 銀のしずく記念館」に27日、病に苦しむアイヌの人々の窮状を医療奉仕で救ったスコットランド人医師ニール・ゴードン・マンロー博士(1863―1942年)の孫アイリーン・マンローさん(64)が、ドイツの都市リューベックから初めて訪れた。同館を運営するNPO法人知里森舎の松本徹理事長(70)の案内で、アイヌ神謡などに関する展示資料に触れた。

松本理事長の案内で館内を見学するアイリーンさん(右)

 マンロー博士は、結核や栄養失調に苦しむ先住民の窮状に胸を痛め、1932年に長野県軽井沢町から平取町二風谷に移り住んで医療奉仕をした。考古学者、人類学者でもあり、アイヌ文化に興味を持ち、民具や工芸品を収集して研究にいそしんだ。

 アイリーンさんにとっては父方の祖父に当たり、19日に13年ぶりに来日した。23日に平取町で開かれた第20回「マンロー先生をしのぶ会」に出席し、同町の旧マンロー邸を訪問するためで、同町に24日まで滞在。その後、博士の足跡が残る釧路市などを巡った。

 同記念館は「アイヌ神謡集」の著者で同市出身の知里幸恵(1903―22年)の生涯、業績を伝える施設。ただ1人の孫として祖父が関心を寄せた文化に少しでも触れたいと、平取町の学芸員やマンロー先生をしのぶ会の貝澤耕一運営委員長(78)ら4人と来館した。

 知里幸恵は1922年7月12日付の自身の日記に、アイヌとして生きることに喜びと誇りを持っているという「アイヌ宣言」を残しており、アイリーンさんは数々の資料に触れ、早世しながらも力強く生きた彼女の人生に「とても心が動かされた」と語った。

 アイリーンさんは28日に帰国の途に就くという。

https://hokkaido-nl.jp/article/34468


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【UFC303】展望 ポアタン×イリーの超常現象世界戦。先住民族×侍、非科学的要素の効果は??!!

2024-06-29 | 先住民族関連

MMAPLANET 2024.06.28

29日(土・現地時間)、ラスベガス近郊パラダイスのTモバイルアリーナにて、UFC 303大会が行われる。メインイベントは現王者アレックス・ポアタン・ペレイラに元王者イリー・プロハースカが挑むライトヘビー級タイトルマッチだ。
Text by Isamu Horiuchi

もともと本大会のメインには、3年ぶりの復帰となるコナー・マクレガーとマイケル・チャンドラーのレジェンド戦が予定されていた。しかしマクレガーの負傷により延期が決定。大会僅か16日前である今月13日、このタイトル戦が急遽発表された。

ポアタンことペレイラは、昨年11月のUFC 295にて前王者プロハースカとライトヘビー級王座決定戦に臨み、2RTKO勝利。キック団体GloryとUFCの両方で世界二階級制覇の偉業を達成した。さらに今年4月の記念大会UFC 300のメインイベントでは、前王者ジャマール・ヒルと初防衛戦を行い、試合前に右足の小指を骨折して主武器の右カーフが使えない状況下にもかかわらず、瞬時に距離を詰めて必殺の左フック一閃。目を剥いて倒れたヒルに追撃を浴びせて仕留めて見せた

ニックネームのポアタンは、南米の先住民語であるトゥピ語で「石の如き手」を意味するという。その名に相応しい凄まじき威力の拳で観客を魅了する、現在のUFC最大の(つまり現在MMA界最大の)スーパースターだ。

対するBJP(こちらはBomby jak pičaの略だそうで、UFC.comによると「爆弾をぶっ放せ」的な意味らしい)ことプロハースカは、日本のRIZINにおける活躍でもお馴染みの選手。UFC転出後3連勝を飾りライトヘビー級王座に輝くも、肩の負傷により王座返上を余儀なくされた。復帰して臨んだ11月のポアタンとの王座決定戦には敗れてしまったが、上述のUFC 300のプレリムのメインにてランキング5位のアレクサンダー・ラキッチと対戦。いつものように被弾上等で前進し攻撃を仕掛け続け、初回は失ったものの2Rに強烈な右をヒットさせるや、強引に嵐に巻き込むが如きラッシュをかけて薙ぎ倒し、TKO勝利を収めている。

大会後プロハースカはポアタンへの挑戦の意志を表明し、王者も次の防衛戦はプロハースカとの再戦になるだろうと語った。両者ともに8月の対戦を念頭に置いていたようだが、マクレガーの負傷欠場により事態が急展開。ともに前戦から僅か2ヶ月半ほどでの再登場となった。

もっともプロハースカは先月の段階で「もしUFC 303でタイトル戦が組まれるのなら喜んで」と発言しており、急遽のオファーを受けることに迷いはなかった模様だ。侍の哲学に傾倒する彼らしく「ウォリアーにとって大切なのは、自分の周りに起きる物事や状況の変化にその場で対応することだ。今回のようなショートノーティスの試合は、まさにそれだよ」と、むしろこの展開を歓迎している。

一方のポアタンも、豪州でのプロモーションツアー中だったにもかかわらずオファーを快諾。移動中の車中にて、マネジャーから諸条件の確認の連絡を受けた際「Chama or no Chama!(やるかやらないかだ!)」と笑顔で試合を受けるシーンを自ら動画でアップしている。

ちなみに「Chama(シャーマ)」というのはポルトガル語で「炎」を意味するポアタン愛用のキャッチフレーズだ。

「もともと彼と戦うつもりだったし、この豪州アでのツアー中も毎日トレーニングをしていた。僕はもうすぐ37歳になり、いつまで戦えるかは分からない。こういう機会を逃す選択肢はないよ」と、団体側から見るとこの上なく有り難いメンタリティを持つ王者はさらに

「ずっと世界中で試合してきた。1カ月で2回中国に行ったこともある。1度目は取材等をこなし、2度目は試合に向けての減量中に3度もトランジットを重ねて中国入りして試合した。僕の心は強い。今回の減量も問題ない。これから10キロ減らすだけだ、試合まで15日あれば十分食事で調整できるさ」と語っている。

Gloryにてキック世界王者として君臨するだけでなくKunlun FightやGlory of Heroes等で中国、欧州で&北米を転戦した経験は、この男に桁外れの破壊力を秘めた石の拳だけでなく、常人には測り知れない鉄の精神力をもたらしているようだ。ちなみにプロハースカもそんなポアタンのことを「彼流のウォリアーの道を生きている、真の戦士だ」と評価している。

と同時に、ポアタンが出自である先住民族パタシャオ族の儀礼に参加したり、その民族衣装やフェイスペイントを纏って会見に参加することを受けて「彼はいつも地元のシャーマンからスピリチュアルな力を得ているね。おそらくそれなしでは戦えないのだろう。私もスピリチュアルな力の存在は信じているけど、ああいう『魔術』は使わず、人間のピュアなパフォーマンスを信じているんだ」ときわめてユニークな見解を披露している。

そんなプロハースカも最近、光を遮断した場所に数日間食事も摂らずに籠り自らの魂と向き合う試みを敢行し、また前戦の前夜には会場の前に一人で佇み、場の力を吸収しようとする姿が目撃されている。現代MMAの最先端で極限の強さを競う選手たちが、科学的合理性とは一線を画した方法で精神的追求を行っている事実は興味深い。

ちなみにポアタンのように祖先の魂に触れて力を得ることの効用は、宿命のライバルのイズラエル・アデサニャも認めている。ポアタンに敗れてミドル級タイトルを失ったアデサニャは、再戦の前にポアタンに倣って自分も祖先の文化に立ち返る必要があると考え、幻覚剤のシロサイビン(マジック・マッシュルームをマイクロドーズ(微量使用)することで自己探求の旅を試み──。

「彼(ポアタン)はいつもそうやって力を得ている。俺もそこからインスピレーションを受けた。自分の祖先に触れ、自分は何者かを見つけなければと思ってね。その経験(=マイクロドーズによる自己探求の旅)は本当にあの(リベンジを達成した)試合で役に立ったよ」と語っている。

閑話休題。

チェコ出身のプロハースカが日本の侍文化を独自の形で吸収し、ポアタンは南米先住民族の伝統への回帰を通して精神的・霊的な力を求める。こうした精神世界における世界規模の過去と現在の交錯もまた、21世紀のグローバルスポーツとしてのMMAの一側面だ。

さて、あまり間を置かずに再戦となるこの試合だが、きわめて対照的な戦いで観る者を魅了する両雄による頂上決戦なだけに、興味は尽きない。むしろ前回の試合を経て見所が深まっていると言える。

プロハースカの最大の特徴は、その変則的にして超攻撃的な戦闘スタイルだ。軽やかにステップを踏み、スイッチを繰り返してはフリッカージャブ、アッパー、オーバーハンド、前蹴り、縦肘、飛び膝等を奔放に放ってゆく姿は、侍文化に傾倒する本人が大切にする「常に現在に住まう(always live in the present moment)」という言葉を具現化しているかのようだ。

何より型破りなのは、対戦相手全てが一撃必殺の攻撃力を持つUFCライトヘビー級トップ戦線にて、両腕を下げアゴを上げた姿勢で躊躇なく危険な距離に踏み込んで攻撃を仕掛けてゆくことだ。実際UFC転出以降の5試合全てにおいて、プロハースカは自分から強引に距離を詰めていき、結果相手の強烈なカウンターを何度も顔面に被弾している。

それでも持ち前の目の良さと打たれ強さで持ち堪えては前に出続け、最後は強打の嵐に相手を巻き込んでしまうという常識外れの戦い方で、UFC参戦後僅か3戦にして世界に頂点に立った。試合は常にエキサイティングなものとなり、ほぼ毎回何らかの形でボーナスを獲得している。たどたどしい英語で生真面目に侍の精神性を強調する、ユニークな個性と髪型もファンの好感を呼ぶビッグスターだ。

そんな破天荒な戦い方が仇となってしまったのが、前回11月のポアタン戦だ。2Rに強烈な右を当てることに成功したプロハースカだが、下がったポアタンを追いかけて距離を詰めていったところで、カウンターの左右フックを被弾してしまう。膝から崩れ落ちたところに肘を連打で落とされ、万事休す。

他の相手には驚くべき耐久力を発揮したプロハースカの強靭なアゴだが、至近距離でも恐るべき破壊力を発揮するポアタンの拳と肘を耐えられるはずもなかった。お互いのパンチが当たる距離のことを英語で「イン・ザ・ポケット」と呼ぶが、高い精度と桁外れの威力を兼ね備えた拳を持つポアタンと戦う者にとって、そこは誇張なしに「世界一危険なポケット」と化す。

そこで今回の再戦の鍵は、プロハースカがいかに前回の教訓を踏まえ、ポアタンとの間の危険極まりないポケットに切り込んでゆくかとなるだろう。

実際プロハースカは11月の前戦にて、ポアタンの拳を掻い潜って有効な攻撃を仕掛ける場面を幾度か作っている。一つ目は1R中盤に奪ったテイクダウンだ。組みと打撃を織り交ぜたフェイントを駆使するプロハースカは、ポアタンの右ストレートをかわしざま見事なタイミングで懐に入り、片足を抱えることに成功。やがてテイクダウンを奪いラウンドを先取してみせた。

もう一つの場面は2Rに見られた。ギアを上げたプロハースカは、体を振りながら前に出てポアタンを下がらせ、さらに距離を詰めると見せかけてカウンターの左右フックを誘い出し、目の前で空振りさせることに成功。次の瞬間得意の右オーバーハンドをクリーンヒットさせたのだった。

前進しながらも冷静に相手のカウンターを見切る動き自体は、プロハースカがいつも使っているものだ。が、ポアタン戦で見せたそれは今までで最も見事で、本人が憧れる古(いにしえ)の剣豪の如き、とさえ言えるものだった。

臨機応変にして変幻自在の動きを持つプロハースカ。今回はMMAのいかなる要素を組み合わせて「世界一危険なポケット」に侵入そして突破し、ポアタン最大の課題である寝技の領域に試合を持ち込むのか。

それともさらに洗練された見切りを駆使し、ポケットの境界スレスレの位置に留まり「後の先」を取りにゆくのか。最高度にスリリングな攻防となるに違いない。

さらに付け加えるべきは──ポアタンと戦う者にとって、ポケットの外にいさえすれば安全などということは全くないということだ。強烈な左フックを始め、KOパワーを秘めたパンチ力は当然として、ポアタンにはもう一つの主武器がある。それが、パンチを警戒する相手への右カーフキックだ。恐るべき左拳から遠ざかりたい対戦相手が動いた瞬間、逆側からノーモーションでこれが飛んでくるのだから防ぐのは困難だ。

そしてその破壊力がまた尋常ではない。実際11月の試合の初回、プロハースカはオーソに構えるたびに前足に強烈なカーフを被弾し、派手にバランスを崩されている。2Rに強引に攻め込み返り討ちに遭った遠因が、初回に足を壊されかけたことで勝負を急いでしまったことにあるという見方もできるだろう。

危険な拳の射程距離に容易に近づくことすら許さない、まるで城門への接近を試みる敵に向かって放たれる強力な矢の如きポアタンのカーフキック。今回もプロハースカは、前回同様の大きな犠牲を払っての強行突破を試みるのか、それとも新たな対処法を用意しているのかもまた見どころだ。

ネット上の真のMMAファンを自認する皮肉屋たちからは「コナー、怪我してくれてありがとう! おかげで僕らはこんな最高のカードをすぐにまた観ることができるよ!!」などという声まで少なからず聞こえてくるこの再戦。生命活動のほぼ全てを戦いに注ぎ込む真のウォリアー2 人による戦いが、一瞬たりとも目が離せないものとなることは間違いない。

■視聴方法(予定)
6 月30日(日)
午前7時00分~ UFC Fight Pass
午前6時30分~ U-NEXT

https://mmaplanet.jp/174157#google_vignette


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「イッカク猟の文化は消えようとしています」、捕獲枠に翻弄されるグリーンランド先住民

2024-06-29 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック6/28(金) 11:32

猟師のキャンプ地近くで、氷の上に引き揚げられるイッカク。この後、切り分けられて、銛で仕留めた猟師が最も多くの分け前を得るように分配される。(PHOTOGRAPH BY KILIII YUYAN)

 フィヨルド周辺の村々に、約700人のイヌフイットが暮らしている。

 イヌクトゥン語を話すイヌフイットは自分たちのことを、カラーリット語を話すグリーンランド先住民の多数派であるイヌイットとは文化的に異なる集団と見なしている。言語、歴史、文化の違いがあるにもかかわらず、デンマーク政府もグリーンランド自治政府も、イヌフイットを独自の先住民族とは認めていない。

【動画】イッカクは牙で叩いて魚を捕る

 カーナークがイヌフイットの定住地になったのは1953年のこと。当時グリーンランドを植民地にしていたデンマーク政府が、100キロ以上南にあった伝統的な集落ウマナックに米軍基地を建設するため、そこで暮らしていたイヌフイットをカーナークに移住させたのだ。

 この強制移住により、イヌフイットは伝統的な狩猟域の一部から締め出されたが、カーナークにも地の利はあった。ここのフィヨルドには春から夏にかけて、多くの地元民が「キラルッカト」と呼ぶイッカクがひしめくのだ。

 だが、「イッカク猟の文化は消えようとしています……捕獲枠のせいで」と話すのは、カーナークの猟師で音楽家のアレカツィアク・ピアリだ。

「彼らはろくに知りもしない動物の頭数を調べようとしている」

 2017年以降、国際自然保護連合(IUCN)はイッカクを絶滅の危険性が低い「低危険種」に分類している。グリーンランド自治政府は2006年からイッカクの牙の輸出を禁止してきたが、自治領内ではマッタク(イッカクの皮とその下の脂肪層)と牙の取引は許可されてきた。自治政府の漁業狩猟省は、特定の地域で狩猟を職業にしている人が年間に捕獲できるイッカクの頭数の上限を定めている。

 同省は、グリーンランド自然資源研究所の推定する個体数に基づき、カナダとグリーンランドがイッカクとシロイルカを共同で保護・管理するために設けた委員会(JCNB)が科学調査に基づいて推奨する捕獲数を目安にしつつ、グリーンランドの漁業・狩猟従事者組合(KNAPK)の組合員の要望にも配慮して、年間の捕獲枠を設定している。

 自然資源研究所が2007年と19年の航空調査を基に出した最新の推定では、イングルフィールド湾にいるイッカクの数は2000~6000頭だ。JCNBは2024年の捕獲枠を前年の84頭からおよそ50頭に減らすよう推奨したが、漁業狩猟省は84頭に据え置いた。

 多くの猟師は、個体数の推定プロセスから除外されていると感じ、研究所が出す数字を信用していない。「彼らはろくに知りもしない動物の頭数を調べようとしているんです」と、この地域で65年の人生の大半を猟師として暮らしてきたイエンス・ダニエルセンは通訳を介して話した。自治政府は捕獲枠を増やすか、完全に撤廃すべきだと主張する猟師もいる。イヌフイットは自分たちの土地を自分たちの手で管理したいのだ。

「私たちは獲物となる動物と1年中暮らしています」とイヌフイットのキッラク・クリスチャンセンは言う。「生物学者は個体数を調べたいなら、猟師を訪ねてじっくり付き合い、猟師から学ぶべきです」

科学者と猟師の知識が同じ重みをもつように

 最近では、イヌフイットの知識が以前より評価されるようにもなった。2023年にはグリーンランドの狩猟に関する法律が改正され、研究所が実施する個体数の評価に猟師の専門知識と観察結果を取り入れることが義務づけられた。決定の過程で科学者と猟師の知識が同じ重みをもつようになったと、グリーンランド漁業狩猟省のアマリー・A・イエッセンは話す。

「猟師は特定水域でのイッカクの分布や、イッカクが来る時期と去る時期、氷の状態が狩猟に与える影響といった情報を提供してくれるでしょう」。新たに生まれた子を何頭見たかも教えてくれるだろうと、イエッセンは付け加えた。

 グリーンランドとカナダは2023年、北極海の開けた水域を共同で管理・保全する趣意書に署名した。これにより、イヌフイットは先祖代々の猟場の管理で、これまでよりも大きな権限を与えられるだろう。ひょっとしたら、カナダのエルズミア島にあった彼らの猟場の管理にも参画できるかもしれない。

※ナショナル ジオグラフィック日本版7月号「海からの贈り物、グリーンランド」より抜粋。

文=グレブ・レイゴロデツキー(生態学者)

https://news.yahoo.co.jp/articles/2ccb0b1c35638c76c3019519d99405ade2cee9cf


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映画「セトラーズ」 チリ原住民の抑圧の要約、KlikFilmで放映

2024-06-29 | 先住民族関連

VOI 28 Juni 2024, 05:24 

ジャカルタ=セトラーズは、2024年6月からKlikFilmで公式に視聴できます。チリの映画「セトラーズ」または「ロス・コロノス」は、オスカー2024の国際長編映画にノミネートされる公式提出として提出されました。

指名に失敗したにもかかわらず、関心地帯のようなセトラーズは、ジェノサイドの悲劇をこれ以上繰り返さないように人間を説得するという共通の問題と議題を持っています。

1800年代後半から1900年代初頭を舞台にした映画『セトラーズ』(移民)の物語は、風の強い無限の土地が広がるという外観で幕を開けます。カメラの焦点は、スペイン出身の実業家、ホセ・メネンデスの残酷なワイヤーフェンスで、土地で働く人々のグループをゆっくりと覆いました。彼らの自然開発アジェンダを実行するために、ヨーロッパの侵略者は先住民族を取り除くために残忍な方法をとった。これは後にフェリペ・ガベス・ハーブルがこの最新の作品で説明したものです。

メネンデスは傭兵のマクレーナン、ビル、サンデスに、彼らのビジネスを妨げないように先住民族を狩るように言った。途中、彼らは他のヨーロッパのビジネスマンが支配する仲間の傭兵に会いました。この狩りの間、この映画には不快な力のシーンがあります。マクレーナンとビルは楽しんでいるようで、サンデスは2人の友人の凶悪な扱いを嫌っている。

数年後、チリ政府はヨーロッパ人移民と先住民族が互いに交流できるように、新しい規則を制定し始めました。その時、ナイロは証言をするように頼まれました。彼の証言では、傭兵によって犯された残虐行為が詳細に明らかになりました。

しかし、行動、時間の緊急性、暴力に焦点を当てた戦争映画とは異なり、セトラーズは詩的なスタイルでいっぱいです。ペースが遅く、主人公は熟考し沈黙する時間がたくさんあるようです。比較すると、セトラーズは興味のゾーンと類似点があります。恐怖は必ずしもグラフィック要素に依存しているわけではなく、見事なオーディオディオの詳細と対話の鋭さから構築できます。

The English, Chinese, Japanese, Arabic, and French versions are automatically generated by the AI. So there may still be inaccuracies in translating, please always see Indonesian as our main language. (system supported by DigitalSiber.id)

https://voi.id/ja/lifestyle/393699#google_vignette


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アメリカの“核”を担い続けた町の姿 ~映画で見つめる世界のいま

2024-06-29 | 先住民族関連

NHK2024年6月28日(金)午後4:04

「映画で見つめる世界のいま」では、国際政治学者で、順天堂大学特任教授の藤原帰一さんに注目の映画とその背景にある“世界のいま”をお話しいただいています。今回は、冷戦末期まで核兵器の生産に関わり続けたアメリカの町を追ったドキュメンタリー映画です。

(「キャッチ!世界のトップニュース」で2024年6月26日に放送した内容です)

・長崎に投下された原爆のプルトニウム製造・抽出が行われた町

藤原さん: アメリカが核兵器を開発したマンハッタン計画は、ニューメキシコ州のロスアラモスが中心ですが、アメリカの各地で展開されました。その中で長崎に投下された原爆のプルトニウム製造・抽出を行ったのが、ワシントン州東南のハンフォードというところです。この映画は、「ハンフォード・プロジェクト」に関わる人々が住んだ町、リッチランドのドキュメンタリーです。  

藤原さん: 核兵器を開発した部隊の多くは、ロスアラモスもそうですが、テネシー州オークリッジ、そしてこの映画で取り上げるコロラド川に面したハンフォード。どれも人口が少ないところです。ただ、住んでいる人はいて、アメリカ先住民が多く住んでいました。

ロスアラモスもですが、ハンフォードとリッチランドにも、ワナパムなどアメリカ先住民の諸族が居住していました。この人たちはマンハッタン計画のために土地を取り上げられ、生活基盤も信仰のよりどころも壊されてしまいます。マンハッタン計画は、先住民の排除によって可能となった計画でした。

藤原さん: そして、第二次世界大戦と米ソ冷戦の時代には、プルトニウムの製造抽出の拠点であったハンフォードとリッチランドは、その負の遺産ともいうべき“放射能に汚染された地域”になってしまいました。その姿をご覧ください。

 ~あらすじ~

映画の舞台のリッチランド。

町には今も、いたるところに、原子爆弾を象徴するキノコ雲のマークがあります。

地元、リッチランド高校のアメリカンフットボールチーム。

 ユニフォームには、キノコ雲の校章が。

 チームは「ボマーズ(爆撃機)」という愛称で呼ばれています。

映画では、かつて核施設で働いていた従業員や家族に対して、監督みずから重ねたインタビューが続きます。

町や学校のあり方を見つめ直す、リッチランド高校の生徒たちの葛藤も描かれています。

町ではいま、放射性物質が従業員や周辺住民にもたらした深刻な健康被害が課題となっています。

汚染地域では、今も地道な除染作業が続いています。

・原爆開発を“誇り”とする町の姿

中川キャスター: 町の至る所にキノコ雲のマークがあって本当に衝撃を受けました。住民の中には「町の業績だ」と語る人もいましたが、歴史のシンボルとして使われているのはどういう感覚なのか正直戸惑いました。

 藤原さん: リッチランドの町は、核開発が当たり前のように、日常生活の中に入っています。

町の通りの名前は「プロトン通り」=「陽子通り」です。高校のフットボールチームは「ボマーズ」=「爆撃手」。そして、何よりも高校の校章が「キノコ雲」。キノコ雲はその雲の下で膨大な数の方が亡くなられた。そういうシンボルではなくて、キノコ雲をつくり出したおかげで戦争が終わったシンボルリッチランドの“誇り”になっているわけです。

マンハッタン計画によって作られたウラニウム原爆「リトル・ボーイ」は広島に。そして、プルトニウム原爆「ファット・マン」は長崎に投下されましたが、最初のマンハッタン計画は、原爆が開発された後はそういう拠点は壊して、元の住民が帰ってくるものとされていました。ところが、米ソ冷戦の下でアメリカはさらに多くの核兵器を製造する方針に転じます。  

 藤原さん: そして50年代は、ハンフォードでのプルトニウムの製造・抽出が大変な規模に上り、最終的には9つの原子炉が造られますが、マンハッタン計画のときよりもっと拡大します。

60年代に入ると、プルトニウムの作りすぎになります。「これ以上いらない」というので、原子力委員会は施設の作動停止を決定します。しかし、原子炉ですから作動停止はなかなか難しい。結果的に、ハンフォードの核施設の解体と、放射能の除染が始まるのは1989年以後。まさに、米ソ冷戦が終わった時代になるわけです。

 藤原さん: 以前『オッペンハイマー』という映画を紹介したときにも申し上げましたが、アメリカには、「原爆投下は誤りでなかった。それどころか、戦争を終わらせることで多くの人々の命を救った」という考え方を持っている人は決して少なくありません、この『リッチランド』をご覧になると、原爆開発を正当化するばかりか、それを誇りとする町の姿を見ることができます。

 藤原さん: 監督のアイリーン・ルスティックさんは、アメリカのいわば“負の遺産”を見つめていこうという意図で映画を撮っていますが、告発というよりは、人がしゃべる事をずっと聞き取っていくという方法を取っている。告発するよりも、こちらの方がインパクトは強い。「こんなこと考えているのか」というショックを受けると思います。

 別府キャスター: 監督が入りこんで、住民の声を丹念に拾っていく姿は学ぶべき事があると思いました。一方で、除染作業が続けられていますが、これがまた膨大な時間がかかることで、しかも住民の健康被害も深刻だった場所ですよね。

 藤原さん: 本当に深刻です。映画の中にいろんな式典が出てきます。ケネディ大統領がリッチランドを訪問して、新たな原子炉の竣工を祝賀するかつての映像も。また、核開発を“成果”としてお祝いする、現在のリッチランドの映像も流されます。

その中には、大量破壊兵器の開発と製造を“日常”として受け入れた、言ってみれば“暴力”が日常化した空間がある。しかし、リッチランドでは、プルトニウムの製造と抽出によって多くを失った。川の魚を食べる事なんかできない。放射能のために病気になった人もいる。幼い子どもの墓標が並ぶ場面も出てきます。

 別府キャスター: もう1つ、映画の中で監督が目を向けていたのは、この土地はもともと先住民の人たちの土地だったという指摘です。これもポイントですね。

藤原さん: 先住民は元の土地に帰るはずでしたが、結局帰ることができない。そして、放射能の汚染が甚だしい規模に上ってしまったので、帰っても生きていけないわけです。除染作業が続いていますけれども、元あった自然を取り戻すということは、考えられない状態です。

核兵器の開発は、原爆投下によって失われた命ばかりではなく、それを作った人に対しても犠牲を強いてきた。しかし、その犠牲は語られないばかりか、むしろ「これは正しいことなんだ」という語りの下、言ってみれば社会の中で隠されてきたものだった。

この映画は、マンハッタン計画と核兵器開発の陰に隠された暴力、被害をとらえた。それが功績だと思います。

 今回ご紹介した『リッチランド』は、7月6日から公開です。

「映画で見つめる世界のいま」、次回の放送予定は7月31日です。

https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pZe019152b/


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自分たちの言葉で伝える魂の歌、ペルー ケチュア語ラップをビートに乗せて

2024-06-29 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック2024.06.28

クスコ

スピリチュアルなメロディーとアンデスの楽器をヒップホップのビートと融合させるハビエル・クルス。彼のラップネームであるサラ・クタイは「トウモロコシをひく」という意味だ。クルスは少年時代、両親を手伝い、穀物をひいていたという。(PHOTOGRAPH BY VICTOR ZEA DIAZ)

この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2024年7月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

ケチュア語を話す若いミュージシャンたちが、ヒップホップ音楽を自分たちの言語と文化を表現する手段に変えた。

 それは2024年、ある晴れた1月の午後のことだった。ここは、ペルー南部のチチカカ湖畔近くにある都市フリアカ。1年前に政府の治安部隊に虐殺された18人のデモ参加者と見物人を追悼するため、先住民のケチュア族とアイマラ族の人々が何千人も広場に集まっていた。そのなかに、黒い上着、つばの広い黒い帽子、黒と金のブーツに身を包み、黒い馬にまたがった男性がいた。その姿は、スペイン帝国に対する反乱を指揮し、アンデス地方における抵抗の象徴となった先住民の首長、トゥパック・アマル2世を想起させる。ケチュア語の「カイ」(この)とスペイン語の「スール」(南)を合わせたカイ・スールという名で知られる彼は、犠牲者との連帯を表明するため、そしてラップを歌うために、そこに来た。

「わが同胞を殺しても、負かしたことにはならない」。カイ・スールが自身の曲「英雄」をケチュア語で歌うと、ヒップホップのビートが群衆に伝わる。すでにSNSで彼を見て、その歌詞に共感している人も多い。

 先住民の言葉でヒップホップの曲を作る若いミュージシャンが増えている。カイ・スールこと、20歳のジェルソン・ランディ・ワンコ・カナサもその一人だ。彼もまた、スペイン語とケチュア語、グローバルとローカル、古代と現代といった、複数の文化と伝統から着想を得て、まったく新しいものを創作している。それはアンデスのルーツと言語を取り戻そうと熱望する、若い先住民のための音楽だ。

次ページ:ケチュア語ラップを牽引するフィメールラッパー

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来月6日、遺骨問題テーマの記録映画上映  白老

2024-06-29 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2024/6/28配信

 アイヌ民族の生活文化継承に取り組む一般社団法人アイヌ力(ぢから)は7月6日午後1時から、町高砂町の白老生活館で、先住民族の遺骨問題がテーマの記録映画「八十五年ぶりの帰還 アイヌ遺骨 杵臼(きねうす)コタンへ」の上映会を開く。  札幌…

この続き:279文字

https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/142442/


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自分の生きる場所が世界の真ん中、ナイジェリア 偏見や差別に立ち向かい、自分の居場所を見つける少数者たち

2024-06-29 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック2024.06.28

写真家ヤガゼ・エメジはこの写真で、同性婚禁止法などによって、社会的に排除され、本当の自分を隠さなければならない重圧にさらされる故国ナイジェリアの人々の姿を表現した。(PHOTOGRAPH BY YAGAZIE EMEZI)

[画像のクリックで別ページへ]

この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2024年7月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

性的少数者を含むナイジェリアの先住民たちの多くが、抑圧的な法律や不当な汚名をものともせず、本当の自分をさらけ出し、高らかに讃美する。

 作家のアクウェケ・エメジとファッションデザイナーのアデジュ・トンプソンが、自分らしい生き方について語る。

*  *  *

 壁と天井が深いコバルトブルーに塗られたアデジュ・トンプソンのスタジオは、ブロンズ彫刻や山積みの本、家族写真などで埋め尽くされていた。大きなテーブルでは、職人が羽根を使って、白い布にキャッサバ糊(のり)で線を描いていく。ヨルバ族の伝統的な染色技術を用いた「アディレ」と呼ばれる布を作っているのだ。白く残したいところに糊を置いて染めた布は、トンプソンの高級ブランド「ラゴス・スペース・プログラム」の服に仕立てられる。

 私(アクウェケ・エメジ)がニューヨークからナイジェリアのラゴスに戻るのは、2018年に執筆活動を始めて以来、久しぶりのことだ。作家でアーティスト、クィア(性的少数者)でもある自分が母国を去るという選択をしたことについて、自分は逃げたのだという思いが常につきまとってきた。ナイジェリアは、性的少数者の人々にとって安全な国ではない。だが、自らの意志あるいは何らかの事情で、母国にとどまっているクィアのクリエーターもいる。ラゴスでジェンダーレスな服を作るトンプソンもそんな一人で、自分たちを爪はじきにする母国の文化に根ざした作品を創っている。そんな彼に話を聞けるのは、またとない機会だ。

「私にとっての自由は芸術の枠内にとどまりません。資本主義的な基準や社会との同化を拒み、本物の自己表現をする生き方も自由の一部なのです」—アーロン・アハル

アーロン・アハルは、ハウサ族の社会では、女性のように振る舞う男性「ヤン・ダウドゥ」にも自己表現をする自由があることを意識しながら育った(ヤン・ダウドゥはゲイと同義で使われることも多い)。それは、クィアのイベントを主催するアハルにとって、ナイジェリア北部の先住民としての生き方や、ファッションを通じて自分をどう演出するかを考える際のよりどころになっている。(PHOTOGRAPH BY YAGAZIE EMEZI)

ヤガゼ・エメジはこの特集記事のために自分の居場所を見つけたナイジェリアの社会的少数者を撮影した。

ポートレートのキャプションは、ナイジェリア人ジャーナリストのネルソン・C・J(イボ)執筆。彼はラゴスを拠点に、ニューヨーク・タイムズ紙、ローリングストーン誌、タイム誌に寄稿している。

[画像のクリックで別ページへ]

 トンプソンの作品は、実験的で唯一無二。単に既製服を作って売るだけでなく、歴史に足跡を刻む活動と言えよう。そんなトンプソンは、これまで手がけた一連の作品が認められ、アフリカ人として初めて国際ウールマーク賞を手にした。新進気鋭のファッションデザイナーに贈られる名誉ある賞だ。

 彼のスタジオに入ると、重たいけれど楽しげな可能性でいっぱいのポケットの中にいるように感じた。私たちは真っ青なアディレで覆われたソファに腰かけ、語り合った。文化の進化について、そしてイボ族のアーティストとヨルバ族のデザイナーである私たちが、それぞれの民族を中心に据えて仕事をすることについて。

次ページ:ヨウジ・ヤマモトを知っている?

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《ブラジル》国際交流基金=笹尾副岳所長が離任=後任に佐藤吉樹さん

2024-06-29 | 先住民族関連

ブラジル日報6/28(金) 8:34配信

 国際交流基金サンパウロ日本文化センター副所長の笹尾岳さん(36)が離任するに当り、所長補佐として着任した後任の佐藤吉樹さん(34歳、鳥取県)と14日、離着任挨拶のため本紙編集部を訪れた。

 笹尾さんは3年半前に着任。当時はコロナ禍の真っ只中で「ノウハウの無い中でオンライン事業を展開し、まさに暗中模索の日々でした」と悪戦苦闘した日々を振り返った。

 力を入れたのはアニメソングダンス(アニソンダンス)の普及で、「K―Popに次ぐ、次世代青少年向けダンスコンテンツにする」と「クールジャパン」の確立に尽力した。地方の日本祭りにも20回以上足を運び、アニソンダンスの地方展開を支援。漫画の寄贈やVR体験も実施し、日本のポップカルチャー文化普及に励んだ。

 印象深い思い出として、アクレ州で新設された日系団体の存在を挙げ、「彼らの祖父母や父母をリスペクトする方々の熱量に感動した」と話す。また、マナウスの日本祭りで交流した先住民族が、その文化を継承しつづけていくため、政府からの支援に頼りきりにならないよう、観光収入などの拡充に力を入れていることも印象に残っているという。

 ブラジルについては、「日本人やアジア人への偏見が無く、日本の駐在員にとって、とても生活しやすい国」と述べ、滞在を通じてブラジルのことが好きになった。長女(6歳)が「日本に帰っても、またすぐにブラジルに戻りたい」と言っているのを聞き、感動したと語った。

 一方で、車の窓ガラスを割られてスマートフォンを盗まれたり、腰に結び付けていたスマホを引っ張られて路上を引きずられた経験もした。これらの体験を経ても、「充実した日々でした」と語った。

 離任後も日本のポップカルチャーを通じてブラジルとの関わりを維持し続けたいという思いから、本紙を刊行する「ブラジル日報協会」のJポップカルチャー・メディア芸術編集顧問と、日伯文化連盟(アリアンサ)のJポップカルチャー及びメディア芸術特命理事に就任した。「アニソンダンスが、ミス日系大会やコスプレ大会のようなイベントに成長して欲しい。帰国後もブラジルと日本の架け橋となれるよう励みたい」と語った。

 後任の佐藤さんは初の南米勤務。日本語事業分野を担当し、「笹尾さんのように現地の雰囲気に馴染んで柔軟にやっていきたい」と意気込む。

 ブラジルの印象については「先輩からブラジルの人々は、街中で気軽に挨拶をしてくれたり、道の案内もしてくれる、特に家族や子供にやさしい国だと聞いています」と語った。

 趣味は米国や英国のパンクロック。昔は地下のライブハウスにも通っていたほどの音楽好きだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/aa2b161f4d687be36d078ca311d8405cc870c785


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色とりどりの花びらでカーペット 札幌で28日からイベント 園児ら準備

2024-06-28 | アイヌ民族関連

吉川幸佑 会員限定記事

北海道新聞2024年6月27日 21:37

 バラの花びらなどを並べて地面に大きな絵を描くイベント「サッポロフラワーカーペット2024」(実行委主催)が、28~30日に札幌市中央区の北3条広場「アカプラ」などで開かれる。開幕前日の27日には夏を思わせる日差しの下、市民ボランティアや近くの園児らが使用する花びらの準備作業を行った。

フラワーカーペットに使う花びらを丁寧に摘み取る園児たち(北波智史撮影)

 イベントは2014年に始まり、今年で10回目。アカプラに飾るメインカーペットはこれまでで最大の長さ30メートル、幅7.5メートルで、花鳥風月やアイヌ文様のデザインがあしらわれる。

・・・・・

 28日は制作作業が行われた後、午後3時半から完成式が行われる。札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)や赤れんがテラスでも小規模なカーペットを展示する。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1030743/


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旧ジャニーズ問題、国連で訴え 性被害者「再発防止を」

2024-06-28 | アイヌ民族関連

有料記事

北海道新聞2024年6月26日 23:07(6月27日 15:21更新)

 【ジュネーブ共同】国連人権理事会(47カ国)は26日、旧ジャニーズ事務所(SMILE―UP.、スマイルアップ)の性加害問題などに関する調査報告書の提示を含む会合を開いた。会合では被害者の1人の二本樹顕理氏がビデオ声明で、日本政府や企業に「性加害が繰り返されないための措置を取ってほしい」と訴えた。

 報告書をまとめた作業部会は、性加害問題は被害者救済が進んでいると一定の評価を示した一方、ジェンダー問題などで「日本には人権に関する構造的な課題がある」と指摘した。

 日本の尾池厚之ジュネーブ国際機関政府代表部大使は「報告書が挙げた点全てには同意しないが、人権とビジネスに関する対策を検討したい」と述べた。

 報告書は、専門家で構成するビジネスと人権に関する作業部会が5月28日に公表。旧事務所の創業者ジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題について、被害者救済に向けた「道のりは長い」とし「依然として深い憂慮が残る」と指摘した。

 作業部会は昨年7~8月に日本を訪問。東京電力福島第1原発事故後の除染での下請け作業員や北海道のアイヌ民族、外国人技能実習生らの人権状況も調査した。

 ・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1030454/


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北海道道「アイヌ“先住権”訴訟~サケと生きる暮らしを求めて~」放送を終えて

2024-06-28 | アイヌ民族関連

NHK2024年6月27日

十勝・浦幌町のアイヌの人たちが「地元の川で先祖のようにサケ漁がしたい」と国や県を訴えた裁判の判決が4月18日に札幌地方裁判所でありました。アイヌの人たちは敗訴しましたが、控訴したため、裁判は今後も続きます。この裁判で問われていることは何なのか。6月21日放送の北海道道はこの裁判を取り上げました。

(釧路放送局 佐藤恭孝)

先住権って何?

6月21日に放送した北海道道「アイヌ“先住権”訴訟~サケと生きる暮らしを求めて~」は、「先住権」という「かたい」言葉をあえてタイトルに使った番組でした。先住権という言葉に“”を付けたのは、この言葉が番組のキーワードだよという思いとともに、当たり前のように使うほどには、まだ普及していないだろうという懸念もあったからです。

「先住権」というのは、先住民が持つべき権利のことで、国連は「先住民は伝統的な土地や領域、資源に対する権利を持つ」と定義しています。こういう権利が生まれた背景には、世界中の多くの先住民が、後から入ってきた人々に支配され、多くの権利を奪われたという歴史認識と、それを回復するのが正義だという考え方があります。

日本政府は5年前にあらたに法律をつくり、アイヌ民族を日本の先住民と認めましたが、その権利については明記しませんでした。「でも自分たちにその権利はあるはずだ」というのが、十勝・浦幌町のアイヌの人たちが考えたことでした。そして日本で初めて「先住権」を根拠に、地元の川でのサケ漁を求めて裁判を起こしたのです。

アイヌであることとは?

アイヌであるとはどういうことなのかーー。私が道内各地で会った多くのアイヌの人たちの悩みは、この言葉に要約されるような気がします。

現代のアイヌの人たちのほとんどは、日々、和人と同じような衣食住をして、和人と変わらない仕事をして暮らしています。そうした日常の中で、アイヌであるとはどういうことなのか?折に触れて伝統儀式や古式舞踊をすることなのか?アイヌ語を学ぶことなのか?サークル活動みたいなもの?

そうした文化の伝承は大切です。でもアイヌとして生きることの本質は、もっと生活と密着した日々の暮らしにあるのではないか。そうした違和感は、私が会った多くのアイヌの人が持っていました。かつてあるアイヌの男性は政府の高官に「アイヌの伝統を守り続けろというならアイヌとして生活できるようにしてほしい」と訴えました。

アイヌとして生活する。その道のひとつが、先祖のように川でサケをとって糧にすることであり、その暮らしを(一部でも)回復できないか、アイヌの人たち自身が世の中に問いかけたのが今回の裁判だったと思います。

私たちに問われていること

札幌地裁の判決は結局、アイヌの人たちの伝統文化は尊重すべきとしたものの、先住権については、具体的な権利としては認めませんでした。先住権が法律に具体的に定められていない以上、こういう判決になるだろうなという、悪い意味で予想通りの判決でした。

浦幌のアイヌの人たちは控訴していて、裁判はまだ続きます。大事なことは、この裁判がアイヌ以外の道民にとっても、けっして他人事ではないということです。和人にとって北海道は「開拓地」でした。開拓とは「未開」の地を「ひらく」こと。未開とされたアイヌの人たちがこうむった不正義は言葉を失うほど過酷なものでした。アイヌの人たちの先住権を考えることは結局、開拓の過程でおきた不正義、負の遺産とどう向き合うか、どう精算するのかということだと思います。この番組が、この問題を考える糸口になれば、制作者の1人としてこれ以上の喜びはありません。

裁判について詳しくは
【解説】アイヌ先住権訴訟 歴史的背景や裁判の論点など

北海道道「アイヌ“先住権”訴訟~サケと生きる暮らしを求めて~」
NHKプラスで配信中です。

https://www.nhk.or.jp/hokkaido/lreport/articles/300/103/08/


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“先住権”を学ぶ オーストラリアへ渡ったアイヌ

2024-06-28 | アイヌ民族関連

NHK 2024年6月27日

「先祖と同じように川でサケをとりたい。川でサケをとってアイヌとしての誇りを持って生きたい」。北海道に住むアイヌの男性が世界各地の先住民を前に訴えたことばです。
彼らは5月、オーストラリアで開かれた先住民の権利「先住権」がテーマのシンポジウムに参加し、私は同行取材することができました。その中で彼らが現地の先住民たちの活動にふれ、多くの気づきを得る姿をすぐそばで見ることができました。

(帯広放送局 記者 青木緑)

「先住権」求め世界の先住民が…

5月下旬、浦幌町のアイヌ民族の団体「ラポロアイヌネイション」のメンバーの2人は、オーストラリアにいました。世界各地の先住民が参加する国際シンポジウムに出席するためです。集まったのは、地元オーストラリアのほか、台湾や北米の先住民たちです。

浦幌町の団体は2020年、アイヌとして地元の川でサケをとる権利を求め、全国で初めて裁判を起こしました。札幌地方裁判所で原告の訴えを退ける判決が出てから1か月後に開かれたこのシンポジウムで、ラポロアイヌネイションの長根弘喜さんは「アイヌとしての誇りを持って川でサケをとりたい」という思いを、世界に訴えました。

漁業権を取り戻したアボリジニ

オーストラリアではほかにも多くの学びの機会がありました。浦幌のアイヌの人たちが訪れたのは、シドニー空港のすぐ近くに広がるボタニー湾。約250年前、オーストラリアに入植を始めた白人は、先住民アボリジニの人たちが伝統的に続けてきた漁の権利を奪いました。しかし、地元のアボリジニのグループは州政府などとの対話を重ね、2014年、自分たちで食べる分に限って漁をする権利を取り戻しました。

(写真)アボリジニの漁師 ロバート・クーリーさん
「自分たちの歴史を学び、魚がどれだけ重要か伝え続けることが大切です。魚は私たちにとってかけがえのない食料であり、漁は大切な文化です」

魚をとるだけではありません。アボリジニの人たちは魚のエサやすみかとなる海草の移植を続けるなど海の環境の改善にも取り組んでいます。こうした活動は州政府や住民にも高く評価され、地域の一体感につながっているといいます。また、この日はボラなどの魚が数多く網にかかりましたが、アボリジニの人たちは十分なサイズではない魚はどんどん海に返していきます。「自分たちに必要な分だけ持ち帰り、資源をとり過ぎない」。自然と共存を続けてきた先住民の伝統的な考え方だといいます。

(写真)ラポロアイヌネイション 門脇政史さん
「食べる分だけとってあとは逃がしている。地域貢献のための活動をしていることがわかりました。積極的に活動をしているという印象を受けました」

(写真)ラポロアイヌネイション 長根弘喜さん
「アボリジニの人たちはもともと行っていた漁が1回途絶えてできなくなったと話していました。まさに自分たちも一度途絶えた文化、それを自分たちで復活させようとしているところが同じだなと思いました」

“あとからやって来てルールを作るのはおかしい”

アボリジニの人たちがみずからガイドをつとめる観光ツアーにも参加しました。
オーストラリア南東部の町、ナルーマ。高級住宅街が広がるこの地域も、かつてはアボリジニの人たちが伝統的な暮らしを営んでいた場所です。豊かな海でアワビやロブスターをとっていましたが、ここでも自由に漁をする権利を白人に奪われました。

ここでは自分たちで食べる分の漁も厳しく規制されています。アワビやロブスターのような商品価値が高い海産物ほど当局による規制が厳しいといいます。

(写真)観光ツアーに同行した77歳のアボリジニの漁師、ケビン・メイソンさんは「伝統的にアボリジニが持っていた漁業権を、あとからやって来た白人が禁止し、ルールを作る側になるのはおかしい」と話していました。

ツアーでは波がおだやかな湾の中を観光船で進みながらアボリジニの人たちが伝統的な漁の道具を紹介し、自分たちにとって漁業がどれだけ大切か訴えました。自分や祖先が経験した差別についても語り、ツアーは3時間ほどでしたがあっという間に感じられました。

長根弘喜さん
「ツアーでアボリジニの歴史についていろいろ知ることができました。今すぐは無理かもしれないけれど、自分たちも将来こういうことができるかもしれないと思いました」

声を伝え続ける

そしてオーストラリアに滞在した最後の日。浦幌のアイヌの人たちは首都キャンベラの連邦議会を訪れました。日本の国会にあたります。アボリジニの人たちが議員に自分たちの権利回復を訴える場に同席したのです。国会議員が、先住民の声に真摯に耳を傾けていました。

オーストラリアでも先住民が権利を求めて闘い、声を伝える活動を続けている姿を目の当たりにした長根さん。このあと臨んだ現地メディア向けの記者会見で語ったのは「世界に仲間ができた」という思いでした。

(写真)長根弘喜さん
「私たちは孤独な闘いをしてきましたが、今回シンポジウムに来て、各地のグループが孤独に闘っていることがわかりました。今こそ皆で力を合わせて闘おうということになり、勇気をもらいました」

取材後記:先住民の存在を身近に

オーストラリアのあちらこちらで、ある旗が国旗とともに掲げられているのを見ることができます。アボリジニの旗と、同じ先住民のトレス海峡諸島民の旗です。先住民の伝統的なアートを模したデザインも日常にあふれ、日本よりも先住民の存在が身近にあるように感じます。アボリジニの人たちの活動を支援する白人のオーストラリア人にも数多く出会いました。

ただ、1970年代まで「白豪主義」と呼ばれる差別的な政策が続いたオーストラリアでは、いまも先住民の収入や教育水準の低さが課題となっています。
また、去年には先住民を「オーストラリアの最初の人々」と新たに明記することなどを盛り込んだ憲法の改正案が国民投票にはかられましたが、反対多数で否決されました。
広いオーストラリアでは、先住民とひと言で言っても、それぞれのグループごとに言葉や文化が異なります。先住民の間でも憲法改正案を支持した人たちもいれば、「政府に押しつけられた」と反対した人たちもいるといいます。
また、先住民の文化を“観光資源”にすることを良く思わない人たちもいます。

浦幌の2人はオーストラリアで現地の人たちと向き合って、世界の先住民は権利回復のためにどのように闘ってきたのか、日本と世界の先住民政策はどう違うのか、共通する課題は何なのか考えていました。

私も北海道でアイヌの人たちとともに暮らす人間の一人として彼らと向き合い、声をしっかり聞くことで、どのような社会を目指すべきか一緒に考えていきたい。今回、彼らの姿を間近で取材したことであらためて感じました。

https://www.nhk.or.jp/hokkaido/lreport/articles/300/103/06/


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