先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

きょう夕方、アイヌ4団体 「鶴の舞」競演 音更・十勝川温泉で /北海道

2024-05-19 | アイヌ民族関連

毎日新聞2024/5/18 地方版 有料記事 350文字

来場を呼びかける竹山順一委員長(右)と帯広カムイトウウポポ保存会の斉藤幸生副会長=北海道帯広市で2024年5月15日、鈴木斉撮影

 道内四つのアイヌ文化伝承団体が18日午後5時から、音更町十勝川温泉の十勝川河岸(アクアパーク)で、各地域に伝わる舞踊「サロルンリムセ(鶴の舞)」を競演する。実行委員長を務める帯広カムイトウウポポ保存会(帯広市)の竹山順一さん(41)は「地域ごとに『鶴の舞』に特徴があり、違いを楽しんでほしい」と、来場を呼びかけている。

 出演団体は、帯広カムイトウウポポ保存会と・・・・・

観覧料は無料。問い合わせは実行委事務局の十勝広域連合アイヌ協会設立準備会(小川さん=090・1526・9408)。【鈴木斉】

https://mainichi.jp/articles/20240518/ddl/k01/040/017000c


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ゴールデンカムイで高まる関心 「その先」の共感へ、どうつなげる?<タネ オカアン ウㇱケ~アイヌ新法5年>㊦

2024-05-19 | アイヌ民族関連

木村みなみ 会員限定記事

北海道新聞2024年5月18日 12:00

貝沢さん(右)の工房で作品に見入るゴールデンカムイのファン。札幌などから頻繁に通う人も多い

 4月下旬、アイヌ民族の伝統的なコタン(集落)を再現した日高管内平取町の二風谷コタンは、多くの家族連れらでにぎわっていた。「ゴールデンカムイの影響で若い人が増えたよ」。コタン横に工房を構えるアイヌ工芸家の貝沢徹さん(65)は、確かな「変化」を感じ取っていた。

「タネ オカアン ウㇱケ」はアイヌ語で「いま私たちがいるところ」の意味です(萱野茂二風谷アイヌ資料館の萱野志朗館長、アイヌ語講師の関根健司さん監修)

 ゴールデンカムイは、明治末期の北海道を主な舞台に、日露戦争の帰還兵とアイヌ民族の少女が繰り広げる金塊争奪戦を描いた漫画だ。2022年まで8年間「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載され、映画化もされるなど、若い世代を中心に人気を集める。

 作品ではアイヌ文化や史実を正確に描く。公式ファンブックのインタビューや、アイヌ語を監修した中川裕さん著作の「ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化」(集英社新書)からは、ゴールデンカムイの作者・野田サトルさん=北広島市出身=が作品に込めた強いこだわりが読み取れる。

「消滅危機」のアイヌ語 復興できるか

「法律あっても救われていない」 SNSで増幅する差別

 例えば、アイヌ民族の暮らしの描写。伝統料理「チタタプ」(たたき)は、エゾリスの骨や肉を無駄なく調理する工程を複数ページにわたって紹介する。コタンの場面では、イテセニ(ござ編み機)やストゥ(制裁棒)といった民具を随所に登場させ、解説も添えた。野田さんは現場を何度も訪ね、地元のアイヌ民族や専門家に丁寧に取材し、時代考証を重ねている。

 貝沢さんは15年に野田さんから直接打診を受け、作中に登場するマキリ(小刀)を制作した。連載以降、工房には全国からファンが訪れ、今もマキリの注文に制作が追いつかない。「アイヌ文化を親しみやすいタッチで描いてくれ、これまで興味がなかった人に知ってもらう好機になった」

 ゴールデンウイーク(GW)に二風谷コタンを訪れた広島県の会社員久保勝礼さん(53)も漫画を読んでアイヌ文化に興味を持った一人だ。「長く地域に根付いた文化なのに全然知らなかった」。8日間の滞在期間中、道内各地のアイヌ民族関連の施設を巡った。

 内閣府が20年に全国の18歳以上を対象に行った「アイヌ政策に関する世論調査」によると、「アイヌの人々が独自の伝統的文化を形成してきたことを知っている」と回答した人は83.2%で、18年の前回調査から17.5ポイント増えた。

 白老アイヌ協会(胆振管内白老町)の山丸和幸理事長(75)は「アイヌ文化に触れる機会が増えたことが大きく、今はもっと増えているんじゃないか」と評価する。

 実際、アイヌ文化を取り入れる企業や団体は増え続けている。JR北海道は「イランカラプテ(こんにちは)」という案内音声を20年から札幌、新千歳空港の両駅発の特急列車と快速エアポートで始め、今年2月にはアイヌ文様をあしらったラッピング車両を日高線に導入した。苫小牧市を拠点とするアイスホッケーアジアリーグのレッドイーグルス北海道は昨季、文様入りの特別ユニホームを公式戦で採用した。

 誤った民族文化の発信を防ぐため、19年から独自の認証制度を設けて道内外の民間事業者らのアイヌ文化活用を監修している一般社団法人「阿寒アイヌコンサルン」(釧路市阿寒町)には、活用の相談が相次ぐ。

・・・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1012427/


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「法律あっても救われていない」 SNSで増幅する差別< タネ オカアン ウㇱケ~アイヌ新法5年>㊥

2024-05-19 | アイヌ民族関連

武藤里美 、木村みなみ 会員限定記事

北海道新聞2024年5月18日 12:00

「アイヌ民族はもういない」などの書き込みを見て、「許せない」と語るアイヌ民族の女性(写真を一部加工しています)=石川崇子撮影

「アイヌ民族はもう存在しない」

 アイヌ民族にルーツを持つ道央在住の30代女性は5年ほど前、保守系ユーチューバーがネット上に投稿した動画を目にし、衝撃を受けた。

「タネ オカアン ウㇱケ」はアイヌ語で「いま私たちがいるところ」の意味です(萱野茂二風谷アイヌ資料館の萱野志朗館長、アイヌ語講師の関根健司さん監修)

 アイヌ民族は既に和人に同化していると一方的に訴え、2019年に施行されたアイヌ施策推進法(アイヌ新法)に基づく文化や産業振興のための交付金は不要だという主張だ。

 「アイヌなんて見たことない」「税金もらえるなら天国だ」。投稿に対するコメント欄には、動画の内容に賛同する書き込みが数え切れないほど並んでいた。

 心臓がぎゅっと締め付けられる。「アイヌ民族は今も生きているのに」。悔しかった。

「消滅危機」のアイヌ語 復興できるか

ゴールデンカムイで高まる関心 「その先」の共感へ、どうつなげる?

 「それほど強い民族意識はなかった」という女性は、これまでアイヌ文化の活動などに関わったことはない。ただ、祖先への尊敬やアイヌ文化への憧れは持ち続けていた。心を許せる友人には先祖がアイヌ民族だと明かすこともあった。

 だが、ユーチューブの動画やコメント欄を見てからは、出自を人に語ることが怖くなった。「アイヌにルーツがあると言ったら、どんなひどい言葉を浴びせられるか。交流サイト(SNS)上の差別発言で、和人とアイヌの間に新たな分断が生まれているように感じる」

 2年ほど前から、外出時には必ずマスクをつけるようになった。新型コロナウイルスの感染対策ではない。自分の顔が「彫りが深い」と感じ、隠したかった。

 道央のアイヌ民族の女性(61)は差別の形態が変わったと感じている。

 十勝管内に住んでいた小中学生時代、同級生らからアイヌ民族であることを理由に罵倒されたり、側溝に蹴落とされたりなどの暴力を受けた。そんな経験から、自ら出自を言わないようにしてきた。

 約15年前、趣味について投稿するためにSNSを始めた。匿名のSNS上で自らアイヌ民族だと明かしていたが、5年ほど前からアイヌ民族の存在を否定するメッセージが寄せられるようになった。反論すると、次には「偽アイヌ」などと書き込まれるという。

 差別をする人が近くにいるんじゃないか―。恐怖を抱く一方で、やるせない思いを打ち明ける。「私たちが出自を隠してきたことを無視して、『アイヌに会ったことがないから、アイヌはいない』と断言する。存在そのものの否定は子どもの時に受けた差別とはまた違った暴力だ」

 アイヌ新法は第4条で「差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」と定めるが、罰則規定はない。自民党の杉田水脈衆院議員=比例中国ブロック=は昨年、札幌、大阪の両法務局に「人権侵犯」と認定された後も差別的な投稿を続け、それに同調する声も後を絶たない。

 匿名のSNSの世界で増幅していく差別―。杉田氏の言動に対し、札幌法務局に人権救済を申し立てたアイヌ民族の多原良子さんは、杉田氏への賛同者らから批判を受け続けている。多原さんは「声を上げたことを後悔はしていないが、批判の標的になりたくないと黙ってしまうアイヌの仲間がいるのも理解できる」と話す。

 多原さんが代表を務める市民団体は今年3月、アイヌ新法の見直しを求める請願を道内選出国会議員らに提出した。・・・・・・・・

・・・・

(報道センター 武藤里美、木村みなみ)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1012392/


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「消滅危機」のアイヌ語 復興できるか< タネ オカアン ウㇱケ~アイヌ新法5年>㊤

2024-05-19 | アイヌ民族関連

武藤里美 会員限定記事

北海道新聞2024年5月18日 12:00(5月18日 18:12更新)

 アイヌ民族を先住民族と明記したアイヌ新法の施行から24日で5年になります。アイヌ民族が直面している現実を追います。(3回連載します)

「タネ オカアン ウㇱケ」はアイヌ語で「いま私たちがいるところ」の意味です(萱野茂二風谷アイヌ資料館の萱野志朗館長、アイヌ語講師の関根健司さん監修)

かつて講師を務めたアイヌ語講座の教材を前に、アイヌ語の現状について話す熊谷カネさん

 日高管内様似町で暮らす熊谷カネさん(82)は、アイヌ語講座の古いテキストに目をやった。「私は今でも『アイヌ語が身についた』とは言えない。それが悔しい」。熊谷さんはかつて、道内ラジオ局の番組などでアイヌ語の講師を務めていた。

「法律あっても救われていない」 SNSで増幅する差別

ゴールデンカムイで高まる関心 「その先」の共感へ、どうつなげる?

■両親に教われず

 明治生まれの両親はアイヌ語で会話ができたが、熊谷さんには教えなかった。母親に意味を尋ねて教わった<パセノポイヤイライケレ(本当にありがとう)>など短い表現や一部の単語は分かる。ただ、<寒いので水が凍る><あしたはどこに行きますか>といった内容になると、「単語は分かっても、すぐには文にできない」。一緒に暮らす2人の娘との会話も日本語だ。

 熊谷さんは20代前半で結婚し、4人の子どもに恵まれた。アイヌ語を学び始めたのは50代後半になってから。「両親が話していた言葉を知りたい」との思いからだった。

 当時既にアイヌ語を日常的に話す人は周囲に一人もいなかった。過去に研究者らが録音していた母の語りを聞いて学んでも、使いこなせない。「両親は私の人生には必要がないと思ってアイヌ語を教えなかったんだろう」と思う。だが、後悔の念は消えない。幼いころから学べていたら―。

 「消滅危機言語」。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は2009年、話者減少により消滅する恐れがある2473言語を公表した。このうち最も危機的とされる577言語の中にアイヌ語がある。

 ユネスコによると、明治政府の北海道開発が始まる19世紀後半、少なくともアイヌ語話者として1万5千人が確認されている。だが、2017年度に道が道内のアイヌ民族を対象に行った調査では、アイヌ語で「会話ができる」と答えたのは、回答した671人のうち0.7%。人数にしてわずか5人にとどまった。

 北大アイヌ・先住民研究センターの丹菊逸治准教授(言語学)によると、明治政府から続いた同化政策の結果、アイヌ民族の子どもたちにも日本語での教育が徹底された。

 1910年代に入ると、アイヌ語のみを話す人は一部の高齢者だけになった。70年代まではアイヌ語が使われていたという記録が残るが、丹菊准教授は「現状では日常的にアイヌ語を話しているコミュニティーはなくなったとみられる」と分析する。

 2019年に施行されたアイヌ施策推進法(アイヌ新法)は、アイヌ語を含むアイヌ文化の振興や文化に関する知識の普及、啓発などを進めると明記。文化庁は過去に録音されたアイヌ語資料のデジタル化を進めている。アイヌ民族文化財団は初心者向け講座などを実施するが、道央のアイヌ語教育関係者は「会話よりも文法が重視され、アイヌ語で話せる人は増えていない」と危機感を募らせる。

■対話を重ね学習

 ・・・・・・・

(報道センター 武藤里美)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1012299/


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ウポポイに礼拝室設置 アイヌ民族文化財団 白老

2024-05-19 | アイヌ民族関連

2024.05.18苫小牧民報

アイヌ民族文化財団は、民族共生象徴空間(ウポポイ)の体験学習館別館2に男女別の礼拝室を設置した。イスラム教を信仰するムスリムの利用を想定しており、天井には聖地メッカの方角を表示した。

礼拝室の入り口と内部

 東南アジアなどからの訪日客増を見込み、昨夏、室蘭工業大学に通うマレーシア国籍の外国人留学生4人からアドバイスを受け、協働して設計したという。

 広さは1室約12平方メートルで木造の空間が広がる。礼拝前に手足や口を清められる水場も設置した。利用は施設の開園時間に準じ、申請不要でいつでも使える。飲食や火気使用はできない。

 主にムスリムの利用を見込むが、宗教や宗派を問わず祈とうや瞑想(めいそう)など精神活動の場として利用してもらうため、特定の宗教を想起させるものは置かない。

 担当者は「(礼拝室は)空港には標準的にある施設。ウポポイとしても来場者の多様性を受け入れる態勢が整った」と話している。

 ウポポイはすでに、外国人来場者向けの多言語ガイドアプリや音声ガイド機器の貸し出し、外貨両替機の設置、AI翻訳機を使用した案内などを行っている。

https://hokkaido-nl.jp/article/33981


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子グマ名前はアシリとルイ 北海道・登別の施設

2024-05-19 | アイヌ民族関連

共同通信[2024年5月18日18:44]

のぼりべつクマ牧場で1月に生まれ、名前が決まったエゾヒグマの「アシリ」(左)と「ルイ」=北海道登別市

 北海道登別市の「のぼりべつクマ牧場」は18日、1月に生まれた雄のエゾヒグマ2頭の名前が「アシリ」と「ルイ」に決まったと発表した。来園者から募集し、303通の候補から飼育員らが選考。担当者は「順調に成長しており、今後も元気にすくすく育ってほしい」と話した。

 施設によると、アシリはアイヌ語で「新しい」を指し、牧場のニューフェースとの意味がある。ルイはフランス語にちなんでいて、「将来のボス候補に」との期待が込められているという。

 2頭は1月23日に同じ母親から生まれた。今月18日時点の体重はアシリが8.8キロ、ルイが6.2キロ。一般公開した4月27日から今月6日まで名前を募った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/63edad03be9fd4177212c9b1bba4dc1f9affaf1a


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胸像前で輪踊り ウポポイ ピウスツキ氏の功績しのぶ

2024-05-19 | アイヌ民族関連

北海道新聞2024/5/18配信

 アイヌ文化研究者ブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918年)の命日の17日、功績をしのぶ行事が白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)内の胸像前で行われた。関係者ら約50人が参列し、来場者と輪踊りで交流した。  ピウスツキはリトアニ…

この続き:378文字

ここから先の閲覧は有料です。

https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/138804/


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【北海道の難読地名】道央にある「花畔」って何と読む?その由来は?

2024-05-19 | アイヌ民族関連

リビング札幌Web 2024/5/18

北海道といえば、難読地名の宝庫!道民ならたいてい知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名がたくさんあります。

そんな地名を探して、クイズにします!

道央にある「花畔」は何と読む?

札幌中心部から車で約30分。石狩市の中心部にある「花畔」は何と読むか分かりますか?

さて、正解は?

正解は・・・

「ばんなぐろ」でした!

その由来は?

アイヌ語の「パナ・ウングル・ヤソッケ(川下人の漁場)」が地名の由来だとか。石狩川下流域に住んでいた、シャチやサメを守護神とする海の一族を「川下人」と呼んでいたそう。1871(明治4)年に岩手県から入植した人たちによって開かれた村です。

石狩市の中心部にあり、周囲には市役所や商業施設などが点在する場所です。一帯ははまなす国体記念石狩スポーツ広場となっていて、サッカー場やソフトボール場、多目的広場が広がります。隣の樽川には「JAさっぽろ地物市場とれのさと」もあり、地元野菜などを手に入れることができます。

◆JAさっぽろ地物市場とれのさと

https://torenosato.com/

札幌や近郊のグルメ&お出かけ情報を見るなら「リビング札幌Web」!

https://mrs.living.jp/sapporo

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/北海道の難読地名-道央にある-花畔-って何と読む-その由来は/ar-BB1mAFVw?ocid=BingNewsSearch


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【へき地医療の医師に転身】香山リカさんインタビュー「母が話していた『60代は人生でいちばんいい時期』はその通りだと思う」

2024-05-19 | アイヌ民族関連

NEWSポストセブン 2024/5/18

【著者インタビュー】香山リカさん/『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地の お医者さん」はじめました』/集英社クリエイティブ/1760円

【本の内容】

 現在、北海道勇払郡むかわ町の診療所で働き、週末には東京に戻る2拠点生活を送る香山リカさん。この春でそんな生活も3年目に突入している。「いまさら」「どうせ私なんて」と思ってしまいがちな年代に、香山さんは精神科医と大学教員の二足のわらじをはく生活から一転、へき地医療という未知の世界へ足を踏み入れた。

《なぜ私は、50代も後半戦に入ってから「へき地で医者をやってみたい」と思うようになり、何年もかけて準備をしたのだろう。そして、なぜそれを実行に移す場として、この穂別を選んだのだろう。/自分でももう一度、振り返って考えてみたい》(「はじめに」)。新しい世界へと足を踏み出す勇気を与えてくれる一冊。

自分にツッコミを入れながら、日々、悪戦苦闘

 精神科医で、文筆家・大学教授としても活動してきた香山リカさんが、60代になって北海道で「へき地のお医者さん」になった。なぜへき地医療にかかわるようになったのか、香山さんの新刊は、自分のこれまでを振り返る自伝的な本である。

 北海道勇払郡の「むかわ町国民健康保険穂別診療所」が香山さんのいまの職場。ゴールデンウイークの間も交代で当直勤務をしているという香山さんに、オンラインで取材させてもらった。

「私はいつも、その時々に何かを思いついて行動する、まあ行き当たりばったりな感じでやってきたんですけど、むかわ町に来て、どうして私はいまここにたどり着いたのか振り返ってみたくて書いた本です。そう言えば私は子どものときは科学者になりたかったんだとか、いろんな記憶がよみがえりましたね」

 香山さんは医学部を卒業しているが、精神科の臨床経験しかない。診療所の医師は内科も外科もすべて診るため、大学の研究休暇などを利用して、母校の総合診療科で改めて勉強した。

 車の運転が苦手で、運転免許も失効させていた。へき地で暮らすには車の運転は必要条件で、教習所に通って免許を再取得し、ペーパードライバー講習も受けた。

 本を読んで感じることだが、40年近く医師の仕事をしてきた香山さんなのに、専門家然とせず、考え方がやわらかい。事件や人との出会い、いろんなことにショックを受け、自分を見直し、何ができるか考えることができるのが不思議でもある。

「自分でも、それがいいことなのかどうかはわからないけど、アマチュアというか、素人っぽいなと思うところがあります。本にも書きましたけど、天職だと思って一筋に医者をめざしたわけでもないですし、いまだに医者になりきれてないところがある。友だちも医者以外の人が多いですし」

 診療所で患者さんを診るときに、「医者らしくしなきゃ」みたいな気持ちになったりするのだろうか。

「あります、あります。ケガをした救急の患者さんに『どうしましたか』と言いながら、『ER緊急救命室』(医療ドラマ)の吹き替えをしてるみたい、って思ったりしています。自分にツッコミを入れながら、日々、悪戦苦闘ですね」

 悪戦苦闘という香山さんは、いきいきとして、とても楽しそうだ。

「自分が精神科医で良かったな、と思うのは、ここは超高齢化地域で、患者さんには80代から90代、100歳の方もいらっしゃるんですけど、私はずっと精神科医として働いてきたので、体を診察するだけじゃなく、その人の生活背景とか、これまでどのように暮らしてこられたのかを習性として聞くんですね。そのお話がめちゃくちゃ面白い。親が入植者だったり、とか、アイヌのルーツがある方だったり、人にはそれぞれ物語があるって言うと単純に聞こえてしまうかもしれませんが、本当に面白いし勉強になります」

シカやキツネ、タヌキはもちろん、エゾシカも…

 東京の仕事を辞めてやってきた医師に地元の人たちは優しく、困っていることがないか、山菜を採ったから食べないかと、何かと気にかけてくれる。

 香山さんは北海道生まれなので、「地元に帰ったの?」と言われることもあったそうだが、札幌生まれ、小樽育ち、高校からは東京で、むかわ町にはそれまで一度も来たことがなかった。縁もゆかりもない土地と香山さんを結んだのは、むかわ町穂別から発掘された恐竜カムイサウルスの化石だという。

 香山さんは、母の死とアフガニスタンで命を落とした中村哲医師の事件を通して、この先、自分がどう生きていくか考えるようになっていた。

 途上国や紛争地など医師不足の土地に行くことも考えたが、コロナ禍で、海外渡航が難しくなる。国内の、医療過疎地の求人情報を載せるサイトを見ていて偶然、見つけたのがむかわ町穂別の診療所だった。2019年に国立科学博物館で開かれた恐竜博で心を奪われたカムイサウルス、通称むかわ竜の化石が発掘された場所だと気づき、別の診療所に応募することをほとんど決めていたのに、急遽、応募先をむかわ町に変えたといういきさつがある。

 穂別では新たに恐竜博物館が建設される予定で、香山さんも、専門家が住民の話を聞きにくるときのコーディネーター的な役割でかかわっているそうだ。

 60代での思い切った転身には、「60代を楽しまなきゃ」「好きなことをしなさいよ」と言っていた亡き母の言葉も後押しになった。

「ふつうは60歳っていうと、『もう年だ』ってイメージだと思うんですけど、母は『人生でいちばんいい時期だ』って。自分自身の経験から言ってたと思うんです。子どもは巣立って、まだまだ体力はあって、人生を楽しむにはいい時期だって。私が『離島のお医者さんになろうかな』って言うと反対したんですけど、母も亡くなったし、私も好きなことやらせてもらいますよ、って」

 ずっと診てきたクリニックの患者さんがいるので、月に何度か東京に戻り診察する。母校の総合診療科での修行も続けている。穂別診療所の所長も、週末は、むかわ町から離れてリフレッシュしたほうが長続きする、という方針だという。

「『へき地』なんて書いてますけど、実は新千歳空港から車で1時間15分ぐらいなんです。途中の信号もないし、渋滞しないから、運転はぜんぜん大変じゃありません。シカやキツネ、タヌキはもちろん出てきます。エゾシカはすごく大きくて、ぶつかると大変なことになるから気をつけなきゃいけないんですけど」

 診療所の定年は65歳。再来年、恐竜博物館が開館するまでは、むかわ町にいて見届けようと思っているが、そこから先は未定だ。

 海外で働く夢もあきらめておらず、「北海道パレスチナ医療奉仕団」というグループに入っているという。

【プロフィール】

香山リカ(かやま・りか)/1960年北海道札幌市生まれ。東京医科大学在籍中から執筆活動を開始。同大学卒業後、精神科医として臨床に携わりながら帝塚山学院大学教授、立教大学教授などを歴任。2022年4月、北海道のむかわ町国民健康保険穂別診療所に総合診療医として着任。週末には東京での精神科診療も継続。北海道と東京を往復する2拠点生活を送っている。近著に『逃げたっていいじゃない』『老いてもいい、病んでもいい──「常識」を捨てたらラクになる』『デジタル依存症の罠』『もっと、自分をいたわっていい』など多数。

取材・構成/佐久間文子

※女性セブン2024年5月30日号

https://www.msn.com/ja-jp/health/other/へき地医療の医師に転身-香山リカさんインタビュー-母が話していた-60代は人生でいちばんいい時期-はその通りだと思う/ar-BB1mC39y?ocid=BingNewsSearch


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モアイ像は集落の守り神? イースター島にたたずむモアイ像を講談社の動く図鑑MOVEが解説!

2024-05-19 | 先住民族関連

コクリコ2024/5/18

講談社の動く図鑑MOVE「世界の探検」「世界遺産」より、謎が多くふしぎなモアイ像を詳しく解説! そのほか世界中の古代遺跡も紹介します! 

モアイ像は何のために作られたの?

イースター島 ©aflo

モアイ像で知られるイースター島。18世紀にヨーロッパ人がキリスト教の「復活祭(イースター)」の日に発見したので、この名前がつけられたのですが、もともとは先住民の言葉で「ラパ・ヌイ(大きな島)」といいます。

その先住民たちは、11世紀~12世紀ごろに約3600kmもはなれたマルケサス諸島から大航海をして、イースター島にやってきました。

この記事は講談社の動く図鑑MOVE「世界の探検」「世界遺産」から一部抜粋したものです。

どうやってつくったの?

やわらかい凝灰岩の岩山を、玄武岩などのかたい石でできた器具でけずって切りだしていました。切りだされたモアイは、木のそりなどで設置する場所まではこばれます。ねかせたモアイの下に丸太を差しこんで、てこの原理でもちあげ、下にできた空間に石を積みかさねていき、モアイを起こします。

モアイ像はなんのために作られたの?

集落の守り神として、かつての偉大な首長や村長などをかたどってつくられたと考えられています。一部のモアイは海のほうを向いていますが、ほとんどは集落を見守るように立っています。また、いまはなくなっていますが、白いサンゴと赤い石でつくられた目がはめこまれていて、「マナ」というふしぎな力が宿ると考えられていました。

モアイは17世紀ごろまでつくられていました。その後、内乱や環境破壊などが原因で古代文化はほろびます。

なぞの絵文字、ロンゴロンゴを発見!

19世紀に、絵文字の書かれた板が発見されました。ロンゴロンゴとよばれるこの絵文字は、なぞが多く、いまだに解読されていません。ラパ・ヌイ人が使っていたと考える人もいますが、多くの言語学者や歴史家は、ロンゴロンゴは文字ではなく、航海術や天文の知識を覚えるためにつくられたものではないかと推測しています。

世界にはふしぎに満ちた遺跡がたくさん!

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講談社の動く図鑑MOVE「世界遺産」より

石の巨人の島「イースター島」、「ナスカの地上絵」、アンデス山脈の天空都市「マチュ・ピチュ」、手形のアート「クエバ・デ・ラス・マノス」など、世界にはふしぎな遺跡がたくさんあります。

まだまだわかっていないことも多く、謎がいっぱいの遺跡をみんなも研究してみよう!

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/モアイ像は集落の守り神-イースター島にたたずむモアイ像を講談社の動く図鑑moveが解説/ar-BB1mANa2?ocid=BingNewsSearch


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