女性セブン2024/06/03 11:15
ハリウッド映画への初出演から21年、真田広之(63才)は世界的に高く評価され、ついに主演とプロデューサーを兼任するまでになった。渡米以降、プライベートを積極的に明かしてこなかった真田。実は離婚後も子供とは深い親交があり、大きな影響を与えていたようで──。
「似てる!」「かっこいいです!」──5月21日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)。放送終了後、大きな話題を呼んだのが、ゲストの女優・手塚理美(62才)が番組内で公開した一枚の写真だった。
写真に写る男性は、涼しげながら強い意志を感じる目元、きりりと結んだ唇が印象的な好青年。彼は真田広之と手塚の次男・手塚日南人(28才)だ。
「日南人さんは、母親の付き添いで収録にも来ていたそうで、黒柳徹子さんにも直接挨拶をしていました。黒柳さんは日南人さんの顔をまじまじと見て『似てるわねえ』と繰り返していましたよ」(テレビ局関係者)
手塚が突然テレビで、次男の“顔出し”をした理由。それは彼の新しい人生を応援するためでもあった。
「真田広之が父、手塚理美が母という境遇のもとに生まれた以上、ぼくには使命があると思うんです」
本誌・女性セブンの取材にこう語るのは日南人本人だ。彼はこれまで、北海道でネイチャーガイドや町おこしに携わっていたが、昨年、俳優への転身を決断。初舞台の際には真田に連絡をしたという。日南人が振り返る。
「父は『自分の道だから、自分のやりたいことをやれ。何かあれば相談に乗るから』と言ってくれました。これまであまり相談というものをしたことはないんですが……。これからは役者をやるわけですから、積極的に頼りたいです。
直接会う機会は多くないですが、父とはよくチャットで話しています。この間も『SHOGUN』の感想を送りました。大好きで、全部見ましたよ」
『SHOGUN 将軍』は今年2月27日からディズニープラスで配信されている戦国ドラマだ。真田が主演のみならずプロデューサーを兼任し、ハリウッドの制作陣が「日本」を細部まで伝えることにこだわり、配信前から注目を集めた。
「真田さんは日本の描き方について、ハリウッドの制作陣に積極的にアドバイスしてきました。ただ、役者という立場では関与できる部分に限界があるという歯がゆさもあったそうです。
彼にとって、プロデューサーとして日本を描く作品にかかわることは悲願といえます。ハリウッドでの二十数年にわたる彼の孤軍奮闘が認められたともいえるでしょう」(映画関係者)
同作は第1話の配信開始から6日間で全世界900万回再生を記録するという歴史的快挙を達成し、5月17日、続編のシーズン2、3の制作決定が発表された。
「いまや真田さんはハリウッドを中心に活躍する日本を代表する俳優です。ただ、1997年に手塚さんと離婚してアメリカに拠点を移して以来、家族関係は秘されてきた」(芸能関係者)
真田は1990年に手塚と結婚。翌年、長男が生まれたが、夫婦生活はやがて暗転する。1995年、手塚が日南人を妊娠しているさなか、真田に不倫騒動が持ち上がり、離婚に至ったのだ。
ほどなくして真田はアメリカへ。それでも、子供たちとは継続的にかかわっていたという。日南人が語る。
「両親はぼくと兄のために、年に数回、家族4人がそろう機会を作ってくれていたんです。定期的に会っていたおかげで、特に幼少期には、離婚の実感はまったくなかったです。
小学生の頃から父には憧れていて、国際的な俳優になりたいという思いはありました」
ついに27才で両親と同じ俳優の道を選んだ日南人だが、そこに至るまでには紆余曲折があった。
倉本聰氏が評価した
日南人の生活拠点は、いまも北海道美瑛町にあるという。大学時代は東京で生活していた彼が北海道に移住したきっかけは、アイヌの文化や精神に強い興味関心を持ったことだった。日南人が明かす。
「早稲田大学国際教養学部に進学後、スペイン留学、休学を経て中退しまして。ペンキ屋で働きながら音楽活動をしていたんですが、縁あってアイヌの歴史に触れる機会があり、真剣に学びたいと思ったんです。
その半年ほど後かな。アイヌ民族博物館(当時)が北海道白老町でリニューアルオープンするのを機に、ネイチャーガイドを募集していると知りまして。こんなチャンスはないと移住を即決しました」
白老町に移住し、ガイドとして勤めながらも、日南人は機を見て真田と会っていたという。
「数年前、ぼくが白老から東京に帰省したタイミングで会ったときのことはよく覚えています。ぼくと父、2人で食事をしてお酒を飲んだんです。それがいちばん最近かな‥‥頻繁に連絡は取っているんですけどね」(日南人)
時に真田からサシ飲みでエールを受けたこともある彼の運命を変えたのは、昨年6月、北海道在住の“巨匠”倉本聰氏が監修する劇団のオーディションへの応募だった。劇団「富良野GROUP」のプロデューサー・谷山一也さんが明かす。
「応募時点での手塚くんの肩書は『会社員』。残念ながら不合格で当初は照明係でしたが、彼の脚本を読む姿を見た倉本が『いいんじゃないの』と言い出し、役者に抜擢された形です。倉本は、手塚くんのご両親のことは知らなかったんですよ」
2023年12月に富良野市で幕を開けた舞台には、母の手塚も駆けつけ、前出の『徹子の部屋』で、「実際見に行きましたけど、まぁ滑舌は悪いし(笑い)。親目線ですけど。でも、次男が楽しんでいる姿が見られたので、応援しようかなとは思ってます」と感想を述べていた。
この6月に東京での新たな舞台を控える日南人に今後の抱負を聞いた。
「初舞台で苦労したのは発声です。まだまだ未熟なので、これから多くの場数を踏みたいと思っています。
父のような国際的な俳優になりたいという夢はいまも持ち続けています。世界平和と言うと仰々しいかもしれませんが、父のように表現を通してメッセージを伝えられるよう、頑張っていきたいです」
新たな才能が花開こうとしている。
※女性セブン2024年6月13日号
https://news.goo.ne.jp/article/postseven/entertainment/postseven-1967295.html