東洋経済2024/06/24 9:30
釧路湿原(釧路町)に広がるソーラーパネル(写真提供:釧路自然保護協会)
日本最大のラムサール条約登録湿地、釧路湿原で太陽光発電施設の進出が続く。絶滅危惧種で天然記念物のタンチョウやキタサンショウウオが住む湿原の乾燥化に拍車がかかるとの懸念が高まる。
国、北海道、市町村、環境団体でつくる協議会は希少生物の生息地を避けるよう事業者に呼びかけ、釧路市は条例づくりに着手した。だが押し寄せる太陽光パネルの波に歯止めがかからない。そんななか、環境団体が土地の買い取りを進めている。
地元の環境団体や専門家が乱開発から守ってきた
「釧路湿原は、1972年に出版された田中角栄氏の『日本列島改造論』で開発候補地点とされ、将来のあるべき姿をめぐって地元で議論になった。海岸から6キロ以上離れた湿原地帯は守ろうということで合意し、国立公園を目指す運動に発展しました。環境省は背中を押され、1987年に国立公園が誕生。湿原を守りたいという地域の人たちの声が、今の太陽光発電を問題視する市民運動につながっています」
こう指摘するのは、元環境省自然環境局長でIUCN(国際自然保護連合)日本委員会会長の渡邉綱男さん(68歳)。原生的な自然が残る約2.6万ヘクタールの湿原を保全するため、地元の環境団体や専門家は熱心な活動を続けてきた。
その1つ、NPO法人・トラストサルン釧路は、市民が自然環境の保護などを目的に土地を購入し管理するトラスト運動に取り組み、これまでに59カ所、約607ヘクタールの土地を取得した。「湿原保護基金」への寄付を募り、土地を取得している。
サルンはアイヌ民族の言葉で湿原を意味する。釧路湿原が国立公園になった翌年の1988年に発足した。国立公園区域は湿原の中央部やわずかな丘陵地に限られる。
このため、国立公園区域外の周辺丘陵地や南部湿原を対象に買い取りを進めてきた。丘陵地は湿原に水を供給する水源地域であり、南部湿原は市街地拡大が心配されていた。
地道に続けてきた活動が、昨年あたりから脚光を浴びている。数年前から釧路湿原に増殖するメガソーラーを押しとどめる手段として注目されているのだ。
メガソーラーの建設予定地や適地を次々に取得
トラストサルン釧路が湿原の水源地域とともに土地の買い取りのターゲットにしてきたのは、南部の湿原地帯。開発が抑制されている市街化調整区域になっているが、太陽光発電施設が次々に作られている。建築基準法上の建物ではないため設置できるからだ。
南部湿原一帯には、環境省のレッドリストで絶滅危惧種のキタサンショウウオ、タンチョウ、猛禽類のチュウヒの生息が確認されている。キタサンショウウオは釧路市指定、タンチョウは国指定の天然記念物。チュウヒは激減しており、全国で「135つがい」(日本野鳥の会による推定繁殖つがい数)しかいない。
トラストサルン釧路はここで2023年9月、あわせて約13ヘクタールの2カ所の土地を購入した。「私たちNPOの活動を知った所有者の方が連絡をくださり、活動を理解して土地の取得交渉に応じてくださった。土地の取得後にわかったのですが、取得した土地はメガソーラーの建設予定地の一部だったようです」と黒澤信道理事長(67歳)は明かした。
この土地取得は、毎日新聞が2023年11月30日付で大きく報じた。記事によると、元の地権者は発電事業地として買い取りたいという話を持ち掛けられ、間に入った不動産業者と売買交渉を一任する書類を交わしたものの、期限を過ぎても進展がなかったことから、同NPOに連絡したという。
このケース以外にも、地権者からの連絡が増えている。黒澤理事長は「昨年1年間だけで、10件ありました。うち4件は買い取り、6件は寄贈を受けました。ほとんどが、原野商法が盛んなころに買った土地についての相談でした」と話す。
原野商法とは、1970年代後半~80年代に盛んだった「将来、高値で売れる」とのセールス文句で山林や原野を売り込む不動産ビジネスの方法。詐欺罪に問われたり、宅建業法の免許取り消しなどの行政処分を受けたりした事例も多かった。
黒澤理事長が「宅地ではなく原野なのに図面だけを見せて売ったのだろうか。あるいは、将来このような宅地になる、と説明して売ったのか」と首を傾げる例もある。トラストサルン釧路が2012年に取得した南部湿原の20ヘクタールの土地の近くには、インターネット上で入手できる地番図で見ると、道路用地のように見える線に沿って100坪(330㎡)程度の区画が区切られ、宅地のように見える場所がある。実際には道路も区画もなく、ただ湿原が続いているのだという。
自らの金で買い取りを行うキタサンショウウオの研究者
釧路市指定の天然記念物、キタサンショウウオは、体長が約11センチと小さく、湿原の中のごく狭い範囲で一生を過ごす。4年前、環境省のレッドリストで「準絶滅危惧種」から「絶滅危惧IB類」へと危険度が2ランク上がった。
NPO法人・環境把握推進ネットワークPEG理事長の照井滋晴さん(41歳)は、釧路教育大学在学中からキタサンショウウオの研究を続けてきた。釧路市文化財保護条例に基づく釧路市立博物館による生息状況の調査に協力。その結果は、照井さんら関係者を慌てさせた。
南部湿原のキタサンショウウオの生息適地と太陽光発電事業の予定地が重なり合っていることがわかったからだ。予定地は、資源エネルギー庁公表のFIT制度(再生可能エネルギー特別措置法に基づき有利な価格で再エネにより発電した電気を売れる制度)の認定情報をチェックすればわかる。
2023年12月、照井さんは南部湿原の土地2カ所、計4627㎡を購入した。「近くにメガソーラーの建設予定地があり、比較的まとまった大きさの土地だったので。所有者さんがさまざまな費用を払っても損をしない価格帯で、自分の金で購入しました」という。
この2カ所にキタサンショウウオが生息しているかどうか、まだ調査できていないが、「良い湿地が残っており、どのような生物が生息しているか調査を進めたい」と照井さんは考えている。
照井さんに、どうやって取得可能な土地を見つけたのか尋ねると、「不動産会社が出している情報を見ました」という。照井さんは同様の方法で2023年3月にもNPO法人の会計から2カ所の土地を購入し、2024年4月、トラストサルン釧路に寄贈している。
原野商法で取得した土地を手放したい、という地権者
不動産会社のハウスドゥ!釧路中央店(株式会社アースハウス)の店長、佐伯友哉さん(31歳)は、2年ほど前に入社し、不動産の仕事を始めるにあたってさまざまな人々に話を聞き回った。親戚の人を訪ねた時、経済価値のない原野を所有しているがどうにかしたい、という相談を受けた。
「価値がないことはわかっていましたが、売り出してみようと、ダメ元で売地として並べました。そうしたら、『ほかの不動産屋さんで断られたけど、扱ってもらえませんか』といった土地所有者からの連絡が入るようになりました」(佐伯さん)。通常、原野など経済価値の乏しい土地は扱わない不動産屋が多い。
原野商法の舞台の1つとなった釧路湿原。約40年前に土地を購入した人、あるいは土地を購入した親から相続した土地を手放したい、と思う人は多いようだ。照井さんが最近、取得した土地の元持ち主も、そのような人たちだった。
原野商法で湿原の土地を買った人たちのうち、「土地を手放したい」と思う人と、「固定資産税もかからないし、このまま推移を見たい」という人の割合はどのくらいなのだろうか。佐伯さんは、「いまは、半々ではないか」と見ている。
不要な土地だが、環境価値のある土地をどうするか
所有者不明土地や不要土地などの問題に詳しい東京財団の吉原祥子研究員によると、全国で「不要な土地を手放したい」という人は多い。
その“証拠”として吉原さんが挙げたのが、「相続土地国庫帰属制度」への相談件数の多さ。登記手続きが済んだ土地で、不要なものを国が引き取る制度で、2023年4月にスタートしたが、2024年3月までに相談件数が2万3000件を超えた。
国に土地を受け取ってもらうにはさまざまな要件があり、土地管理費を含む負担金を納めなければならない。実際に国が受け取ったのは2024年5月末時点で460件だが、高い関心を呼んでいる。
不要土地を抱える人たちは、身近な市町村にまず相談することが多い。トラストサルン釧路によると、2012年に取得した湿原の場合、所有者が最初に釧路市役所に電話をかけ、「市が買い取ったり、寄贈を受けたりはできないが、湿原の土地の買い取りをしている環境団体がある」と聞いて連絡してきたという。
なぜ市町村は不要土地を受け取らないのだろうか。「管理コストと管理責任が半永久的に続いていくからです。受け取るということは、行政目的があるから、受け取って管理責任を負担していくわけです。使い道のない土地をもらえば、火災、不法投棄、土砂災害が起きた時、管理責任を問われることになる。人もお金もないなかで、個人の財産にかかわることに積極的に首は突っ込まない」。吉原さんはこのように説明する。
しかし、中長期的には、土地の管理や利用を個人や財産を継いだ親族にまかせている現状を変えなくてはいけない。吉原さんをはじめ土地問題にかかわる人々はそう考える。吉原さんは「自然環境保全のために土地の買い取りを進める民間の団体と自治体が何らかの形で協力、連携して活動するなどの方法が有効ではないか」と指摘している。
釧路市には、2023年7月に施行された「自然と共生する太陽光発電施設の設置に関するガイドライン」がある。また、市と釧路湿原自然再生協議会(国、北海道、釧路市、釧路町など5市町村、民間団体、個人で構成)はそれぞれ、ホームページで希少生物の生息適地を明示し、そこへの設置を避けるよう発電事業者に呼びかけてきた。
しかし、市内の太陽光発電施設は2014年6月には96施設だったが、2023年12月には631施設と6.6倍に増えた。このうち出力1000kW以上のメガソーラーは22カ所。太陽光発電施設の進出に歯止めがかからない。市と市議会は現在、ガイドラインの条例への格上げを検討中だ。
https://toyokeizai.net/articles/-/764519