先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

幕別「千住生活館」建て替え 完成1年遅れ26年3月

2024-06-20 | アイヌ民族関連

安達杏奈 有料記事

北海道新聞2024年6月19日 21:56

 【幕別】町は19日、アイヌ文化を伝承する交流施設「千住生活館」の建て替え工事の完成時期について、2026年3月になるとの見通しを明らかにした。工事内容を一部見直したため、当初の予定から1年延期した。

 同日の定例町議会一般質問で説明した。町都市計画課によると、・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1027044/


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「自然との共存」共感の輪 音更で宇梶静江さん、SHOGENさんトーク

2024-06-20 | アイヌ民族関連

芳賀万葉 有料記事

北海道新聞2024年6月19日 19:07(6月19日 19:21更新)

トークショーで語り合う宇梶静江さん(左)とSHOGENさん

 【音更】開業50周年を迎えた町内の丸美ケ丘温泉ホテルが、アイヌ民族の詩人で古布絵作家の宇梶静江さん(91)とアフリカンペインティングアーティストのSHOGENさん(38)によるトークショーを同ホテルで開いた。約40人の来場者が時折うなずきながら耳を傾けた。

 「自然との共生・共存」がテーマ。宇梶さんが、アイヌ民族の人々がセミの鳴き声から農作物の豊凶を判断していることを紹介すると・・・・・

 トークショーは10日に開催。30日までの期間限定でアーカイブ配信を販売する。申し込みはこちらから。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1026907/


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<ウポポイ オルシペ>91 生誕90年記念・藤戸竹喜の世界展 木彫り、一点ごとに物語

2024-06-20 | アイヌ民族関連

有料記事

北海道新聞2024年6月19日 10:30

母熊が子熊に語りかける様子をイメージした「親子熊」(部分)=2004年制作

 国立アイヌ民族博物館では29日から第8回特別展示「生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展」を開催します。

 藤戸竹喜は1934年(昭和9年)にオホーツク管内美幌町で生まれ、旭川市近文で幼少期を過ごしました。父は「アイヌであればこそ熊を知り、アイヌだからこそ彫り上がりに何かがあるのだ」と語る木彫り熊職人。藤戸は父のもとで木彫り熊を彫り始め、その後は阿寒に移り、64年に30歳で民芸品店「熊の家」を構えました。

 命ある木に敬意を払い、作品を彫る前はカムイノミ(神への祈り)をし、木を前に頭の中で考えて作品を構成し、デッサンは一切せず、イメージを大切に思いのまま彫り進めていったといいます。

 納得がいくまで手抜きをせず作品に向かい、70年代には熊だけでなくエカシとフチ、狼(おおかみ)や鹿、狐(きつね)などの野生の動物を題材にし、90年代には先人たちの等身大の肖像彫刻や海の生き物と、制作の幅を広げていきました。

 2000年代からは親子愛をテーマに・・・・・・・

<文・霜村紀子=国立アイヌ民族博物館研究交流室長、写真・露口啓二>

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1026656/


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平取高、新入生全員ハワイ派遣 25年度から 生徒減回避狙う

2024-06-20 | 先住民族関連

石井純太 有料記事

北海道新聞2024年6月19日 18:57

 【平取】町内唯一の高校、平取高(生徒31人)の入学者減少に歯止めをかけようと、町教委は2025年度から、入学者のうち希望者全員を自己負担なしで米ハワイ州・マウイ島に派遣する事業を始める。アイヌ文化を中心に地域の特色を生かしたカリキュラムで全国から生徒を集める一環で、生徒減による閉校の危機を脱したい考えだ。

■自己負担なし 先住民族や外国語学ぶ

 ハワイへの派遣は、現地の先住民族への理解や外国語能力の向上を目的とした国際交流事業で、現地の生徒や住民との交流、博物館の見学などを予定している。これまでは、隔年で2人を選抜して自己負担なしでニュージーランドに派遣していた。来年度からは希望する1年生全員を対象に毎年実施する。

 派遣の日程は従来の10日間から6日間に短縮する。パスポート取得などの費用以外は町が負担。国のアイヌ政策推進交付金を活用する。

 平取高の新入生は、20年度20人、21年度15人、22年度11人、23年度13人、24年度6人と、4年連続で定員(40人)の半数を下回り、現在の全校生徒数は30人台と存続が危ぶまれる状況。地域の特色を生かした「アイヌ文化」の授業を新設して全国からの生徒募集を開始し、道外からの入学者増を図った。1年目となる今年4月の新入生は6人で、このうち道外からは3人だった。

 ・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1026886/


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民博、盗掘市場を担う 返還は脱植民地化の実践 松島泰勝<奪われた遺骨、副葬品 今も続く植民地主義>中

2024-06-20 | ウチナー・沖縄

琉球新報公開日時 2024年06月19日 11:22

更新日時 2024年06月19日 11:23

国立民族学博物館が保管している厨子甕のひとつ

 大阪府吹田市にある国立民族学博物館(民博)「標本資料目録データベース」で「沖縄」を入力すると1327件がヒットした。標本名「遺骨入れ容器」14件中、「厨子甕(ずしがめ)」(全て蓋(ふた)付き)が11件、「骨壷」が3件であり、その全てが1975年に受け入れと記載されている。また「民族」分類項目には、他の「沖縄県」の標本と同じく「日本・Japan」と記載されている。アイヌの「民族」分類項目は「アイヌ・Ainu」と書かれている。

 通常、厨子甕の蓋には、次のように死者に関する記憶、歴史が記されている。「調べると若い女性骨と当歳位の小児骨とを合葬せるものである。骨質はやや脆いが、形は完全である。蓋の裏面には『道光三(1823年※松島注)、十一月、父比嘉』等の墨書が見える。骨を行嚢(こうのう)に納めて進む。その祟(たた)りであろうか、これより雨はようやく激しく、山道は滑りがちでなかなかの難路となる」(金関丈夫『琉球民俗誌』法政大学出版局、1978年)。

 これは1929年に京都帝国大学の金関丈夫が、中城城の近傍で葬られた厨子甕から比嘉さん母子の遺骨を盗んだ時の模様である。厨子甕蓋の墨書により遺骨の身元が確定される。厨子甕から切り離された遺骨は、誰で、いつ、どこで死亡したのかが分からなくなる。遺骨と厨子甕とは一体として琉球人の存在、記憶を次世代に引き継ぎ、死後も清明祭等を通じて先祖と子孫との関係が継続される。厨子甕と遺骨とが切り離されることは、琉球人のジェネアロジー(系譜)が切断されることを意味する。

盗掘物の可能性

 琉球人は墓、遺骨、厨子甕を大切にするため、その収集は非常に困難である。盗掘や、窃盗物の購入を通じてそれらが入手されてきた。民博は、厨子甕や骨壺を「復帰」直後に「文化財コレクター」から購入したが、その収集プロセス、遺族の同意を得たのかどうかについては把握していないと私に説明した。「墓荒らし」が横行した時期に厨子甕等を民博が収蔵したことを考えると、これらは盗掘物である可能性が高い。民博は窃盗物の購入により、盗掘行為に加担したことになる。なぜなら盗掘品の市場が形成され、その需要者側に大学や博物館が存在するという「文化収奪の構造」の一角を民博が占めているからである。

 また民博は、琉球人を「日本民族」として分類、定義しており、これは「アイデンティティ搾取」の問題である。琉球人の民族的属性を国立の研究機関が決定することは、植民地主義的な政治介入である。国際法のILO169号条約のように、民族的アイデンティティは他者によってではなく、当事者自身の自覚に基づいて形成されるという国際的な了解がある。どのような文化人類学的研究に基づいて琉球人を「日本民族」として分類、定義したのかを説明する社会的責任が民博にはある。民族の定義を他律的に人類学者が決定できるとする学術的な根拠とは何であろうか。私はこれらの疑問への回答を民博に求めたが、無視されたままである。

 2023年9月、「琉球民族遺骨返還請求訴訟」の大阪高裁判決が出された。日本の国家機関として初めて「琉球民族が先住民族であること」、「日本帝国による琉球の植民地支配の歴史」を事実認定した。これには法的拘束力がある。22年7月、国連欧州本部で開催された「先住民族の権利に関する専門家機構」の会議において、日本政府代表は、琉球の「PFAS(有機フッ素化合物)問題について政府として適切な措置をとっている」と虚偽の発言をした。また政府が認める国内に居住する先住民族はアイヌ民族だけであると強弁した。しかし今後、同様な見解を述べたら、日本政府は国際法だけでなく国内法にも違反することになる。

 23年1月、国連人権理事会において日本の人権状況に関する「普遍的定期的審査」が行われた。同会議においてロシア連邦政府の代表は、日本の北部や南部に住むアイヌ、琉球民族などの民族的マイノリティが受けている広範な差別を含む、民族的少数者の権利に関わる多くの問題に関して日本政府に次のような提案を行った。民族的マイノリティに対するあらゆる形態の差別を駆逐するための広範な立法的、具体的措置を実施すること。そして自由を奪われた人々の権利を擁護する制度を引き続き擁護すること。

 1996年以来現在まで琉球人は国連の先住民族関連の会議に参加し、国連の人種差別撤廃委員会や自由権規約委員会は、日本政府に対して琉球人を先住民族として認めるよう何度も勧告をしてきた。同様に、ロシア連邦政府も琉球人が先住民族であることを認めているのである。琉球併合以来、日本政府は琉球を145年間も植民地支配し、今でも米軍基地を強制するなどして琉球人の人権を蹂躙(じゅうりん)している。日本政府は琉球併合を未だに謝罪、賠償せず、植民地支配をしており、「ロシアのウクライナ侵攻」は「他人事」ではないのである。

大きな潮流

・・・・・・・

https://ryukyushimpo.jp/news/culture/entry-3210868.html


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【戦後79年】米先住民部隊、沖縄戦に

2024-06-20 | 先住民族関連

日本人写真家、元兵士撮影 「捨て石」の過去に共感

山陰中央新報 2024/6/19 10:08

 沖縄は23日、沖縄戦で亡くなった犠牲者らを悼む「慰霊の日」を迎える。沖縄戦では米先住民族ナバホの若者も、民族の言葉を活用した暗号を使う特殊部隊として、米海兵隊に従軍。在米写真家の河野謙児さん(74)は「米政府に虐げられた先住民が、大戦の局面で都合良く使われた歴史を伝えたい」と元兵士らを撮ってきた。「本土防衛の捨て石にされた沖縄の境遇も似たところがある」と共感、日本での写真集の出版も目指している。

 「沖縄」、「琉球列島」、「昭和二十年」。白黒の写真の中で、高齢の元兵士の男性が広げた日の丸に、日本語が手書きされている。男性はこの絹製の布を米西部のナバホの居留地へ持ち帰り、大切に保管していた。

 河野さんがこの写真...

残り924文字(全文:1232文字)

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https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/594888


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高雄の茶農家が生産の「原生茶」、国際認証を取得 農薬や化学肥料使わない有機茶

2024-06-20 | 先住民族関連

中央フォーカス台湾 2024年06月19日(水)19:45

拿普原生有機茶園の経営者、謝国華さん(茂林国家風景区管理処提供) 画像(1枚)

(高雄中央社)南部・高雄市桃源区の茶農園、拿普原生有機茶園が農薬や化学肥料を使わずに生産した「拿普有機原生茶」が、ベルギーに拠点を置く国際味覚審査機構が実施する食品・飲料品認証「優秀味覚賞」で二つ星の評価を得た。

茂林国家風景区管理処が19日、報道資料で知らせた。

同認証は世界各国のシェフやソムリエが第一印象や見た目、味、匂いなどを審査。二つ星は総合評価80%以上90%未満に与えられる。

同処によれば茶は台湾山茶と呼ばれる台湾原生の品種。茶を入れると濃い花の香りが漂い、口当たりが滑らかではっきりとした甘みがある。また透き通っていて金のような光沢があり、うまみのある味わいと濃厚な後味が感じられ、審査員からそろって高く評価されたという。

同茶園は台湾原住民(先住民)族ブヌン族の謝国華さんが経営。

謝さんは以前、地元を離れて仕事をしていたものの、10年前に離職して帰郷して以来、茶農園の管理に専念している。農薬や化学肥料を使用しない理念を貫き、栽培環境を天然林の状態に保って質の高い有機茶を生産しているという。

(張已廉/編集:田中宏樹)

https://www.excite.co.jp/news/article/Jpcna_CNA_20240619_202406190011/


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ミセス炎上「コロンブス」が持ち込んだ酷い病気 先住民「数十万人が2000人に激減した島」の悲惨

2024-06-20 | 先住民族関連

東洋経済 2024/06/19 9:30

ウォルター・シャイデル : スタンフォード大学教授 

Mrs. GREEN APPLEの新曲「コロンブス」のミュージックビデオが差別的だとSNSで炎上したことで、歴史上の人物であるクリストファー・コロンブスに注目が集まっている。

コロンブスがアメリカ大陸に上陸したことにより、どのような影響があったのだろうか。ここでは、ウォルター・シャイデル著『暴力と不平等の人類史』から、コロンブスたちがアメリカ大陸に持ち込んだ悲惨な疫病に焦点を当て、抜粋・編集のうえお届けする。

恐怖の「コロンブス交換」

14世紀半ばの黒死病は、その後17世紀までヨーロッパで、さらには19世紀になっても中東で周期的に流行したこともあり、歴史に残る大流行病として最も有名だ。しかし、猛威を振るった疫病はこれだけではない。ペストがヨーロッパでようやく終息の兆しを見せはじめたころ、スペイン人が大西洋を渡って、同じように威力があり、間違いなくより悲惨な一連の流行病を新世界に持ち込んだ。

最終氷河期末期に海水面の上昇によってアラスカとシベリアを結ぶベーリング陸橋が遮断されて以来、人口、そして病気の環境は、新世界と旧世界で別々に進化した。アメリカ大陸の住民とくらべ、アフリカ大陸とユーラシア大陸の住民は、病原菌に感染したより多様な動物との接触のせいで、天然痘、はしか、インフルエンザ、ペスト、マラリア、黄熱病、チフスなど、しばしば死に至る感染症にかかることが増えた。

中世末期には、商業上の交渉、その後の軍事上の交渉を通じ、それまであくまで局地的だった病気の供給源が次第に統合され、多くの致死的な病気が風土病となった。対照的に、アメリカ先住民をとりまく病気の環境はさほど深刻ではなく、かつてはこうした旧世界の厄災に苦しめられることはなかった。

ところが探検と征服が原因で、アルフレッド・クロスビーが言うところの「コロンブス交換」が起きた。大西洋を挟んだ接触を通じて、大量の致死的感染症があっという間にアメリカ大陸に持ち込まれることになったのだ。新世界はお返しに梅毒を旧世界に送り込んだが、アメリカ大陸に持ち込まれたヨーロッパの病原菌の方が、多様性に富み、破壊力ははるかに大きかった。

アメリカ大陸に持ち込まれた伝染病

ヨーロッパから持ち込まれた病気のうち、最も大きな被害をもたらしたのは天然痘とはしかだった。

旧世界では長いこと幼児の病気だった風土病が、アメリカ大陸で伝染病として流行したのだ。たいていの船乗りは幼少時にかかっていたので大人になると免疫がついていたが、時には発病前の保菌者が大西洋を横断する探検隊に交じっていることがあった。

3番目に多くの命を奪ったインフルエンザの場合、成人になっても免疫がつくことはなかった。持ち込まれた新顔の感染症のうち、この3つは伝染力が特に強く、飛沫や体の接触を通じて伝染した。マラリア、チフス、ペストといったほかの病気が広がるには、相応の媒介動物──それぞれ蚊、シラミ、ノミ──が同時に持ち込まれる必要があった。だが、これも時間の問題にすぎなかった。

クリストファー・コロンブスがはじめて海を渡ってから1年足らずのうちに、伝染病はヨーロッパの最初の足がかりであるイスパニョーラ島を蹂躙しはじめた。島の先住民は数十万人いたと思われるが、それが1508年には6万人に、10年には3万3000人に、19年には1万8000人に減り、1542年には2000人を切った。複数の疫病がカリブ諸島を通過し、まもなくアメリカ大陸に到達した。

1518年、カリブ諸島で天然痘がはじめて流行し、島々を荒廃させると、19年にはメソアメリカのアステカ族とマヤ族に途方もない数の死者が出た。その衝撃があまりにも大きかったので、生き残ったアステカ族はのちに疫病の到来以降の月日を数えるようになった。新たな恐怖時代の幕開けを告げる重大な出来事だと考えたからだ。

接触によって伝染し、治療法もないため、天然痘はそれにはじめて触れた住民を手加減なしに襲った。あるアステカ族の言葉を借りると、

顔、胸、腹に腫れ物ができた。頭のてっぺんから爪先まで辛い腫れ物だらけだった。この病気はとにかく恐ろしく、誰も歩いたり動いたりできない。病人は完全に無力で、死体のようにベッドで寝ているしかなく、体を動かすどころか、頭さえ動かせなかった。うつぶせになることも、寝返りを打つこともできなかった。体を動かせば、痛みで叫び声をあげることになる。

わがもの顔で猛威を振るう伝染病が、スペインによる征服の道を拓いた。フランシスコ会の修道士ベルナルディーノ・デ・サアグンは、アステカの巨大な首都テノチティトランの占領についてこう記している。

通りは死者と病人であふれ、われわれの兵士はその上を歩くほかなかった。

メキシコを襲った複合的な感染爆発

それから数年足らずのちの1520年代、天然痘はアンデスのインカ帝国に達し、おそらく統治者のワイナ・カパックを含む膨大な数の住民の命を奪った。

2度目の感染爆発が始まったのは1532年のことで、今度ははしかだった。この時も失われた人命は数知れず、被害はメキシコからアンデス山脈にまで及んだ。とりわけ深刻だった伝染病(おそらくチフス)は、1545~1548年にメソアメリカ中央部を壊滅状態に陥れた。その後のケースでは、いくつかの病気が足並みそろえてやってきた。

たとえば1550年代末から1560年代初めにかけての事例がそのひとつだが、この時はインフルエンザが中心だったようだ。被害の報告も増え、1576~1591年には複合的な感染爆発が起こるに至った。疫病が全面的に蔓延して生き残っていた人びとの命を奪った。まずチフスが、続いて天然痘とはしかが手を携えて襲来した(1585~1591年)。

これは、こんにちに至るまで最も過酷な出来事のひとつである。

伝染病は17世紀前半まで猛威を振るい続けた。おそらく威力は弱まり、地域によって被害には大きな差があっただろうが、それでも破壊力はすさまじかった。

大勢が死亡し、それに伴って秩序が崩壊したせいで、スペインによる侵略が後押しされたものの、新たな統治者はまもなくこうした流れを断ち切ろうとした。16世紀末には、自分たちが搾取する現地の労働力を確保しようと、医師を配置して検疫を課した。こうした措置の効果は、よく言っても小さいものだった。

伝染病は波状攻撃のように、だいたい一世代に一度の割合で発生した。最初の150年あまり、総死亡者数は徐々にしか減らなかった。そのうえ、征服そのものの暴力が先住民に及ぼした多方面にわたる経済的、社会的、政治的衝撃によって、全体的な死亡危機が悪化したことは言うまでもない。

https://toyokeizai.net/articles/-/763733


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<社説>音楽ビデオ停止 歴史を理解する契機に

2024-06-20 | 先住民族関連

東京新聞2024年6月19日 07時58分

 人気バンド「Mrs. GREEN APPLE(ミセス・グリーン・アップル)」の新曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)が植民地主義などを連想させると批判され、公開を停止した。

 「負の歴史」に肯定的評価を与えることが許されないのは当然だが、歴史自体から目を背けることになっては本末転倒だ。国際的に受け入れられている歴史認識への理解を深める契機としたい。

 MVには「新大陸到達」の冒険家、コロンブスらに扮(ふん)したメンバーらが、訪れた小島で「先住民」の類人猿に人力車を引かせたり、乗馬や音楽を教えたりする場面があり、植民地主義や人種差別を想起させると指摘された。

 コロンブスは近年、欧州による先住民征服、虐殺の象徴として語られ、米国の反人種差別運動では銅像が撤去されている。

 レコード会社などは歴史の理解に欠ける表現があったと公開を停止し、キャンペーンソングに起用した日本コカ・コーラ社も同曲を使ったCMの放映を中止した。

 メンバーは謝罪文で、差別表現とされる懸念を持ちつつも「前向きにワクワクできる映像」を目指したと釈明したが、認識が甘かったと言わざるを得ない。

 国際理解とかけ離れた芸能表現が問題視された例は過去にもあった。2016年にも女性アイドルグループの衣装がナチスの制服に似ていると批判され、運営側が謝罪に追い込まれた。

 日本発のMVは今や世界中で視聴されている。歴史認識に対する無理解は日本のポップカルチャーの水準に疑問符を付けかねず、官民挙げての「クールジャパン戦略」にも影響が及びかねない。

 ただ、こうした事例が表現の自由を萎縮させてしまう事態も避けなければならない。歴史的な出来事を扱うことを避ける傾向が強まれば、歴史への無理解が一段と広がりかねないためだ。

 日本政府や自治体には、関東大震災時の朝鮮人、中国人虐殺など「負の歴史」に背を向ける傾向があるが、こうした姿勢は歴史の検証を促す国際潮流に逆行する。開かれた議論こそが歴史認識の違いを乗り越え、相互理解を促す。

 今回の問題も、単なる謝罪やビデオの公開停止、責任追及で終わらせてはならない。歴史を学び、人類文化の向上を図る機会として幅広く議論されるべきである。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/334511


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ハワイで初めて開催!4年に一度、太平洋の国々のための一大フェスティバル、第13回FestPac

2024-06-20 | 先住民族関連

allhawaii 2024.06.18

6月6日から10日間ハワイで大変話題になったイベントがあります!それは、フェスティバル・オブ・パシフィック・アーツ・アンド・カルチャー (Festival of Pacific Arts and Cultures)。通称フェストパック(FestPac)です。

フェストパックとは、太平洋諸国の先住民族が作り出す豊かで多様な文化を讃える最大級のカルチャーイベントです。このフェスティバルは、太平洋の島々のコミュニティーが互いに多様性を理解・尊重し合い、太平洋の国々としてのアイデンティティーを強化し、グローバリゼーションに直面している現代でこの素晴らしい文化遺産を保存し、また伝えることを目的としています。

1972年にフィジーで初めて開催されて以来、オリピックの如く4年に一度、異なる太平洋の国々で行われてきました。今年で13回目となるフェストパックは、2020年にハワイで開催される予定でしたが、パンデミックで中止となり、2024年に延期となりました。なんとハワイで開催されるのは初めてということで、ローカルニュースでは何度も大きく取り上げられ、 大変な盛り上がりを見せました。

10日間に亘ってオアフ島各地でセレモニーやデモンストレーション、パフォーマンスが行われ、台湾から果てはラパ・ヌイ(イースター島)まで、太平洋にある27の国やテリトリーの代表者、文化継承者、アーティスト、パフォーマーたちがオアフ島に一堂に会しました。その数2200人以上!

メインの会場となったのは、ハワイ・コンベンション・センター(Hawaii Convention Center)。1階のメイン会場にはフェスティバル・ビレッジが作られ、 入り口には29フィートのセーリングカヌーが展示され、星のナビゲーションを体感できる特大のプロジェクターが登場し、美しい星空とコンパスをビジュアルで体験できました。

メインステージでは各国のダンスパフォーマンスやミュージックが演奏され、その周りには各国が家(Hale)の形をしたパビリオンを持ち、織物やフィッシュフック、ジュエリー製作などの伝統工芸デモンストレーションを行いながら、物産品販売しました。まさに
太平洋の万国博覧会のよう!しかも入場無料でした。

上の階でもアートエキシビジョン、ワークショップ、マーケットが開催され、こちらも多くの人で賑わっていました。コンベンションセンターはまさにフル稼働。地元の知り合いの中には、なんと4日間連続で行ったという人も!盛りだくさんの内容で、1日では終わらないのも納得でした。

気になる次回の開催は、2028年にニューカレドニアで予定しているそうです。実はニューカレドニアは先月から起こっている内乱によって、フェストパックに代表団を派遣することができませんでした。

そこで、他国の参加者たちが代わりにニューカレドニアのパビリオンに順番に立ちました。ニューカレドニアの看板には、たくさんのレイがかけられていて、これこそまさにフェストパックの真の精神と言えるでしょう。

ハワイで次回開催されるのは、4年に一度開催というファクトと、太平洋27カ国を想像するだけで、容易に何十年後になると予想できますが、ハワイや太平洋諸島の歴史やカルチャーに興味があるなら、今回フェストパックの会場の一つとなったビショップ・ミュージアムがおすすめです。貴重なコレクションがたくさん展示してあるので、ぜひチェックしてみてください。

フェスティバル・オブ・パシフィック・アーツ・アンド・カルチャー/ Festival of Pacific Arts and Cultures

https://www.festpachawaii.org

https://www.allhawaii.jp/article/5945/


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