先住民族関連ニュース

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樺太アイヌ協会 田澤守会長語る 本来、先住民族の土地 「共に生きる道を」 /北海道

2024-06-13 | アイヌ民族関連

毎日新聞2024/6/13 地方版 有料記事 657文字

 樺太アイヌ協会会長の田澤守さん(69)が札幌市内で講演した。テーマは「ルーツであるエンチウ(樺太アイヌ)のこと」。「北海道パレスチナ医療奉仕団」が1日に開いた報告会の中で行われ、アイヌが奪われた土地に対する先住民族としての権利の重要性について歴史を踏まえて語った。【安味伸一】

 田澤さんは札幌市内で暮らす大工で、両親が樺太(サハリン)生まれ。1875年の樺太千島交換条約で樺太がロシア領になり、樺太に住んでいたエンチウ841人が道北に、さらに、対雁(ついしかり)(現・江別市)に移住させられた歴史を概説し、「もともと樺太はロシアや日本のものでなく、少数民族のものだ」と指摘した。

 北海道については、「ここは北海道アイヌが住むところで、私たちは間借りしている。侵略者に土地を奪われたことが150年間、延々と続く。日本政府はアイヌの土地を自分たちのものにし、知らないふりをして今、生きている」と述べた。

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https://mainichi.jp/articles/20240613/ddl/k01/040/054000c


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アイヌ文化体験講座「アイヌ料理を作ろう!食べよう!」:イベント情報

2024-06-13 | アイヌ民族関連

十勝毎日新聞2024年6月13日(木)

地域

幕別

開催日

2024年6月13日(木)

時間

10:00~12:00

内容・説明

サケの汁物、昆布たれをかけた団子、カボチャの混ぜ煮などアイヌの伝統料理を作って食べる。講師はマクンベツアイヌ文化伝承保存会の廣川和子さん、丹野るみかさん、丹野梨香さん。エプロン(あればピーラー)持参。参加申し込みは電話、メール(件名「アイヌ文化体験講座」、名前・居住市町村・電話番号を明記)で。先着10人。6月7日(金)締め切り。

場所

幕別町百年記念ホール調理実習室

住所

幕別町千住180

料金

参加無料

問い合わせ先

0155-54-2006(幕別町教委生涯学習課)

メールアドレス

gakugein@town.makubetsu.lg.jp

https://kachimai.jp/event/event_calendar_data.php?id=8790


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宮沢・レーン事件「最後の証人」マライーニさんに聞く 「私のルーツの一つが日本に」

2024-06-13 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年6月12日 21:03(6月13日 1:44更新)

都内にある宮沢弘幸さんの菩提寺で講演するダーチャ・マライーニさん(中央)=内山岳志撮影

 ノーベル文学賞の候補として名前の挙がるイタリア人作家ダーチャ・マライーニさん(87)が12日、都内の寺院で講演した。一問一答は次の通り。

 ―新刊「Vita Mia(わが人生)」で訴えたかったことは何ですか。

 「私にとって日本は、子供の時期8年を過ごした大切な所です。私のルーツの大事な一つが日本にあると思っています。よく聞かれる質問は、むごい扱いを受けた日本になぜ親愛の情を抱き続けていられるのかということです。確かにこの外国人収容所で大変な経験はしました。私は日本人がそばにいるという状況で過ごし、子供心に感じたのは、敵となる存在は収容所の中にはいるが、外にいる日本人は皆、私たちの味方だということです。人は、絶対的な力を手にすると、自分でも知らないうちに非常に残酷になる、サディスティックになってしまうものなのです。収容所の特高警察は、古い軍隊主義思想の人々で、私たちを裏切り者として扱い、どんな残酷なことをしても正しいという考えでした。ただ、それは実際の市民とは違うと理解しています。だからこそ、私は日本人と今でも良い関係を続けていられるのです」

 ―あなたの文学は、閉じ込められた領域からの脱出や反ファシズム、弱者に寄り添うことがテーマになっていることが多いように思います。

 「当時建国された、ナチスドイツと同盟を組むサロ共和国に従属を宣誓しなければ収容所に送られると言われました。しかし、両親は拒否しました。人種差別への反対というイデオロギーのためでした。周りの人々は母だけは幼い娘がいるからサインするだろうと考えていましたが、そうしませんでした。両親とも民主主義という理想に非常に忠実でありました。その結果、当時6歳の私と2歳の妹も、国家の裏切り者として扱いを受けることになりました。これが戦争の悲惨さです」

 ―誰もが持つ暴力性を抑制すること、読む、書くといった文化活動の役割について教えて下さい。

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 ―宮沢弘幸さんとの記憶を聞かせて下さい。

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 ―世界では軍備強化の動きが強まっています。

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 ―収容所でのエピソードを。

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―父フォスコさんが研究したアイヌ民族について差別やヘイトが今まだ根強く残っています。どうあらがうべきですか。

 「幼稚園や小学校から人種による差別は絶対的な悪だと教えことから始めてはいかがでしょう。ユダヤ人や中国人、アフリカ人など、あらゆる人種は同じDNAを持ち、科学的には同じです。幼い頃から人間はみな同じで、同じ権利と義務があると理解する必要があると思っています。この人種差別というものは、社会の分断を誘発し、支配力を高めることにも利用されます」

―最後に宮沢さんへ一言。

 「宮沢さんは本当に理不尽な理由で逮捕され、拷問を受け、最後には病気で亡くなりました。彼は戦争の犠牲者です。でも、同じ事は世界中で起きています。人を敬うリスペクトが、サスペクトの疑いに取って代わる時は、戦争の一歩手前です。こうした空気をは避けるべきものだと強く訴えたい」

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1023981/


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宮沢さんは戦争の犠牲者 交流の作家、墓前で訴え

2024-06-13 | アイヌ民族関連

内山岳志 会員限定記事

北海道新聞2024年6月12日 18:58(6月13日 0:07更新)

宮沢弘幸さんの墓前でお参りをするマライーニさん(手前)。奥は宮沢さんのめいの福原さん

 来日中のイタリア人作家ダーチャ・マライーニさん(87)が12日、東京都内の寺を訪れ、「宮沢・レーン事件」で逮捕・投獄された北海道帝国大(現北大)の学生宮沢弘幸さんの墓参りをした。遺族を交えた交流会では、幼少期の思い出を語り、いわれなきスパイ容疑で人生を奪われた宮沢さんの無実を訴えた。

 マライーニさんは2歳の時、父の故フォスコさんのアイヌ文化研究のため一家で来札し、北大の官舎で暮らした。父の親友となった宮沢さんと親交を深めたが、太平洋戦争開戦日の1941年(昭和16年)12月8日、宮沢さんとレーン夫妻はスパイ容疑で逮捕された。宮沢さんは戦後釈放されたが、27歳で病死した。

 宮沢さんのめい、福原恵美さん=広島市=と墓前で手を合わせたマライーニさんは「家族の一員だったので、逮捕を知った時はつらかった。外国人と仲良くしたことで疑われ、逮捕されるなんて理不尽だし、彼は絶対に正しい」と訴えた。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1023865/


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アイヌ文化や自然体験 米学生が阿寒湖温泉で研修

2024-06-13 | アイヌ民族関連

小野田伝治郎 有料記事

北海道新聞2024年6月12日 18:38(6月12日 19:10更新)

阿寒湖温泉地区を歩くフロリダ国際大の学生ら

 【阿寒湖温泉】米フロリダ国際大の学生ら17人が、研修の一環で阿寒湖温泉を訪れた。阿寒湖アイヌコタンや周辺でアイヌ文化や阿寒湖の自然を体験した。

 アイヌ文化を研究する同大非常勤講師の久保田雅子さんが2010年にアイヌコタンを訪問して以来、同大と阿寒湖温泉の人々との交流が続いている。今回は研修のアシスタントプログラムディレクターのシーザー・カスティーヨさんが引率し、京都、札幌などを経て阿寒湖温泉に5月31日到着。6月4日まで滞在した。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1023842/


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民族の誇りを背負い、気高く生きるアイヌの娘。彼女との一瞬の交差を描く連作短編集

2024-06-13 | アイヌ民族関連

ダ・ヴィンチ2024/6/12

谷から来た女』(桜木紫乃/文藝春秋)

 在日外国人から、「出自を話すと『そうは見えない』『どう見ても日本人だね』と言われてモヤモヤする」と言われたことがある。相手に悪意はなく、むしろ善意のつもりの発言だろう。だが、そこにはマジョリティがマイノリティの手を引き、「仲間に入れてあげる」と肩を組むような無自覚の傲慢さがないだろうか。

谷から来た女』(文藝春秋)に登場する赤城ミワも、「あなたはアイヌに見えないからだいじょうぶよ」と言われてきた女性だ。彼女は、伝統的なアイヌ紋様を現代的にアレンジし、インテリアや衣服に取り入れるデザイナー。彼女はどこから来て、どこへ向かうのか。ミワの人生とかすかな接点を持った人々の視点で、その実像を浮かび上がらせていく。

 本書は6編が収録された連作短編集であり、各編で視点人物も時代背景も異なっている。冒頭の「谷から来た女」で描かれるのは、50代半ばの北大教授・滝沢龍から見たミワだ。テレビ局の番組審議会のメンバーとして出会ったふたりは、雨宿りのつもりで入ったワインバーで意気投合。滝沢はひと回り以上年下のミワに惹かれ、やがて男女の仲になっていく。

 続く「ひとり、そしてひとり」の視点人物は、21歳の引地千紗。父親はおらず、母親は祖母の介護にかかりきりになっているため、昼は札幌駅地下にあるアクセサリー店、夜はセクシーパブで働いている。ミワとはデザイン専門学校の同期であり、まばゆいほどの才能を持つ彼女に畏敬の念を抱いていた。ふたりは深夜のすすきので偶然再会し、千紗はある事情から彼女の工房に転がり込むことになる。この短編では、まだ駆け出しのデザイナーだった若き日のミワが描かれる。

 他にも、教育新聞記者からは高校時代のミワが、恋人だったビストロシェフからは30代のミワが語られていく。さらに、ミワの両親が出会い、彼女が生まれるまでを描いた短編も収録されている。

 出会った年代は違えど、どの人物から見たミワも瞳に強い力を宿した気高い女性だ。祖父は、アイヌ文化を守るために故郷の谷でダム建設反対運動を興した闘士。彼女もその血を引いており、背中には父が遺した鮮やかなアイヌ紋様が刻まれ、文字どおり民族の誇りを背負っている。目に見えぬものに抗い、背中の紋様に守られ、自分の人生を歩んできた。この人物像が実に魅力的で、一度見つめたら視線を引き剥がせないような力強さがある。

 最後に収められた「谷で生まれた女」には、そんな彼女がドキュメンタリー番組の制作者に向けて、自身のこと、民族のことを語る場面がある。背中の紋様を写したセルフポートレートを発表した彼女は、「わたしは長いこと、背中に刻まれているものが自分を守ってくれていると信じてたの」と話す。だが、彼女はこう気づいたという。

「わたしを守るのは、わたし自身だったんです」

 今、世界では民族間の争いは絶えず、国内を見渡せば差別は今なお続いている。そんな中、ミワが抱く祈りのような思い、アイヌの矜持に胸を打たれる。「新たな戦前」と言われる今、こうした問題に蓋をして見なかったことにするわけにはいかない。彼女が語る言葉の数々をしっかりと心に刻み、考え、行動する契機とすべきではないだろうか。

文=野本由起

https://ddnavi.com/review/1335395/a/


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OKI DUB AINU BAND、逗子「SURFERS」にてワンマン・ライヴを開催

2024-06-13 | アイヌ民族関連

CDJournal 6/12(水) 13:41

OKI DUB AINU BAND、逗子「SURFERS」にてワンマン・ライヴを開催

 アイヌの伝統弦楽器トンコリの奏者、OKIが率いるダブ・バンド、OKI DUB AINU BANDが、6月30日(日)にワンマン・ライヴを神奈川・逗子「SURFERS」にて開催します。

 電化したトンコリをベースとドラムで強靭に補強したヘヴィなライブサウンドに、アイヌに歌い継がれるウポポ(歌)の伝承曲やリムセ(踊り)、アフログルーヴ、レゲエ、ロックなどが混在した越境DUBサウンドで人気を博しています。葉山の海が一望できる美しいロケーションのSURFERSにて、OKI(Tonkori,vo)、Rekpo(vo,Tonkori)、中條卓(b)、HAKASE-SUN(key)、沼澤尚(ds)、そして、ミックス、ライヴエンジニアを務める内田直之の6人がどのようなパフォーマンスを魅せるのか注目です。また、この日のDJは、DJ uthciこと内田直之が務めます。チケットは100席(着席)限定。詳細はOKI DUB AINU BANDのホームページをご確認ください。

 また、OKI DUB AINU BANDは、6月28日(金)~30日(日)に開催される〈FUJI ROCK WEEK 2024 at 東京ミッドタウン八重洲〉の2日目29日(土)に出演することも決定しています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f2758154cfc1acdfa644e3efe1b4c6f42b0d825a


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第7回 阿寒湖原産「ヒメマス祭」~カパチェプノミ~

2024-06-13 | アイヌ民族関連

Dominngo 2024/6/12

開催日時 7月6日(土) 16:00~18:30

概要

カパチェプノミは、ヒメマス祭やヒメマスへの祈りの儀礼です。阿寒湖原産のヒメマスについて広く知っていただくために、阿寒湖の自然の神々への感謝の儀式として開催します。
※イベントの開催状況につきましては、主催者様の公式サイトを必ずご確認ください。

会場

フィッシングランド阿寒 桟橋 および 阿寒湖商業振興協同組合 駐車場

ッシングランド阿寒

〒085-0467 北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4丁目5−10

主催者

阿寒アイヌ協会

お問い合わせ

阿寒アイヌ協会

08064457262

概要引用元: 釧路・阿寒湖観光公式サイト SUPER FANTASTIC Kushiro Lake Akan

※内容は予期せず変更になる場合がございます

https://domingo.ne.jp/event/48845


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台湾先住民のグループ、リトアニアなどで公演 音楽やダンスで観客魅了

2024-06-13 | 先住民族関連

中央フォーカス台湾 2024/06/12 14:07

リトアニアでパフォーマンスを披露する「海洋之声」のメンバーら(文化部提供)

(台北中央社)東部・台東県の離島、蘭嶼に暮らす台湾原住民(先住民)族タオ族のメンバーで構成されるパフォーマンスグループ「海洋之声」とバンド「ワイルドシング」(野東西)が、オーストリアやリトアニアで公演し、多様性に富んだ音楽やダンスで観客を魅了した。

公演は文化部(文化省)や駐ドイツ代表処(大使館に相当)文化組、地元の団体などが共同で支援するプロジェクトの一環で行われ、2022年に続いて2度目。2組は5月24日から6月1日までオーストリア、リトアニア両国を訪問し、原住民文化の復元や保存の成果をアピールした。

海洋之声は伝統的な祭典の際に歌われる楽曲やメノウと貝殻で作った首飾りを身に着けて踊るダンスなどを披露。ワイルドシングは独自のスタイルでタオ族の音楽と趣を表現した。また蘭嶼に建設された放射性廃棄物貯蔵施設を巡る抗議活動の様子も紹介した。

駐オーストリア代表処の張小月(ちょうしょうげつ)代表(大使に相当)は、台湾とオーストリアにより緊密なつながりを持たせてくれたと感謝。駐リトアニア代表処の王雪虹(おうせつこう)代表は、タオ族の美しさと哀愁が具体的に表現されていたと語った。

駐ドイツ代表処文化組によると、プロジェクトは政府系研究機関、中央研究院やフランスの研究機関などが収蔵する録音資料などを組み合わせて原住民のオーラルヒストリー採集の成果を紹介する取り組みで、現在の芸術と融合した創作を行い、原住民文化を保存し、発展させているという。

(葉冠吟/編集:齊藤啓介)

https://japan.focustaiwan.tw/culture/202406120003


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[社説]民博 厨子甕返還 「本来の地」への契機に

2024-06-13 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス2024/06/13

大阪の国立民族学博物館(民博)が、保管する沖縄の厨子甕(ずしがめ)や骨つぼ計15点について、求めに応じて返還することを決めた。

 ガイドラインを策定し「厨子甕等の承継者は、祖先の祭祀(さいし)を主宰すべき者に帰属する」との考え方を示したのだ。

 収集した文化財や副葬品を故郷へ、との動きが世界中で広がっている。一つでも多く、本来の所有者の元に返ることを願う。

 民博が保管するのは、洗骨後の遺骨を納める厨子甕9点と骨つぼ6点。学術研究を目的に1970年代半ばに購入、または寄贈を受けたものだ。沖縄での人生儀礼に関係する貴重な文化遺産として保管してきたという。

 厨子甕には被葬者の名や死去・洗骨の年月日が記された「銘書」があり、主に近世琉球から明治期にかけてのものであることが分かる。

 ただどのような経緯をたどって、沖縄から本土に渡ったのかは定かではない。

 市民団体ニライ・カナイぬ会は「果たして子孫や遺族の許可を取ったものなのか」と疑問を呈し、これまで返還要請を続けてきた。

 民博ではガイドラインに従い調査を実施するとともに、返還希望者が正当な「祭祀承継者」と確認できた場合、返還に同意する。既に調査によって厨子甕1点の所有者が判明している。

 沖縄独特の葬法や文化を示す大切なものだが、今となっては、その存在さえ知らない子孫が多いのではないか。

 調査に当たっては沖縄側に積極的に情報を発信し、返還促進に努めてもらいたい。

 沖縄から県外・海外に持ち出された美術工芸品や歴史的史料などの文化財は相当な数に上るとみられている。

 つい最近、79年の時を経て沖縄に帰ってきた琉球国王の肖像画「御後絵(おごえ)」もその一つ。

 沖縄戦の混乱で行方が分からなくなっていたが、米ボストン近郊の住宅で見つかった。

 戦利品だったのだろうか。退役軍人の家の屋根裏部屋に隠されていたという。

 県内に実物が1点も残っていなかっただけに、文化史的意義の大きい発見だった。

 戦利品として持ち帰った文化財を元の場所に返還するのも国際的な流れである。

 他方、昭和初期に旧京都帝国大学(京都大)の研究者が、今帰仁村の「百按司墓(むむじゃなばか)」から持ち出した遺骨の返還はいまだ進まない。 

■    ■

 それぞれ中身も性格も違うが、共通するのは植民地主義や帝国主義を背景に持ち去られたものが多いということだ。差別意識も深く関わっている。

 県内では琉球王国が19世紀半ばに締結した琉米、琉仏、琉蘭の3修好条約の原本返還を求める声も強い。

琉球処分の後、明治政府に取り上げられ、今は東京の外交史料館にある。

 文化財は誰のものなのか。本来、あるべき場所へ返すのが道理である。

 来年は戦後80年。民博の動きを契機に、散逸した文化財の返還運動を加速させたい。

https://nordot.app/1173700699490762948?c=768367547562557440


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