先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

<風・論説委員室から>自民が「謙虚」だった時 蛭川隆介

2024-05-06 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年5月5日 11:50

 歴史にイフはないが、イフを考えたくなるのが歴史である。

 先月10日、本紙に載った法政大の山口二郎教授のインタビューを読んでよぎった思いだ。1994年6月、野党自民党が新党さきがけと共に社会党の委員長を担いで誕生した村山富市政権への評価が印象に残る。

 この年4月、非自民の細川護熙連立政権が発足わずか8カ月で倒れる。後継の羽田孜政権は社会党が連立から離脱したことにより少数与党に転落した。

 村山氏は細川政権一の実力者として強権的に振る舞っていた小沢一郎・新生党代表幹事と確執を深め、たもとを分かつ。そこに政権復帰を狙う自民党が接近し、長年対決してきた自社両党のまさかの連立樹立となる。

 山口氏は、この時は小沢氏の路線を支持できず、自社連携を支持したとしてイフを語った。

 「その選択は結果的には大間違いだったと思います。あのとき非自民側の小沢さんが政権を持続していれば、自民党はもっと大きく割れ、根本的な再編が起きたのではないか―と。日本の政治の歴史の中で大きな罪だったのではと思います」

 当時、永田町の駆け出し記者としてこの大政変を間近に見た経験から、山口氏の問題意識は肌で理解できる。野党暮らしに耐えかねて離党者が続出し、崩壊の危機にあった自民党は、あれですっかり息を吹き返した。

 対照的に社会党は、自衛隊合憲、日米安保や日の丸・君が代の容認など、なし崩しの政策転換を余儀なくされて衰退した。

 村山政権には評価すべき実績もある。戦後50年の95年8月に閣議決定した「村山談話」は、侵略と植民地支配への「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明し、日本外交の基盤となる。

 今も全面解決には至っていないが、被爆者援護法を制定し、水俣病未認定患者への一時金支給を決めたことも、当時としては一定の成果だといわれた。

 97年に旧土人保護法を廃止し制定されたアイヌ文化振興法も政府・与党が検討に着手したのは村山政権時代だ。五十嵐広三官房長官が重要な役割を担う。

 こうした政策を進めた村山政権を、自民党はよく支えた。

 ・・・・・・・

 それとも、政治とカネの問題で信頼を失い、下野した31年前の歴史を繰り返すのだろうか。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1008040/


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アイヌ文化に親しむ 札幌で遊び体験

2024-05-06 | アイヌ民族関連

久保耕平 会員限定記事

北海道新聞2024年5月5日 22:01(5月5日 22:09更新)

アイヌ文様の切り絵に挑戦する子ども

 アイヌ文化に親しむイベントが5日、札幌市南区の市アイヌ文化交流センターで開かれ、子どもらがアイヌ文様の切り絵や木の枝を使った遊びを体験した。

 切り絵コーナーでは、子どもらが芸術家集団アイヌアートプロジェクトの手ほどきを受けながら、8種類のアイヌ文様から選んで挑戦。作業中、魔よけの意味があることも学んだ。市内の新琴似南小1年の佐藤青さん(6)は「下書きが難しかったけど、うまく切ることができた」と話した。

・・・・・・

 同センターは月曜、祝日定休。6日は臨時開館する。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1008167/


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「極めて深刻な消滅危機」とされたアイヌ語、車内放送で聞けるバス路線がある「民族の文化に触れてほしい」

2024-05-06 | アイヌ民族関連

東京新聞2024年5月5日 18時05分

「アイヌ共生推進本部」の事務局。日本語と英語表記の間にアイヌ語表記が描かれている=札幌市の北海道大学キャンパス内で

 北海道の公共空間で「イランカラㇷ゚テ」(「こんにちは」に相当)などのアイヌ語のあいさつが一般化し、それ以外のアイヌ語表記も広がりを見せる。ただ、どこまでアイヌ民族の自己決定権の保障につながっているか。アイヌ語の使用を阻む根本原因は何か。改めて考えた。(木原育子)

◆明治以降、凍結状態に

 4月中旬、札幌市の北海道大キャンパス。「アイヌ シサㇺ ウレㇱパ ウコピㇼカレ ウㇱ」と書かれた事務局前に立った。

 一体どんな意味か。アイヌ民族でもある、北海道大の北原モコットゥナㇱ教授が説明してくれた。シサㇺは「和人」、ウレㇱパは「協力して生活する」、ウコピㇼカレは「共同で良くする」、最後のウㇱは「場所」を意味するのだという。

 訳したのは、同大に2022年度に新設された「アイヌ共生推進本部」のこと。「アイヌ語の使用は明治以降に凍結状態にされたため、新しい言葉は造語する必要がある」と北原教授が説明する。

◆北大キャンパス内から浸透、拡大させていく

 キャンパス内では、北原教授や学内の研究者らが協力してアイヌ語への翻訳を進め、今年1月からは構内の循環バスでアイヌ語でのアナウンスを始めるなど、アイヌ語表記や耳への浸透を広げている。

 そもそもアイヌ語は近代以降、同化政策の一環で話す機会が奪われ、09年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)によって「極めて深刻な消滅の危機にある」と指摘された言語だ。

◆「会話できる」アイヌ民族はわずか0.7%

 北海道が17年にアイヌ民族を対象にして行った調査では、アイヌ語で「会話ができる」と回答したのはわずか0.7%。一方で「積極的に覚えたい」「機会があれば覚えたい」は60.4%に上った。

 「アイヌ語は大学の授業や各地のアイヌ語教室など、依然特別な場でしか学習できない。アイヌ語復興は、アイヌ語を公共空間で用いることが第一歩」と北原教授は語る。

◆先住民族の言語の公用語化、世界では進んでいるが

 国も、13年に自治体や学術機関などとともに協議会を設置。「イランカラㇷ゚テ」キャンペーンと銘打ち、アイヌ語普及を進めてきた。18年からは、北原教授が発案し、国が後押しする形で、アイヌ民族が多く暮らす日高地域を走る道南バスで、全国初のアイヌ語の車内放送を実現させた。

 停留所をアイヌ語に翻訳した平取町教育委員会職員の関根健司さん(52)は「言語は文化の根源。言語に触れることはその民族の文化に触れることそのもので、多くの人に学びを深めてもらえたら」と語る。

 世界では、先住民族の言語を公用語にする取り組みは進むが、アイヌ語や沖縄の琉球語を公用化する動きは極めて乏しい。

◆マジョリティーの日本語至上主義を変えないと

 何が阻んでいるのか。前出の北原教授は「アイヌ語の使用拡大は、マジョリティーがそのことを許容することが必須だ」と和人側の問題だとする。「日本語や日本的価値観のみを至上のものとしてきた近代以降の思想を変えなければ、アイヌ語の教育機会を整えても、内面化した劣等視やトラウマのために、アイヌ語を使おうとする人は増えないだろう」とし、「先住民族は他の場所からやってきたわけではなく、のみ込まれた状態。アイヌ民族の権利は保障されないで、共生という言葉だけが独り歩きしている」と続ける。

 アイヌ語表記だけでいいのか。恵泉女学園大の上村英明名誉教授は「空港や車内放送などの公共の場で、先住民族の言葉を多用するのは、先住民族とともにあるような良いイメージを与えるが、ある種の文化盗用でもある。特にアイヌ民族の権利問題の実態とかけ離れている点が懸念される」と指摘。「表面上のアイヌ語表記だけでなく、権利回復を抜本的に議論する機会にするべきだ」と話した。

(端末環境によってはアイヌ語表記の一部が乱れる可能性があります)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/325246


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アイヌ差別、罰則求める声 自民・杉田氏投稿で論議

2024-05-06 | アイヌ民族関連

時事通信 2024年05月05日19時03分

アイヌ施策推進法が可決、成立した参議院本会議を傍聴席から見る北海道アイヌ協会の関係者ら=2019年4月、国会内

 アイヌ民族への差別を禁じたアイヌ施策推進法は、24日で施行から5年を迎える。同法付則は、5年の経過後に施行状況を検討し、必要があれば「所要の措置を講ずる」と明記。自民党の杉田水脈衆院議員による差別的投稿をきっかけに、罰則規定を求める声が強まっているが、政府は慎重姿勢だ。

杉田水脈氏、傷つけたか「分からない」 アイヌ差別的投稿で発言

 杉田氏は2016年、国連の会議に出席した際に「アイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。同じ空気を吸っているだけでも気分が悪くなる」と自身のブログに投稿。昨年9月に札幌法務局から人権侵犯と認定された。アイヌ関連事業を巡り、「公金チューチュー」と関係者をやゆするなど、その後も物議を醸す言動を繰り返している。

 同法は、アイヌに対する差別を禁じているが、罰則規定はない。アイヌや学者らによる「アイヌ政策検討市民会議」のジェフリー・ゲーマン代表は「現行法は全く効果がない」と訴える。

 野党からは、速やかな対応を求める声が上がる。立憲民主党の水岡俊一参院議員会長は、2月の参院代表質問で「今こそ改正の検討を始めるべきだ」と主張。別の立民幹部も「政府はこの問題を真剣に受け止めてもらいたい」と強調した。

 ただ、政府内で法改正の機運は乏しい。政府関係者は、アイヌ差別のみに罰則を設けると他の差別行為との整合性が問われると指摘。「現在も名誉毀損(きそん)罪や侮辱罪で訴えることはできる」との認識を示した。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2024050500101&g=pol


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アイヌの歴史を振り返ろう~漫画『ゴールデンカムイ』で注目される北の大地

2024-05-06 | アイヌ民族関連

武将ジャパン2024/05/05

漫画・アニメの大ヒットに続き、実写版映画からドラマへと人気が拡大し続けている『ゴールデンカムイ』。

同作品で中心となっているのがアイヌです。

『ゴールデンカムイ』には、現代人の我々がほとんど知ることのないアイヌの生活様式やアイヌ語、料理がたくさん出てきます。

北海道の独特な地名や単語がアイヌ語由来だったことにあらためて唸ったり、野草が食べられると驚いたり。

同じ日本に住んでいながら、その生活についてほとんど知る機会がなかったということにも、私は驚きました。

美味しいお料理や、生活の知恵は、作中のアシㇼパさんに教えてもらうこととしまして……。

本稿ではアイヌの歴史を学ぶ入口として、案内させていただければ幸いです。

アイヌの歴史 どこを起点とするか?

アイヌの歴史は、どこが始まりか?

これが結構迷いました。

石器時代から始めるというのもありなのですが、和人として書く以上、和人と接触が始まったところを起点とします。

したがって、中身は「アイヌと和人の交流史」になります。

ご了承ください。

文化的には、

・石器から鉄器に変わる

・土器が鍋に変わる

・竪穴式住居からチセに変わる

あたりから始めます。

居住地域は、

・北海道

・サハリン南部

・千島列島

となります。

北海道博物館内に復元されたアイヌの家屋チセ/photo by タクナワン wikipediaより引用

東アジア交易圏でのアイヌ

文字を記録しないアイヌの歴史をたどる場合、他国との交易や対立から見て行くことになります。

13世紀から14世紀初頭、中国の元王朝は周辺諸国へ出兵しました。

その中には、日本列島を襲った「元寇」も含まれているわけです。サハリンアイヌも元王朝を迎え撃ち、アムール川下流域まで侵攻しました。

元(モンゴル)の後、明王朝とは朝貢関係にありました。

明代というのは東アジアで交易が盛んになった時期です。

アイヌの居住地からも、当時、尊ばれていた朝鮮半島で作られた白磁等が出土します。アイヌは、明と津軽安藤氏と交易をしており、この交易圏に含まれていたのです。

実際、津軽安藤氏は、室町幕府にラッコや昆布を献上しています。

ラッコとは、なかなか驚きですよね。

長禄元年(1457年)、和人がアイヌの少年と口論になり、殺害してしまう事件が起こります。

これを契機に、アイヌが武力放棄(コシャマインの戦い)。

当時、北海道南部に12館あった和人の拠点の内、10カ所を陥落させました。

このとき、花沢館主・蠣崎季繁の客将であった武田信広が活躍し、アイヌを撃破します。信広は蠣崎氏の養子となり、蠣崎信広と名を変えるのでした。

信広から四代くだって蠣崎慶広の時代。

豊臣秀吉に拝謁し、本領安堵されると、徳川時代になって松前氏と名乗りを変更します。

松前慶広になったワケです。

アイヌとの交易を中心とした松前藩は、こうして生まれました。

米の生産を中心とした他藩とは違い、松前はアイヌとの交易が収入源という特殊な藩です。

こうした制度は「場所請負制」と呼ばれ、アイヌの人々を苦しめることになる制度でした。

砂金ゴールド・ラッシュとシャクシャインの戦い

徳川幕府の成立初期。

アイヌと和人の貿易は、アイヌ側が本州東北部を訪れる「城下貿易」というものでした。

交易品はアイヌ側が動物の毛皮、ワシの羽、魚、鳥。

対する和人側は米や木綿を提供します。

このカタチが逆転するのが、17世紀前半、北海道で砂金が取れると判明してからでした。

和人側が北海道へ押し寄せたのです。

狩猟採集で生きてきたアイヌの人々と、ゴールド・ラッシュに浮かれる和人たち。

両者の間に接触が増え、それに比例してトラブルも増加してゆきます。

和人はアイヌに不利な交易を行い、横暴な振る舞いをし、生活の基盤を脅かすようになったのです。

生活の基盤を乱されたアイヌたちは、ついに我慢の限界に達します。

1669年(寛文9年)。

一人の勇士・シャクシャインが立ち上がりました。

シャクシャインは、和人の船を焼き、松前藩を滅ぼし、城下貿易を復活させるのだ、とアイヌに呼びかけます。

蜂起に手を焼いた松前藩は、幕府に援軍を依頼。

シャクシャインはじめ首長を和睦すると呼び寄せ、謀殺してしまうのです。

ただ、この蜂起に意味がなかったわけではありません。

松前藩側は、アイヌの生活圏に踏み込まないことをルールとして決めました。

以来、和人が砂金や鷹狩りのためアイヌの生活圏に傍若無人に入り込むようなことは、なくなっていったのです。

また、日本海側のアイヌは、松前藩と交渉して城下貿易の復活にこぎつけました。

戦後処理により、シャクシャインの要求はある程度かなったことにはなります。

クナシリ・メナシの戦い

18世紀になると、ロシアの南下が始まります。

ロシアの支配下に置かれたアイヌは、厳しい重税が課されるようになり、暮らしは一層苦しくなりました。

北海道東部の生活を苦しめたのは、飛騨屋という商人でした。

松前藩は飛騨屋に莫大な借金をするものの、返す気はありません。

代わりに北海道北部のアイヌとの交易権を与えることにしたのです。

松前藩の借金を取り戻すべく、飛騨屋によるクナシリ・メナシのアイヌ搾取が始まりました。

漁場で働かせ、薄給で酷使。アイヌ女性に暴行したり妾にしたり、ときには惨殺することすらありました。

この搾取に怒り、1789年(寛政元年)、クナシリ・メナシの若いアイヌが蜂起。

飛騨屋関係者を殺害する事件が起こりました。

若者たちはなだめられ、この蜂起は終息します。

飛騨屋は態度が悪いとして、松前藩から交易権を没収されました。

元を辿れば、悪いのは松前藩なのですが、こちらはお咎めなしでした。

また、このころとなると幕府は蝦夷地警護の必要性を考えるようになりました。

蝦夷地に人を住まわせ、ロシアに対抗する必要性を感じるようになったのです。

和人による蝦夷地探険が盛んになるのも、このころからです(以下はその一人・最上徳内のまとめ記事となります)。

未開の時代に8度も蝦夷地(北海道)を探検した最上徳内って何者?

続きを見る

航海技術が発達し、世界が狭くなるような状況の中。

アイヌにも、その影響は厳しいカタチで及ぶようになるのです。

日本とロシアの狭間で

1853年(嘉永6年)の黒船来航以来、幕府は開国を迫られるようになりました。

アメリカに後れを取るなと、他の国も日本に来航します。

もちろんロシアもこの中に含まれています。

そして、それまでハッキリとは意識されていなかったことが、幕府の中で既成事実とされるようにされます。

アイヌが暮らす土地=アイヌモシリ(リは小文字)は、幕府の支配下にあるということです。

それはアイヌの人々にとって、まったく知らぬことでした。

幕藩体制が終わり明治8年(1875年)、明治新政府はロシアと「樺太千島交換条約」を結びます。

アイヌの人々が知らぬうちに、彼らの住むアイヌモシリが近代国家の枠に入れられていったのです。

サハリンに暮らすアイヌたちは、長いこと和人と結びつきが深い暮らしをしていたのに、突如、ロシア人とされてしまいました。

拒む者たちは、北海道へ移住させられました。

「せめて、故郷のサハリンが見える宗谷に暮らしたい」

彼らはそう願いますが、開拓使長官の黒田清隆は、石狩・対雁でなければ認めないと突っぱねます。

説得を任された松本十郎判官(現在の副知事)は、親しくしていたアイヌの心を裏切る辛さを記して、辞表を叩きつけました。

雁別に移住したサハリンアイヌに、さらなる悲劇が襲いかかります。

疱瘡(天然痘)で、移住した800名余りのうち、350名以上が亡くなったのです。

疱瘡は、日本でも幕末に導入された種痘により、予防が可能となっていました。

しかし、それはあくまで限られた人々のこと。

アイヌの人々は抵抗力がなく、多くの人々が犠牲になりました。

かつてアメリカ大陸の先住民は、移住者の持ち込んだ伝染病で激減しましたが、まったく同じ構造の悲劇が、アイヌの人々にも襲いかかったのです。

日本領となった北千島のアイヌも、多いに戸惑いました。

和人と関わりのなかった彼らが、突如日本国民にされたのです。しかも、彼らは強制的に色丹島に移住させられたのです。

色丹には、北千島にいたラッコや、トド、オットセイといった海獣がほとんどいませんでした。

移住を強制されたアイヌは、獲物が捕れないと、悲痛な嘆きを残したのです。

消えゆく文化

廃藩置県により、アイヌの人々を苦しめていた松前藩の場所請負制は終わりました。

代わって「開拓使」が置かれます。

この「開拓」という言葉も、一方的であります。

和人からすれば未開の地を切り拓くということになりますが、アイヌの人々にしてみれば、彼らの暮らして来た土地は豊かで自然の恵みにあふれ、切り拓くものではありません。

明治4年から10年の期限で置かれた「開拓使」。

移住してきた和人たちは、戊辰戦争で敗れた、会津藩はじめ奥羽列藩同盟の武士たちが中心です。

その中で、アイヌの風習を禁止する法律ができます。

当時の明治政府は、文明開化に躍起。

海外から見られて恥ずかしいと思われそうな風習は、片っ端から廃止するようにしたのです。

町の中から褌一丁で歩くような人々は消え、髷、お歯黒といったものが禁止されるのもこの頃です。

その流れが、アイヌにも及びました。

・農耕の奨励
・家焼きの風習廃止
・女性の口の周りの入れ墨禁止
・男性の耳環禁止
・日本語の推奨

アイヌの人々は、入れ墨をしなければ神が怒る、これでは結婚できないと嘆きました。

いくら和人が善意であると主張しても、そこには深い悲しみと困惑が残されたのです。

農耕奨励と表裏一体であったのが、土地の取り上げ、シカやサケを対象とした狩猟禁止令です。

1875年(明治8年)、シカ狩猟が禁止されました。

この禁止令には抜け穴があります。

600名までならば免許を得て狩猟ができたのです。しかし、どう考えても和人優先とされるに決まっています。

そして、アイヌの人々の智恵である毒矢も禁止されました。

1879年(明治12年)、日高地方でサケ漁が禁止。

1883年(明治16年)、十勝地方でサケ漁が禁止。

サケなんか取らないで農耕でもしろ、ということです。

しかし、それまでずっと生涯サケをとり続け、それで生きてきた人々にとって、あまりに過酷なことではないでしょうか。

漁禁止の影響で、餓死者すら出たとされます。

和人の町が出来てゆく過程で、アイヌが強制的に移住させられる事例も増えてきます。

同化という言葉で、アイヌの人々の文化や生活が失われてゆきました。

「北海道旧土人保護法」という枷

1886年に「北海道土地払下規則」が成立。

名目的には、面積を本州の投資家に格安で売り渡すことで、大々的な事業を可能にするということでした。

ただ、これは開拓者にとっては小作争議の原因となるもので、問題のあるものでして。

急ピッチな開拓は、もはや正攻法だけでは追いつけなくもなりました。

当時、北海道には、多くの監獄がありました。

囚人たちは劣悪な条件で労働に従事させられ、道路を作る土木工事に動員。過酷な労働の中、多くの囚人が命を落としてゆきます。

北海道のインフラ整備には、血が流れているとも言えます。

こうした囚人の中には、自由民権運動に関わった政治犯も、多数含まれていました。

そして1899年(明治32年)には「旧土人保護法」が成立――。

保護という名目ですが、実態はアイヌ文化の破壊であり、アイヌの人々の生き方を否定するような、強引なものでした。

当時の北海道で、和人の土地主は最大で10万坪以上、耕しやすい土地を保有できたのに、アイヌの土地保有は一戸1万5千坪まで。

しかもその土地には、農業には適していないものも含まれていました。

それまで狩猟採集に生きてきた人々に、無理矢理農業に従事させようとした上にこの待遇。

そもそも、与えられた土地と言いますが、アイヌモシリの土地は、アイヌの人々のものであったはずです。

それを与えるというのも、おかしな話です。

同時に、アイヌ専用の学校も作られました。

カリキュラムは和人のものと同様でありながら、一部の教科はありません。

結果として学校は、アイヌ文化を捨てさせることにつながりました。

民族の誇りを求めて

狩猟や文化を捨てさせられ、和人との融合を求められたアイヌの人々。

そんな中、自分たちのアイデンティティを求めた人がいました。

1923年に知里幸恵が『アイヌ神謡集』を出版。

アイヌ文化を伝える文学作品として、高く評価をされました。

惜しくも知里は、刊行の直前に夭折していますが、彼女の名を不朽のものとします。

違星北斗は、アイヌによるアイヌの復興を掲げ、短歌でその思いを表現しました。

彼の生涯も短いものでしたが、その思いは後世に残りました。

1930年(昭和5年)には、北海道アイヌ協会(現社団法人北海道ウタリ協会)が設立。

さらに1931年(昭和6年)になると、全道アイヌ青年大会も開催されます。

サハリンアイヌの日本国籍保持が認められたのもこのころ1933年(昭和8年)でした。

こうした動きを受け、旧土人保護法が改正されます。

農業だけではなく、漁業や家内工業も助成対象となり、アイヌと和人の混合教育が実施されるようになったのです。

しかし、「北海道旧土人保護法」は、戦後になっても残りました。

廃止に至るまでには、アイヌ民族初の国会議員である萱野茂氏の登場まで待たねばなりません。

1997年(平成9年)7月1日に、

◆アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(1997年(平成9年)法律第52号、アイヌ文化振興法)

が、国会にて全会一致で可決されました。

第一条より

「この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする。」

この施行に伴い、やっと「北海道旧土人保護法」が廃止されたのです。

後記

この記事は、以前から読んでいた『ゴールデンカムイ』がアニメ化され、試し読みでファンが増えたタイミングで掲載しましょう、と私から頼んだ一本です。

自分から提案しておきながら、今回の記事はかなり悩むこととなりました。

『ゴールデンカムイ』を読んで、描かれたアイヌの文化、服飾、料理、狩猟、言語に魅了されました。

同時に気恥ずかしさや気まずさも感じました。

あの作品を読むまで、私はそうしたものを全く知らず、関心すらなかったからです。

遠い国の歴史を知ることにかけては夢中になっていたのに、自国のアイヌ文化をまったく知らなかったことに、いたたまれない気持ちになりました。

本稿は、書きながらいろいろと悩みました。

自分は和人であるということも、勝手に書いてよいのだろうか、と自問自答し続けました。

自分のような無知な人間だからこその見方がある、というような思い上がりは絶対に言うつもりはございません。

無知、無理解なゆえに誤った表現もあるかもしれません。

その場合は、ご指摘くださると幸いです。

https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2024/05/05/112419


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リズムスティックとともに夜の森へ。阿寒湖の森ナイトウォーク「カムイ ルミナ」を開催

2024-05-06 | アイヌ民族関連

IGNITE2024年5月5日

幻想的な仕掛けが散りばめられた夜の森へ、足を踏み入れてみてはいかがだろう。

阿寒湖の森ナイトウォーク「KAMUY LUMINA(カムイ ルミナ)」が、5月11日(土)から11月9日(土)の期間に阿寒摩周国立公園で開催される。

冒険へのチケットは、鶴雅グループが運営する3施設との宿泊セットプランで入手するのがオススメだ。

“カムイ”の世界を目指す没入型アクティビティ

阿寒摩周国立公園のボッケ遊歩道を舞台に開催される「カムイ ルミナ」は、幻想的なプロジェクションマッピングで再現された、アイヌの物語の中へ入りこんでいく没入型アクティビティ。

参加者はアイヌの杖をモチーフにした「リズムスティック」を手に、約1.2kmの真っ暗な森の遊歩道を歩き、アイヌ語で神を意味する“カムイ”の世界を目指していく。

総合演出は、世界的に注目を集めるデジタルアート集団「MOMENT FACTORY(モーメント・ファクトリー)」が手掛けているという。

冒険へのチケットが付いた宿泊プラン

イベントの前後は、阿寒湖エリアの3施設で“非日常”を愉しむのがオススメ。これらの施設では、冒険へのチケットを含む、オトクな宿泊プランを設定している。

それでは個性豊かな3施設を紹介していこう。

温浴施設が充実した「あかん遊久の里 鶴雅」

鶴雅グループの原点である同施設は、露天風呂付きやアイヌ文化をモチーフにした客室、約100品ものメニューが愉しめる「北海道ビュッフェ」などを用意。

温浴施設の充実ぶりも特筆もので、阿寒湖を一望できる「展望大浴場 天の原(8F)」や、阿寒湖との一体感が味わえる「鶴雅大阿寒温泉 豊雅殿(1F)」に加え、世界初のペアガラスによる「ドーム型展望サウナ」まで備えている。

全室露天風呂付き「あかん鶴雅別荘 鄙の座」

エグゼクティブクラス“座”シリーズのひとつである同施設は、すべての客室が露天風呂付きのスイートルームとなり、気兼ねなく寛げるオールインクルーシブ制を採用している。

北海道ならではの食材や旬を詰め込んだ会席料理では、北海道の味噌と京都の白味噌を使用した、名物の「めんめ(きんき)鍋」に注目だ。

8タイプの部屋「阿寒の森 鶴雅リゾート 花ゆう香」

全8タイプの客室から選べる同施設は、様々な旅のスタイルにマッチ。

たとえば、気ままな一人旅やワーケーションなら、キングサイズベッドや50インチのテレビを備えたレイクビューの客室を選んでみたい。

アイヌ文化や自然美を五感で味わうナイトウォークは、忘れられない体験になることだろう。

KAMUY LUMINA
開催期間:5月11日(土)~11月9日(土)
時間:5月11日(土)~8月9日(金)19:30~21:00(※以降、開催時期により異なる)
所要時間:約50分
場所:阿寒摩周国立公園内 ボッケ遊歩道
アクセス:釧路空港よりクルマで約58分
公式サイト:https://www.tsurugagroup.com/plans/kamuy-lumina/

PR TIMES:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000041.000044417.html

(zlatan)

https://ignite.jp/2024/05/673297/


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博物館や町家で国内外写真家の作品展示「KYOTOGRAPHIE」12日まで

2024-05-06 | 先住民族関連

読売新聞2024/05/06 05:00

京都や東京の街中で撮影した写真を組み合わせたBirdheadの作品(京都市中京区で)

 国内外の写真家らが作品を紹介する「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2024」が、京都市内の博物館や京町家など約10会場で開かれている。12回目の今年は「SOURCE(源)」をテーマに、社会問題などを題材にした作品を鑑賞できる。12日まで。

 帯製造卸の「誉田屋源兵衛」(京都市中京区)には、中国の2人組ユニット「Birdhead(鳥頭)」が昨年末に京都や東京で撮影した写真124枚を組み合わせ、巨大な1枚のパネルに仕立てた新作などが並ぶ。京都文化博物館(同区)では、スイス出身の写真家クラウディア・アンドゥハルさんの作品を通じ、南米アマゾンの先住民族・ヤノマミ族の歴史に触れられる。

 京町家の「 嶋臺しまだい ギャラリー」(同区)では、フランスのアルル国際写真フェスティバルを創設したルシアン・クレルグ(1934~2014年)の回顧展として、迫害の歴史があるロマ民族が音楽や踊りを楽しむ様子を捉えた作品を展示。観光でフランスから訪れたモウド・モスケスさん(51)は「京都の伝統的な建物と国際的な作品との組み合わせは興味深い」と話していた。

https://www.yomiuri.co.jp/local/hashtag-kyoto/CO072596/20240505-OYTAT50030/


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東遊園地で、ヴェールを脱いだ「トーテムポール」を見てきた。米・シアトルとの絆の象徴

2024-05-06 | 先住民族関連

神戸ジャーナル2024.05.05

東遊園地に、姉妹都市シアトルとの友好を示す「ストーリーポール(トーテムポール)」が設置されてます。

東遊園地では「こうべ花時計」横に「ストーリーポール(トーテムポール)」を設置する作業が進められ、完成後も「命を吹き込む」儀式まではヴェールをかぶるという伝統が大事にされてました。

2代目となるこの作品名は「絆を讃えて」。

作品が象徴するのは「つながり」。姉妹都市であるシアトルと神戸、コースト・セイリッシュをはじめとする北西海岸地域と日本の先住民や人々、人類すべて、そういったあらゆるつながりを表しているそう。

女性が羽織っているのは毛織物のブランケット。作品を制作した先住民族(コースト・セイリッシュ)では、ブランケットは「豊かさ」を象徴するものなんだそうです。鷲が表すのは『何世代にもわたる歴史』と『名誉』です。

トーテムポールの横には由来などの説明書きがあって、遠いアメリカ・シアトルの文化を想像させます。

シアトル市の名前の由来が、先住民の「シアット酋長」だったんだという発見も。

花時計横に設置されていた初代のトーテムポールは、雨風にさらされながらも「54年間」神戸の街を見守っていました。

目の前には「こども本の森神戸」もありますし、子供たちや訪れた人たちを末永く見守ってくれる存在になるんじゃないでしょうか。

https://kobe-journal.com/archives/9973996299.html


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【ついに解明?】2000年前の古代人アートの謎。踊る人物と一緒に描かれた「不思議な模様」の正体は(ペルー)

2024-05-06 | 先住民族関連

BuzzFeeD 2024/05/05 16:00

ペルー南部のトロ・ムエルト遺跡は、南米屈指の岩絵の集積地として知られています。約2000年前に描かれたとても不思議な謎の岩絵がたくさんあります。
踊る人の姿はスペイン語でダンサーを意味する「ダンザンテ」として知られていますが、その周りにはジグザグ線などの不思議な幾何学模様が散りばめられています。
これらの岩絵が何を描いたものかについては謎のままでした。

トロ・ムエルトの不思議な岩絵。踊る人物「ダンザンテ」の近くに幾何学的な模様が描かれている(Cambridge University Pressの論文より/CC BY 4.0 DEED)) / Via cambridge.org

しかし、今回、ポーランドの研究チームがケンブリッジ大学の学術誌に 論文を発表 。これらの岩絵について新しい解釈を提唱しました。この不思議な謎の岩絵をどのように解釈したのでしょうか?

ペルー南部にある約2000年前の不思議な謎の岩絵

ペルー南部にある砂漠の渓谷にあるトロ・ムエルトには、数千にも及ぶ火山岩が散在していますが、そのうちの約2600個の岩に約2000年前のとても不思議な岩絵が描かれています。

その岩絵には、踊る人物像の周りにジグザグ線、波形、直線、円、点などの不思議な幾何学模様が描かれています。このうち、踊る人物像「ダンザンテ」は、仮面などを被って踊る人物を描いたものと考えられています。
しかし、ダンザンテの周りに描かれている不思議な幾何学模様については、これまで、ヘビ、稲妻、水などを表しているのではないかと考えられてきましたが、研究者の間でコンセンサスは得られていませんでした。
なお、このような岩絵はトロ・ムエルトに特有なもので他の地域では一部を除いてほとんど見ることはできないそうです。

(写真)

踊る人物像「ダンザンテ」の周囲にはジグザグ線など不思議な幾何学模様が描かれています(Cambridge University Pressの論文より/CC BY 4.0 DEED) / Via cambridge.org

コロンビア・アマゾン川流域に住むトゥカノ族の伝統的な芸術との驚くべき類似性

トゥカノ族はペルーの隣国であるコロンビアのアマゾン川流域で暮らしている人々です。幾何学的な不思議な模様は、このトゥカノ族の伝統的な芸術によくみられるモチーフです。
これらのモチーフは、トゥカノ族が「アヤワスカ」と呼ばれる幻覚作用のある植物のエキスを摂取しながら行ってきた伝統的な宗教的儀式で、トゥカノ族が見た幻覚に由来すると考えられています。

(写真)

トゥカノ族の伝統的な芸術によくみられるモチーフ。幻覚作用があるアヤワスカがもたらす幻覚に由来するとされています(Cambridge University Pressの論文より/CC BY 4.0 DEED) / Via cambridge.org

また、これらのモチーフは、蛇、太陽、花などを表していますが、「音楽」に関連し、神話的な意味を帯びているといいます。
このようなトゥカノ族の伝統的な宗教儀式では踊りと音楽は霊的世界や宇宙などの異世界とコンタクトするための不可欠の要素と考えられています。
このトゥカノ族の伝統的な芸術によくみられるモチーフとトロ・ムエルトの岩絵の不思議な幾何学模様がよく似ていることに研究チームは着目しました。

論文では「異世界とコンタクトするための宗教的儀式」の可能性を指摘

今回、研究チームは、トロ・ムエルトの岩絵は、今から約2000年前に、先住民族が、おそらくアヤワスカのような幻覚作用のある薬を使いながら、踊りと音楽の力によって、霊的世界や宇宙などといった異世界とコンタクトするための宗教的儀式を行っている様子を描いたものである可能性があると指摘しました。

(写真)

研究チームが注目したトロ・ムエルトの岩絵の一つ「TM1309」(今回の論文より/CC BY 4.0 DEED) / Via cambridge.org

このような儀式は「癒し」「天候などの自然現象への働きかけ」「祖先の霊との交信」などを目的としていたとみられるそうです。
特にダンザンテとよく一緒に描かれているジグザグ線は幻覚を見ているときに聞こえてきた「音楽」を具象化したものである可能性があるそうです。ダンザンテは音楽に合わせて踊っている人物を描いたものということになります。
このような研究チームの新しい解釈はまだ仮説の段階にあり、これからの研究の進展がとても楽しみです。

https://news.goo.ne.jp/article/buzzfeed/nation/buzzfeed-7661093.html


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【News】フィリピン自閉症協会、4月21日に「エンジェルズ・ウォーク」を開催することを発表

2024-05-06 | 先住民族関連

ダバウオッチ2024年5月5日

フィリピン自閉症協会(以下ASP)は、世界自閉症デーの祝賀として、4月21日に午後1時から午後5時までの間、ダバオ市で自閉症に関する意識向上を図るイベント「エンジェルズ・ウォーク」を開催することを発表した。

ASPは、フィリピン国内で自閉症の人々が自己実現し、社会的に受け入れられる状態を目指す国立の非営利組織だ。ASPダバオ支部の会長であるウスワルド・パレーニャス氏は、エンジェルズ・ウォークの目的は自閉症啓発プログラムについて一般の人々に知らせることであると述べた。また、SPダバオの会計担当であるイメルダ・レンドンは、このイベントには学生、家族、そして自閉症のある人々などのべ1,000人が参加すると予測されていると発表した。

このイベントは、2007年から始まり、自閉症を持つ子供や人々が、コミュニケーションや社会化を通じて他の人と同じであることを強調し、社会的に受け入れられることを目指している。また、ASPは自閉症の子供を持つ家族のサポートグループとしても活動しており、自閉症の治療を受けることができる学校を彼らに紹介している。 プログラムでは、参加者は静けさと平和を象徴している、青のシャツを着用するように指示されている。

知識がないと、ネガティブな誤解を生んだり、いざ関わった時に接し方が分からなかったりする。社会で彼らを受け入れる体制を作るためには、まず自閉症に関する知識を社会全体で広めることが必要だ。

https://davawatch.com/articles/2024/05/05/80608.html


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アイヌに会ったことないって本当?『ゴールデンカムイ』の前に知るべきアイヌの歴史ーー2024年前半BEST7

2024-05-06 | アイヌ民族関連

綿貫大介2024/05/05 

 2024年1~4月にCREA WEBで反響の大きかった記事ベスト7を発表します。カルチャー部門の第6位は、こちら!(初公開日 2024年1月24日)

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【後篇】「立場の弱い少数者を助けなきゃ」アイヌへの差別から考える、よくある“カン違い”〈金カムで議論も〉を読む

 『ゴールデンカムイ』の人気で、アイヌの文化や伝統への関心は高まっています。でも、アイヌの人々が抱える差別や生きづらさについて、思いを巡らせられている人はどれだけいるでしょうか。

 アイヌへの差別の構造について考えることは、女性やLGBTQ+、障がい者など他のマイノリティ差別の理解にも繋がります。『ゴールデンカムイ』の監修にも参加している、北海道大学教授・北原モコットゥナㇱさんにアイヌの人々がどんなことに「もやもや」を感じているのか、そして無知・無理解の構造、マイノリティとマジョリティの関係性などを伺いました。

『ゴールデンカムイ』でアイヌに興味を持ったなら

差別や偏見にさらされてきた歴史も知ってほしい

アイヌに会ったことないって本当?『ゴールデンカムイ』の前に知るべきアイヌの歴史ーー2024年前半BEST7

© CREA WEB 提供

自身もアイヌとしてのルーツを持つ、北原モコットゥナㇱさん。

ーー北原先生は漫画『ゴールデンカムイ』の監修をされています。どのような経緯で引き受けたのでしょうか。

 『ゴールデンカムイ』はもともとアイヌ語監修として千葉大学の中川裕先生が入っています。中川先生とのご縁で私は編集部の方と会い、その際に文化研究の立場から気になる部分をお伝えしたんです。連載はすでに掲載されているものの、作者の意向もありコミックスでは修正を反映したいと連絡をいただき、そこから情報提供をする形で協力をしていました。

 驚いたのは、きちんと資料に基づいて描かれていても、その資料の記述の方が間違っていた、ということが多々あったことです。これは我々研究者の責任でもあるのですが、その誤りに気づけたことで論文を書いたりしたので、こちらも学びの多い作品となりました。

ーー『ゴールデンカムイ』でアイヌについて興味を持たれた方も多いと思いますが、北原先生は作品はどう見られましたか?

 面白い作品であることには変わりないのですが、100か0では評価できないと思っています。BLに対するゲイ当事者の評価に賛否があるのと同じような気持ちかもしれません。BLブームによってゲイの恋愛を好意的に受け止めるようになった人も増え、さらにハッピーエンドな作品の増加により明るい見通しを持てるようになった当事者もいる一方で、リアリティと乖離してファンタジーとして描かれた作品に憤っている当事者もいる。

『ゴールデンカムイ』については、やはり影響力は相当ありました。作品に興味を持って私の授業を取りにくる学生も増えましたから。入り口として、アイヌへのイメージもかなりいいものに展開したと思います。一方でファンタジーなので、差別についてはほとんど描かれていないという批判もあり、その通りだと思います。

ーー北原さんの著書『アイヌもやもや』ではアイヌ文化を伝えるのではなく、アイヌ“問題”として語られる差別などに対するもやもやに焦点を当てています。どのような思いが出発点にあったのでしょうか。

 やっと、小・中学校の教科書の中でアイヌについての記載が増えてきたと実感しています。しかし、それは主に伝統や文化についてなんですよね。

 次はしっかりアイヌの近現代史、つまり差別や偏見にさらされてきた歴史についても語られなければいけないと思っていました。そんなときに、フェミニズムやセクシュアルマイノリティ、在日コリアンについての研究がとても参考になりました。

「違いはない、問題はない」と言われてしまう

ーーほかのマイノリティ研究を勉強していて気づいた、共通点とはどのようなものがありますか?

 フェミニズムを学んでいて思うのは、多くの人が女性と男性の違いについては理解をしていながらも、「平等である」という感覚もすごく強く存在しているということ。実際にはいろんな面で女性にとって働きづらかったり暮らしづらかったり、不利益な制度などが存在しているのに、表向きには平等だと見られている。フェミニズムがそこにある格差をズバリ指摘している点は、ほかのマイノリティとマジョリティの関係にも重なると思っています。違いはない、問題はないと言われてしまうことに、違いがありますよと気づくいろんな糸口を用意してくれているんですよね。

 そしてセクシュアルマイノリティや軽度の障がい、アジア系の在日外国人の研究を学んでいて思うのは、本当は自分はマジョリティとは違うものを持っているんだけど、気づかれないと存在しないものだとされてしまう点。ここには本当は違う考えを持った人、違う性質を持った人がいるんですよということを、わざわざ手を挙げて言わないとわかってもらえない。本当に悪意なく、みんな一緒で良かったとまわりが勝手に納得してしまう。そこに気づいてもらうためには、ある程度リスクを負って名乗る覚悟をしなければいけなくて、そういう葛藤の部分は非常によく似ています。

ーーアイヌに関するネットのニュースなどでは「北海道民だけどアイヌに会ったことがない」「差別なんてない」「興味がない」なんていうコメントも見受けられます。

 あえてマイノリティを相手に選んで「会ったことがない」「いない」と書くことには、存在や主張を打ち消したい意図を感じます。

 もうひとつ、「差別」という言葉を、面と向かって悪口を言う、暴力を振るわれるなど直接的なものでしかイメージできていない面もあると思います。直接的な暴力やヘイトは公の場所ではなく隠れて行われている事が多いので、見たことがないのは当然ですよね。

 しかし、差別は直接的なものだけではなく、制度的な差別、文化的な差別もあります。よく知られるアパルトヘイト(人種隔離政策)は代表例です。

『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』より。漫画は、田房永子さんが担当。

『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』より。漫画は、田房永子さんが担当。

ーー「差別」という言葉に、他者を傷つけるような言動を取ることしかイメージが湧かないんでしょうね。学校で「差別をしてはいけない」と学んだとしても、その「差別」が何を指しているのかをわかっている人は少ない。

 北海道でもかつて、アイヌは和人と取得できる土地の広さが違ったり、同じ教育を受けられなかったり、差別的な法によって同等の権利を与えられていませんでした。サケ漁を禁止されたり、同化政策によって言語や文化を奪われたことも事実なので、「差別なんてない」はありえませんし、それにいまだに差別意識は根強く残っています。

「アイヌに会いたい」観光客の驚くべき言動

ーーアイヌについていえば2019年に「アイヌ新法」ができました。これはいい動きと言えるのでしょうか。

 やはり100か0かで語るのは難しいです。先にできた「アイヌ文化振興法」(1997年)も、文化振興をアイヌ民族の権利の点から論じることはほとんどなく、ただ日本にはアイヌ文化があるので普及しましょうという法律でした。今回の新法はその文化振興法の仕組みを割とそのまま引き継いでいながら、一応法律上、アイヌ民族は先住民族だと明記されました。

 差別の禁止も明文化されたのですが、それはただの掛け声で、何が差別かということは全然規定していないんですよ。だから、これは差別のつもりはないという開き直りができてしまう。不備の多い法律です。

 また、国連など国際的な議論の中では、先住民族とは「近代国家による支配を受けた状態で、権利が制限されている」ことを指して使われるのですが、日本の政治レベルでは先住民族とは何かという議論はされていない。先住民族としての権利保障は何も記されていないのが現状です。

ーー最近ではLGBTQ+でも「差別禁止法」が通るかと期待されていたのに、「理解増進法」に留まる結果となりました。少しはましに動いているけど、結局権力側の都合のいいような法案にしかなっていないというのが現状です。だからこそ、差別の歴史などもしっかり語り継いでいく重要性もあると感じました。マイノリティは構造的に不利益を被っている。そしてマジョリティはその上で利益や特権を与えられていることに自覚的にならなくてはいけないですね。

 マジョリティは自分の価値観や振る舞いを「ふつう」「標準」と感じています。その結果、マイノリティの特徴だけが人目に付く特殊なものとされてしまっている。これは明治以降の近代化とも大きく関わっています。

 産業が転換し、工場での生産を上げていくために適した人材が健常者で、それが難しい人が障がい者と振り分けられる。そして女性は家庭で、働き疲れた男性を癒してまた工場へと送り出すこと、そして次の労働者となる子どもを産み続けることが役割とされていく。さらに男女の役割の関係性を崩すようなセクシュアルマイノリティは存在を否定される。子どもや高齢者も生産性がない存在として余計者にされる。

 外国人やアイヌ・奄美・琉球のような先住民族は、日本が新しく土地や資源を獲得する際にやはり異物扱いされ、なおかつ劣ったものとして権利を制限されるようになった。根拠もなく、私たちははるか昔から当たり前に差別が存在していると思い込みがちですが、近代からと考えると案外歴史は浅い。

 そういう風に、マジョリティ自身が自分がマジョリティになった歴史を知ることで、理解できることが増えていくと思います。夫婦同姓も明治期に始まったもので、全然日本の伝統的な家族観ではないこともそうです。そういうことに気づくことが歴史を学ぶ意味だと思います。

ーーそう考えると選択的夫婦別姓や同性婚が認められないことも、特定の人に対する差別的な制度であるとより理解できそうです。

 また、外見的なことに対しても差別的なステレオタイプが存在します。アイヌへの侮辱は外見上の批判や不適切な扱いとして表れることが多いと感じます。顔立ちの違いや多毛はアイヌに貼られたレッテルの一つです。実際に私が白老の博物館で働いているとき、「アイヌに会いたい」と観光に来られる方の言動にびっくりしたことがあります。

 職員たちはみんなアイヌだったのですが、彼らを見ても観光客は納得してくれないんです。私は髭を蓄えているのですが、私が登場するとアイヌだと納得される。観光客側には、「こうあって欲しい」という先入観でアイヌ文化を見る傾向があったため、理不尽な質問や態度を取られたこともありました。

ーー言い方が悪くなりますが、観光客はまるで見世物を見に行く「物見遊山」的な感覚だったのでしょうね。そこには、他者をジャッジしたがる差別的な眼差しが透けて見えます。そして自分たちはジャッジしていい側だと思っている。

 これは精神障がい者の研究から学んだ考え方なんですけど、スティグマ(一般と異なるとされ、差別や偏見の対象として使われる属性や特徴)って、人間はお互いに他の集団に対して抱いてしまうんですよね。なかでもマジョリティが持ってるスティグマは、社会の基本的な価値になってしまう。障がい者や外国人やLGBTQ+は怖い、とか。

 そうするとその社会の中で暮らしてる当事者にもそれが内面化されてしまって、自分は恥ずかしい存在なんだとか、自分は駄目なんだと自己肯定感がどんどん下がっていき、社会に出る気力が削がれてしまう。本当は社会に出て他の人と接触をすることで偏見は解消されていくはずなんですが、その機会も失われて、さらに偏見が強まって固定化してしまう。

 だからアイヌでいうと、期待通りのアイヌとしての振る舞いを何か求められたときに反発の感情が生まれてしまい、アイヌと名乗りたくなくなる人も私の身の回りでは多いです。

ーーマジョリティからの攻撃を避けるため、マイノリティはどんどん人目のつかない場所へと隠れていってしまうわけですね。この悪循環を脱するためにはどうすればいいのでしょうか。

 当たり前なんですけど、いろんな人がいると認識すること。相手に変な期待を持つことは、自分が好意だと思っていても、相手にとっては不本意だったりする。そのことはマナーとして知っておくべきだと思います。

北原モコットゥナㇱ

1976年東京都杉並区生まれ。北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授。アイヌ民族組織「関東ウタリ会」の結成に両親が関わったことで、文化復興や復権運動をはだで感じながら育つ。著書に『アイヌの祭具 イナウの研究』(北大出版会)『ミンタㇻ1 アイヌ民族27の昔話』(小笠原小夜氏と共著、北海道新聞社)など。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/アイヌに会ったことないって本当-ゴールデンカムイ-の前に知るべきアイヌの歴史ーー2024年前半best7/ar-BB1lPW0H


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