NHK2024年6月27日
十勝・浦幌町のアイヌの人たちが「地元の川で先祖のようにサケ漁がしたい」と国や県を訴えた裁判の判決が4月18日に札幌地方裁判所でありました。アイヌの人たちは敗訴しましたが、控訴したため、裁判は今後も続きます。この裁判で問われていることは何なのか。6月21日放送の北海道道はこの裁判を取り上げました。
(釧路放送局 佐藤恭孝)
先住権って何?
6月21日に放送した北海道道「アイヌ“先住権”訴訟~サケと生きる暮らしを求めて~」は、「先住権」という「かたい」言葉をあえてタイトルに使った番組でした。先住権という言葉に“”を付けたのは、この言葉が番組のキーワードだよという思いとともに、当たり前のように使うほどには、まだ普及していないだろうという懸念もあったからです。
「先住権」というのは、先住民が持つべき権利のことで、国連は「先住民は伝統的な土地や領域、資源に対する権利を持つ」と定義しています。こういう権利が生まれた背景には、世界中の多くの先住民が、後から入ってきた人々に支配され、多くの権利を奪われたという歴史認識と、それを回復するのが正義だという考え方があります。
日本政府は5年前にあらたに法律をつくり、アイヌ民族を日本の先住民と認めましたが、その権利については明記しませんでした。「でも自分たちにその権利はあるはずだ」というのが、十勝・浦幌町のアイヌの人たちが考えたことでした。そして日本で初めて「先住権」を根拠に、地元の川でのサケ漁を求めて裁判を起こしたのです。
アイヌであることとは?
アイヌであるとはどういうことなのかーー。私が道内各地で会った多くのアイヌの人たちの悩みは、この言葉に要約されるような気がします。
現代のアイヌの人たちのほとんどは、日々、和人と同じような衣食住をして、和人と変わらない仕事をして暮らしています。そうした日常の中で、アイヌであるとはどういうことなのか?折に触れて伝統儀式や古式舞踊をすることなのか?アイヌ語を学ぶことなのか?サークル活動みたいなもの?
そうした文化の伝承は大切です。でもアイヌとして生きることの本質は、もっと生活と密着した日々の暮らしにあるのではないか。そうした違和感は、私が会った多くのアイヌの人が持っていました。かつてあるアイヌの男性は政府の高官に「アイヌの伝統を守り続けろというならアイヌとして生活できるようにしてほしい」と訴えました。
アイヌとして生活する。その道のひとつが、先祖のように川でサケをとって糧にすることであり、その暮らしを(一部でも)回復できないか、アイヌの人たち自身が世の中に問いかけたのが今回の裁判だったと思います。
私たちに問われていること
札幌地裁の判決は結局、アイヌの人たちの伝統文化は尊重すべきとしたものの、先住権については、具体的な権利としては認めませんでした。先住権が法律に具体的に定められていない以上、こういう判決になるだろうなという、悪い意味で予想通りの判決でした。
浦幌のアイヌの人たちは控訴していて、裁判はまだ続きます。大事なことは、この裁判がアイヌ以外の道民にとっても、けっして他人事ではないということです。和人にとって北海道は「開拓地」でした。開拓とは「未開」の地を「ひらく」こと。未開とされたアイヌの人たちがこうむった不正義は言葉を失うほど過酷なものでした。アイヌの人たちの先住権を考えることは結局、開拓の過程でおきた不正義、負の遺産とどう向き合うか、どう精算するのかということだと思います。この番組が、この問題を考える糸口になれば、制作者の1人としてこれ以上の喜びはありません。
裁判について詳しくは
【解説】アイヌ先住権訴訟 歴史的背景や裁判の論点など
北海道道「アイヌ“先住権”訴訟~サケと生きる暮らしを求めて~」
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